Wednesday, February 22, 2017

『志布志事件は終わらない』出版記念シンポジウム3.26東京

『志布志事件は終わらない』出版記念シンポジウム
 <冤罪と報道を考える>
日時:3月26日(日)午後2時~5時(開場1時30分)
会場:スペースたんぽぽ(たんぽぽ舎と同じビルの4階)
参加費:500円
パネリスト
梶山 天(朝日新聞記者)「志布志事件を暴いた調査報道」
木村 朗(鹿児島大学教授)「現代社会の病理としての冤罪と報道被害」
辻  恵(弁護士、元衆議院議員)「志布志事件と可視化問題」
山口正紀(人権と報道連絡会世話人、元読売新聞記者)「メディアは諸刃の剣」
コーディネーター
前田 朗(東京造形大学教授)
志布志事件とは、2003年春の鹿児島県議選に際して贈収賄があったとして、でっち上げられた冤罪事件です。
事件そのものが存在しないにもかかわらず、鹿児島県警は机上で事件を捏造し、多数の住民を取調べ、自白を強要し、犯罪者に仕立てようとしました。長時間取調べ、人格を貶め侮辱する取調べ、「踏み字」の強要など、無辜の市民に自白を強要、逮捕・勾留した上に起訴に持ち込みました。市民の日常生活が根本から破壊され、自殺者が出るなど、関係者の人生が粉々に砕かれました。
2016年8月、「叩き割り」国賠訴訟が終結し、これによってすべての裁判で住民側が勝利しました。しかし、鹿児島県警は謝罪せず、事件の真相は闇に隠されたままです。
追い込まれながら立ちあがった住民とともに、冤罪事件を明るみに出すにあたって大きな役割を果たしたのは弁護団と報道でした。弁護団は事件が捏造にすぎないことを明らかにし、無罪判決を獲得するにとどまらず、日本の刑事司法の闇を切り裂く闘いを繰り広げました。ジャーナリストは、真相を隠蔽する警察権力の不正を暴き、世論に訴えました。10年を超える歳月をともに闘った市民、弁護士、ジャーナリストの共著『志布志事件は終わらない』の出版を記念して、本シンポジウムを開催します。
問合せ先:090-2594-6914(藤田)

ヘイト・スピーチ研究文献(94)

「特集 台頭する差別・排外主義――「差別禁止法」の制定を」『部落解放ひろしま』99号(2017年)
芝内則明「鳥取ループ・示現舎の差別性・犯罪性」
金尚均「ヘイトスピーチ・インターネットの差別書き込みと差別禁止法」
樋口直人「排外主義と政治」
特集以外に次の論文も。
一木玲子「相模原事件を通してみる学校教育」
岡田英治「『部落差別解消推進法』をどう見るか」

Tuesday, February 21, 2017

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(3)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』 (影書房、2016年)
梁は、「第5章 なぜヘイトスピーチは頻発しつづけるのか?――三つの原因」で、これまでの叙述をまとめる。
第1の原因は「反レイシズム規範の欠如」である。「なぜ従来の反差別運動の力が、反レイシズム規範を成立させることができなかったのか」と問い、「国内的要因」として、「植民地支配時代からのレイシズム法制を入管法に引きついだ一九五二年体制」の確立と、「戦後日本に欧米とは異なる特殊な企業社会が成立したこと」をあげる。「企業の競争原理が市民社会全体を一元的におおっている」日本の企業社会への注目である。民主主義の脆弱さと左派政権の不在、産業民主主義の不成立、差別を内包する日本型雇用システムが社会的規範となったことが確認され、その中での反差別運動には限界があったとされる。
第2の原因は「上からの差別煽動」である。戦後におけるレイシズム暴力事案を見ても、「レイシズムが継続的な曲活動の組織化へと結びつく新しい社会的回路」ができたという。「パチンコ疑惑」「核開発疑惑」「テポドン事件」「拉致問題」など、日本政府や政治家によるレイシズムが噴出した。高校無償化問題もその典型例である。
第3の原因は「歴史否定」である。ドイツと異なり、東アジア冷戦構造の中で、日本は歴史否定の規制を行う必要がなく、むしろ歴史修正主義が権力の地位についてきた。1990年代以降、歴史修正主義が堂々と語られてきた。その延長上に在特会があるという。
以上をまとめて、梁は「グローバル化と新自由主義が招いた東アジア冷戦構造と企業社会日本の再編』と表現する。
「本章で分析した三つの原因を人びとが是正・抑制できなければ、レイシズム煽動が流血の事態にいたることを止めることができない。それはマイノリティを破壊するだけでなく、マジョリティの人格を腐敗させるにとどまらず、民主主義と社会を最終的に圧殺せずにはいないはずだ。」
現代日本のレイシズムとヘイト・スピーチの要因の分析として優れている。
梁は、「第6章 ヘイトスピーチ、レイシズムをなくすために必要なこと」において、レイシズムと闘い、ヘイト・スピーチを克服するための戦略を練る。レイシズムの原因を主に三つに整理したので、当然のことながら、対策もその三つに即して語られる。
第1に「反レイシズム規範の構築――反レイシズム1.0を日本でもつくること」である。人種差別撤廃条約の理念に基づいた反レイシズム法をつくらせることである。そのために、被害実態調査、被害相談、反レイシズム教育が重要である。
第2に「反歴史否定規範の形成」である。戦後補償問題に見られるように、何よりも、真相究明、事実の認定が必要である。
第3に「「上からの差別煽動」にどう対抗するか?」である。「まずは一般的な民主主義を叩かいとること」とされる。
「おわりに――反レイシズムを超えて」で、梁は、次のように述べる。
「日本のヘイトスピーチは、従来の在日コリアンへのレイシズムとの連続性をもちつつも、それとは一線を画した異質性と桁ちがいの危険性をもつレイシズム現象だ。そのためこれを放置すると、マイノリティを徹底的に破壊するだけにとどまらず、加害者個人のみならずマジョリティ側の人格・モラルをも腐敗させ、ついに民主主義と社会を壊す。」
「だが、本当の課題は、そもそもレイシズムが起きる社会的条件を別のものにおきかえることだ。本来は、レイシズムが必然的に暴力に結びついてしまう近代社会そのものをどうするかという問題に向きあわねばならない。反レイシズムは『反レイシズム』だけでは不十分なのである。」
かくして、私たちは20年前、1990年代の課題に立ち返ることになる。人種差別撤廃条約の批准と履行を求める闘い。戦後補償を中心とする政府の責任追及と、真相解明と、歴史修正主義との闘い。相次ぐ政治家の差別発言、妄言を許さない闘い。
梁の分析と問題提起は重要である。レイシズムによる差別被害を受け続けてきた在日コリアンの一員であり、いまなおヘイト・スピーチの暴力被害を受けている梁が、自分が置かれた状況を冷静に研究・分析し、変革の課題に結び付けて調査し、運動し、発言している。その考察は歴史的かつ社会的であり、現場の体験と運動に発し、同時に文献資料も活用して、的確に認識し、展望を切り拓こうとしている。本書に学ぶべきことは大きい。
在日コリアンにこのような研究と運動に取り組まなければならないようにしてきた日本社会の一員として、私はまず自らを恥じ入り、そして思いを新たにしてレイシズム研究に取り組まなくてはならないと思う。
最後に若干の感想を付け加えておこう。
第1に、梁がたどり着いた地点、提起する解決のための闘いは、1990年代からずっと同様に意識されてきた課題である。その意味で新しいことではない。同じ問題意識を有しながら、解決のために取組が続けられた。人種差別撤廃条約の批准、その履行実践、その他の国際人権法の実践、難民、移住者をはじめとする人々の人権擁護・・・さまざまな課題が取り組まれた。ところが、事態は改善と言うよりも、かえって悪化したのではないか。この四半世紀の運動をどう総括するのか。改めて問われている。
第2に、現代日本のレイシズムの独自性、特殊性と普遍性の解明作業も不可欠である。私自身は21世紀植民地主義、グローバル・ファシズム、<文明と野蛮>を超えて、植民地支配犯罪論といったタームで論じてきたが、まだ不十分である。当面は「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」という区分の上で再検討しようと考えている。
第3に、梁の分析では、天皇制が焦点化されていない。天皇制とレイシズムを直接正面から問うことは、まさにヘイトのターゲットとされることを意味するので、日本人がきっちり取り組むべき課題であろう。また、梁は、「日本国憲法のレイシズム」について取り上げていない。日本国憲法は13条で個人の尊重、14条で法の下の平等を掲げているにもかかわらず、実際にはレイシズムを内在させた憲法である。このことを憲法学は軽視してきた。日本国憲法を貫くレイシズムを軽視するから、「憲法は表現の自由を保障している」という稚拙な理由で ヘイト・スピーチを擁護する憲法学者が続出するのだ。「日本国憲法のレイシズム」は私自身の次のテーマである。
第4に、梁が「レイシズムは民主主義を壊す」と述べているのは、このテーマに近接している。刑法学者の金尚均がヘイト・スピーチの保護法益として人間の尊厳を論じる際に社会参加や民主主義について語るのも同じことである。私の文章で言えば、前田朗「ヘイト・デモは民主主義に反する――国連人権理事会のパネル・ディスカッション」『無罪!』2016年7月号参照。レイシズムやヘイト・スピーチは民主主義と両立しない。にもかかわらず、日本の憲法学者は民主主義と表現の自由を論拠にヘイト・スピーチを擁護するという離れ業を続けている。
最後になるが、2016年12月に出版された梁の著作が、2015年4月に出版された私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』を無視しているのは残念である。

Monday, February 20, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(93)

上瀧浩子「ヘイトスピーチ裁判の意味と課題」『部落解放』739号(2017年)
李信恵「差別がない未来へ一歩一歩」『部落解放』739号(2017年)
在日特権を許さない市民の会と櫻井誠前会長によるヘイト・スピーチ被害を受けて、名お毀損訴訟を提起し、16年9月27日、大阪地裁で見事、勝訴判決を獲得した代理人弁護士と原告本人の文章である。私も「意見書」を書かせてもらったので、大いに喜んでいる。なお、複合差別や、インターネットの特性を配慮していないとして控訴したので、大阪高裁に係属中。
『部落解放』739号の特集「部落差別解消推進法成立」には下記の論文もあり、重要である。
西島藤彦「インタビュー法律の実効性を運動によって実現させる」
奥田均「部落差別解消推進法を読む」
炭谷茂「部落差別のない社会をめざして」
内田博文「部落差別解消推進法の意義と残された課題」
さらに、
小林敏昭・渡邉琢「対談・相模原事件がわたしたちにもたらしたもの」

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(2)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房、2016年)
梁は、「第4章 欧米先進諸国の反レイシズム政策・規範から日本のズレを可視化する」で、反レイシズムの3つの型を次のように提示する。
1 人種差別撤廃条約型反レイシズム――国連と欧州(ドイツを除く)
2 ドイツ型反レイシズム 
3 米国型反レイシズム 
このうち人種差別撤廃条約型反レイシズムが「世界でもっとも基本的な反レイシズムのモノサシと言える」「スタンダードなレイシズム禁止法」であり、「ドイツを除く欧州や世界各国で採用されている」という。ドイツ型反レイシズムは「ナチズムの過去の克服として極右を規制し、歴史否定に反対する規範をつくったという。米国型レイシズムは公民権法によりレイシズムを違法化しつつ、差別を行為/言論に分けて、言論を保護し、その結果、ヘイト・スピーチを容認する。
梁は、3つの型の差異と共通性を検討した上で、欧米先進諸国も、ムスリム差別、植民地主義、難民への対処、資本主義という4点で難問に直面しているとみる。
それでは日本はどうか。梁は「4 欧米先進諸国の反レイシズムと日本の現状」で、次のように指摘する。
「日本には、第一の人種差別撤廃条約型のようなレイシズムとレイシズム煽動を規制する国内法がない。これは九五年に人種差別撤廃条約を批准して以後も変わらない。」
「第二のドイツ型のように『過去』との類似性をモノサシとしてレイシズムを測る規範もない。」
「第三の米国型のような、マイノリティ側の表現の自由を尊重しアファーマティブ・アクションを重視するやり方での反レイシズムも、日本には皆無だった。」
従って、これら3つの型を日本にそのまま当てはめることはもちろんできない。しかし、現在の日本でヘイト・スピーチをなくすという課題は意識されている。それゆえ、ヘイト・スピーチをなくす課題を手掛かりに差別をなくす課題を認識させることが重要だという。
梁の主張は明快であり、大筋的確である。以下、若干のコメント。
第1に、欧米先進諸国の経験をそのまま日本に当てはめることができないとしつつ、それぞれの型がどのように形成され、その後の展開を示しているかを確認し、そこから日本をどのように見るかを検討する手法は合理的である。そのさい、人種差別撤廃条約という「普遍性」を帯びた型と、ドイツ型、米国型を対比し、全体を把握したうえで、日本的特質を導き出すのも適切であろう。
第2に、日本には差別禁止法がなく、ヘイト・スピーチ規制法もなく、歴史否定を犯罪とする法もなく、およそ反レイシズム規範が形成されて来なかったという特質の指摘も納得できる。このことは人種差別撤廃員会が繰り返し指摘してきたことである。人種差別撤廃員会でのロビー活動に協力してきたNGOの共通認識でもある。差別禁止とヘイト禁止のための総合的な法政策の必要性は、人種差別撤廃条約以来、半世紀に及ぶ国際人権法の常識と言ってよい。
第3に、梁が、世界をいちおうは見渡しつつも、実際には欧米先進諸国に絞り込んだ議論をしていることが気になる。欧米先進諸国の大半が旧植民地宗主国であり、レイシズムを生み出した本拠である。欧米先進諸国におけるレイシズムの形成と展開を抜きに、欧米先進諸国における反レイシズム違反を出発点としているように見える。
レイシズムに関する記述が先行しているが、反レイシズム規範を有する諸国が、今現在、植民地主義や資本主義という問題に直面しているという整理は、歴史的にも論理的にも逆転しているのではないだろうか。
第4に、歴史否定問題をレイシズム認識、レイシズムと闘いの問題として位置付けているのは正当である。重要な指摘だ。特に日本の現状に対する批判として、この指摘を繰り返す必要がある。ただ、ドイツの特殊性に偏りすぎていないだろうか。ナチスドイツの歴史に反省して、というのは正しい認識であるが、同時に、「アウシュヴィツの嘘」処罰に代表される歴史否定犯罪の処罰は、フランス、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、ストヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア、イスラエル、モンテネグロ等にある。加害側のドイツだけでなく、被害側や中立国にもある。

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(1)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房、2016年)
http://kageshobo.com/main/books/nihongatahatespeech.html
12月に出た最新のヘイト・スピーチ関連本である。著者は、1982年生まれの在日コリアン3世で、一橋大学大学院言語社会研究科修士課程。2015年に、NGO「反対レイシズム情報センター(ARIC)」を立ち上げて活動している。
ヘイト・スピーチ関連本はすでに、現状を把握するためのジャーナリストによる報告、法規制に関連する研究者・弁護士の法律論、アメリカや欧州諸国におけるヘイトの動向とそれへの対策を論じた著書など多数ある。本書は、そうした情報も参考にしつつ、日本におけるヘイト・スピーチの歴史と現状、特徴とそれへの対策を正面から論じている。
「序章 戦後日本が初めて経験するレイシズムの危険性を前に」では、「最悪のレイシズム現象としてのヘイトスピーチ」について、その危険性を可視化するために、「反レイシズムというモノサシ」、「差別煽動」をキーワードとし、反レイシズムの欠如が在日コリアンを沈黙に追い込んできたことを指摘し、「沈黙効果」の多元性を説く。
「在日コリアンは、本来もっているはずの、レイシズム被害を語る力も、人間性を失わないために自分のアイデンティティを活用する力も、それらを社会を変えるために発揮する力をも、右のような社会的条件のために削がれつづけている。これが、ヘイトスピーチの『沈黙効果』以前に、はるかに徹底的に在日コリアンの若者を黙らせてきたのだ。」
こうした問題意識も含めて、梁は、本書の課題をまとめている。
「本書は、日本のヘイトスピーチの危険性、社会的原因、有効な対策について考えていく。その際、欧米の経験を抽象化した一般論にとどまらず、日本という個別具体的な歴史的・社会的文脈の中に位置づけて、その特殊性に着目する。そして、反レイシズムというモノサシを身につけることを通じて、日本のレイシズム問題を『見える』ようにする。」
「第1章 いま何が起きているのか――日本のヘイトスピーチの現状と特徴」では、日本の現状を取り上げる。梁は、「二〇一三年六月 東京・大久保にて」及び「ひどすぎてありえない差別の登場」で、ヘイトデモの実態を描く。「さまざまなタイプの物理的暴力――街宣型・襲撃型・偶発的暴力」で、ヘイトの物理的暴力性を明確にする。「あらゆるマイノリティと民主主義の破壊」で、被害者の広がりを指摘する。さらに「社会「運動」としてのヘイトスピーチ」で、継続的に組織されたレイシズムの特徴を整理する。「ヘイトスピーチのどこがどうひどいのか――「見える」ひどさと「見えない」ひどさ」で、反人間性と暴力は見えるひどさだが、レイシズムと歴史否定は見えないひどさであると言う。その上で、「反レイシズムというモノサシ(社会的規範)の必要性」で、ヘイトの総体を把握し、これに対処するために、反レイシズムの視座が不可欠であることを論じる。
「第2章 レイシズムとは何か、差別煽動とは何か――差別を「見える化」するために」において、梁は、概念定義を確認する。まず、「レイシズムとは何か――レイシズムの「見える化」」で、人種差別撤廃条約等の定義をもとに、ヘイト・スピーチとレイシズムの定義を掲げる。日本で利用される国籍差別に関連して「国籍とレイシズム」にも目を配る。「差別煽動とは何か――レイシズムの発展を見えるようにする」で、レイシズムをレベルアップするメカニズムを論じる。「増殖する差別」の重要な要因として煽動が問題となる。ここでも人種差別撤廃条約第4条などをもとに差別煽動を定義している。その上で、亮は「レイシズム暴力」と国家の関係を問い、最大の責任主体としての国家、「上からの差別煽動」を主題とする。さらに、「マイノリティとしての在日コリアン――レイシズムと差別煽動の不可視化がもたらすもの」で、本書で中心的に論じる在日コリアンについて確認している。
「第3章 実際に起きた在日コリアンへのレイシズム暴力事例」で、梁は、近現代日本市におけるヘイトの歴史を素描する。
1 関東大震災時の朝鮮人虐殺(一九二三年九月~)
2 GHQ占領期の朝鮮人弾圧事件(一九四五年八月~一九五二年)
3 朝高生襲撃事件(一九六〇年代~七〇年代)
4 チマチョゴリ事件(一九八〇年代~二〇〇〇年代前半)
5 ヘイトスピーチ――在特会型レイシズム暴力(二〇〇七年~現在)
以上の順で、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチが在日コリアンに対していかに行われてきたかをたどり直し、その特徴を明らかにする。
ヘイト・スピーチの被害がとらえがたい理由を検討した結果、梁は次のように述べる。
「戦後七〇たったいまもなお、法律レベルで公認された権利がほぼないまま、レイシズム状況に自分たちがおかれていること。このことを痛烈に自覚しつづけざるをえないからこそ、在日コリアンの『ヘイトスピーチ被害』は、それだけ深刻なものになるのだ。」
ヘイトの被害についての正面からの議論はしていないが、差別が日常化、制度化、組織化されている状況下におけるヘイトの被害の深刻さを示している。
以上の3章を見るだけでも本書が極めて重要で有意義な著書であることを確認することができる。いくつもの特記事項があるが、少しだけ確認しておこう。
第1に、反レイシズム規範の強調は的確であり、重要である。世界人権宣言では不十分であり、日本国憲法には欠落している反レイシズムを、いかにして日本社会に提起するのか。人種差別撤廃条約、同委員会での議論、ダーバン反差別世界会議の宣言・行動計画、国連・先住民族会議の議論、ラバト行動計画など、国際社会の努力はまさに反レイシズムの規範作りであった。それが日本に十分に影響を与えることができなかった。人種差別撤廃委員会の度重なる勧告を日本政府が無視してきたからである。
第2に、レイシズムとヘイトの暴力性の指摘は何度でも、何十度でも繰り返さなければならないキモである。日本社会はあくまでもヘイトの言論性を口実にして、表現の自由だなどと言うが、実態は暴力である。暴力の実態を隠蔽するためのごまかしの議論として「行為と言論の区別」論が猛威を発揮してきた。
第3に、日本近現代史を通じてヘイトが続いてきたことの歴史的確認である。関東大震災から最近のヘイト・スピーチまで、在日朝鮮人の歴史に詳しい人間ならだれでも知っていることであるが、日本社会の研究者の中にはこの程度の情報すら踏まえていない例が少なくない。本書第3章の記述は、さらに詳細に「近現代日本におけるヘイトの現象形態とその本質」としてまとめる必要があるだろう。

ヘイト・スピーチ研究文献(92)

有田芳生「ヘイトスピーチ解消法の意義と展開――差別の煽動を根絶させるために」『セフルム』23号(2017年)
解消法制定に向けた立法運動の中心人物である有田参議院議員の講演記録である。『セフルム』は公益財団法人・朝鮮奨学会の機関誌。