Monday, March 22, 2010

グランサコネ通信2010-15

1)人権理事会

19日は普遍的定期審査UPRで、ブルネイ、コスタリカ、赤道ギニア、エチオピア。とんとん拍子んで時間っていました

昼休みに人権高等弁務官事務所主催のセミナー「国際人種差別禁止デーを記念してがありました多数の政府も含めて100人以上参加。

ナヴァネゼムナヴィ・ピレイ人権高等弁務官演説「人種差別禁止デーを記念して

--私1960年きたシャープヴィルの悲劇記念して3月21日人種差別禁止デーとなっているこの悲劇から50年いまジェノサイドホロコーストアパルトヘイト、民族浄化、奴隷制のような人種主義現在及将来からなくしていくことがたちの集団的責任である。「人種主義失格にするために、特人種主義とスポーツの関係着目したいスポーツは社会であって、不平等、偏見、ステレオタイプがられる。私はワールドカップを開催するアフリカ最初となるがそこから人種主義人種差別をなくしていかなくてはならないそのためのガイドラインとしてすでに女性差別撤廃条約、障害者権利条約、人種差別撤廃条約などがある。1978年のユネスコ体育教育とスポーツ憲章もある。2007年オリンピック憲章はスポーツは人権であるとしたしかしスポーツにおける人種主義世界中問題こしている。人種主義とのいをスポーツ領域でもめたい映画「インヴィクタス」で描かれているように、1995年、わが国で開催されたラグビー世界大会はスポーツによる社会統合の挑戦でもあった。このいを強化するためにダーバン宣言がありさらにダーバン検証会議結果があるその成果文書はまもなく全言語出版される・・・

ギト・ムイガイ人種主義人種差別問題特別報告者演説「人種差別禁止デーを記念して」(ただし飛行機トラブルのため本人出席できず、代読)

--ダーバン検証会議から一年えようとしているが、人種主義とのいにおける集団的努力必要である。人種主義とのいのためには反差別法制定必要であるしかし、現状は不十分である。今回はスポーツに焦点を当てているが、今年はオリンピック、ワールドカップ、コモンウエルスカップが続く。多数の人々が参加するので、人種主義との闘いを周知するのに良い機会である。スポーツにおける人種主義差別克服する決議案はブラジルとアフリカが準備してきたサッカーでいうと、FIFA「人種主義にノーとおうというキャンペーンをしているオリンピックでもカナダはファースト・ネイションイヌイットメティスのダンスパフォーマンスを採用した。他方スポーツ分野での人種主義られ、有名選手する差別事件られる。人種主義克服するために、大規模スポーツ大会めとするあらゆる場面努力ねよう

会場では、3月21日人権高等弁務官のメディア記念声明文配布されました

19日午後、国際民主法律家協会IADL主催のセミナー「人民平和への権利促進」がありました。司会はチャールズ・グレイブスインターナショナル・インターフェイス)、報告4本。

塩川頼男(IADL)「高度に発展した、しかし実は発展途上国における人民の平和への権利」

コリン・アーチャー(国際平和ビューロー)「発展のための軍縮」

クリストフ・バルビー(軍隊のないスイス運動)「軍隊のない国家平和憲法」

デヴィッド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)「平和への権利の法典化」

プヤナ報告興味深いものでした。2006年10月30日にスペインの専門家による「平和への権利するルアルカ宣言」採択され、2010年2月24日「同ビルバオ宣言」採択されました。両宣言準備してきたスペインの専門家平和運動、2010年5月末にバルセロナで集会さらに2010年12月にサンティアゴ・デ・コンポステラでかれる平和への権利NGO国際会議でまとめられるそうですスペイングループは、国連人権理事会平和への権利決議採択させるために努力してきたし、理論的研究けてきた国連人権理事会の次の会期に平和への権利作業部会を開くよう提案している。そのための文書提出もしてきたその経過報告されました

平和的生存権、1960年代、恵庭訴訟、長沼訴訟いのなかで、日本平和運動弁護士憲法学者、憲法前文9条主張、理論化、平和いの武器としましたそれが今日でも、日本平和運動つのとなっていますしかしスペインの法律家たちはそのことをあまりりません。欧州平和運動家たちは憲法9条っていますぜんぜんられていないことも)。ヒロシマ・ナガサキもよくっていますしかし、日本平和的生存権議論はあまりらないようですこのためプヤナ報告でも、平和への権利根拠、国連憲章、世界人権宣言、2005年サミット文書、2005年国連総会決議められ、2008年2009年国連人権理事会決議中心になっていますいま、国際人権法の分野で平和への権利が取り上げられ、体系化されようとしているときに、9条の日本の憲法学は何も貢献していません。日本憲法学者完全蚊帳ですどこにいて、何をしてるんだろうもしかして名前ていないけどどこかでしは貢献しているのでしょうか)。それどころか、日本政府っては、2009年6月17日国連人権理事会における「人民平和への権利促進」決議(11/4)、反対投票しています。政治家学者NGOもちゃんと監視していないから、外務官僚勝手めているのですこれにして、塩川さん(IADL)孤軍奮闘しています。少しは協力しないといけないと反省して、私もフロアから発言しました。一つは軍隊のない国家調査話。バルビーにわって、27国全部してしたけど、日本語なのでごめんなさいもうつは無防備地域宣言運動というしいピースゾーン運動日本展開されていることを紹介しました

はちょっと贅沢して嵯峨野のお寿司。

2)ヌシャテルの読書

週末観光モードでヌシャテルでしたヌシャテルはヌシャテル湖に面した小さな坂の町です。ローザンヌと似てますが、ローザンヌほど派手ではなく、やや田舎で、落ち着いていて、優雅。15年ほどった快晴でしたが、今回曇天ときどき雨。駅前にモダンなビルができていて景観なわれているのが残念。坂りたり、登ったり。中華料理美景Mei Jing青島ビール。湖畔のヨットハーバーヌシャテル大学、公園、博物館。湖畔のホテルのカフェで食事中、キャット・スティーヴンスのれました。随分懐かしい

Chateauneuf du Pape, Domaine du Vieux Lazaret,2007. 

中村文雄『大逆事件知識人--無罪構図』(論創社、2009年)

--幸徳秋水らの大逆事件研究者、同表題『大逆事件知識人』(三一書房、1981年)、『大逆事件全体像』(三一書房、1997年)などの著者による最新刊です。昨春出版時入手していましたがんでいなかったので。同時期した『非国民がやってきた!』(耕文社)では、管野すが・幸徳秋水、金子文子朴烈、、鶴彬などを、石川啄木にして「非国民」というでつないでいてみました啄木つながりの非国民群像です。2冊目では小林多喜二つながりの非国民群像の予定です。中村著『大逆事件知識人』、第一部「大逆事件とは基礎知識、第二部「大逆事件啄木、鴎外、漱石」、第三部「大逆事件同時代人たち」。啄木についてはよくられているですが、鴎外漱石大逆事件のかかわりどうていたかはおもしろかったです。同時代人として、小泉三申、被告人大石誠之助、内山愚童、他方、検事平沼騏一郎、アナキストの石川三四郎がとりあげられています。大逆事件100年けて出版された好著。

『石川啄木全集第四巻』(筑摩書房、1980年)

--非国民としての啄木については「時代閉塞の現状」「所謂今度の事」「日本無政府主義者穏謀事件経過及び附帯現象」「A LETTER FROM PRISON」をもとに見ていけばよいわけで、私の本でもその一部を紹介しておきましたが、啄木の評論をまとめて読んだことがありませんでした。どうしても「時代閉塞現状」中心になりますし、『一握砂』『悲しき玩具』そこにはめなかった(収めることのできなかった)短歌きますそこで全集第四巻収録された評論全部読むことにして、今回持参ヌシャテルでしてみました。初期つまり10代終わりから20歳そこそこの「天才詩人」時代評論から、晩年(といっても25~26歳ころ作品まで。初期評論天才詩人らしい美文、語彙もきわめて豊富、素晴らしい文章ですが、底、言葉っているだけおもしろかったのは、社会主義者非戦論客する批判懸命にやっていて、「平和美名戯言」っていることです。同時、日露大戦勝利高々誇示していますがただ、勝利かれることを、大勝利恐怖にも言及しています。文明論的思考がすでにられますロマン主義批判、自然主義をもえようとしていた時期思想変遷がよくわかるのも、評論ならでは。結局やはり「時代閉塞現状」きますが、「文学政治」「性急思想」「きれぎれにかんだじと回想」「日露戦争論(トルストイ)」など重要評論がいくつもあります。非国民啄木理解するためには、評論、短歌、詩執筆発表時系列して再読してみる必要がありますもっともヌシャテルには啄木似合わないというかスイスのどこへもってっても似合いません。啄木、友人盛岡をスペインに比肩しているといているので--全然根拠がなく説得力がないのでこんなことは、誰っていないでしょう。啄木願望でしょう--、そうくはないのかもしれませんが。次回函館、札幌、小樽、旭川、釧路して啄木みたいものです