Monday, August 16, 2010

グランサコネ通信2010-28

グランサコネ通信2010-28

2010年8月16日

閣僚の靖国参拝がなかったのはよかったです。警官切りつけ事件はいったい何なのか。

ベルン観光

13日から15日までベルン観光でした。行ってみたら夏祭りで、旧市街の街路や広場は出店、音楽、大道芸人の世界。13日と14日午前は世界遺産の旧市街を歩き回りました。

パウル・クレー・センターは、大ホールの常設展が撤去されて、クレーとピカソの出会いと対比を展示していました。感嘆する美術展です。はいるとすぐに、クレー、ピカソそれぞれの自画像。両者の人物画も、子ども、女性、男性などそれぞれ旨く配置。と思ったら、ほぼ同時代の作品をテーマごとに見事に並べています。ピカソの作品も、クレーが死んだ1940年頃までのものだけ。その後のピカソははいっていません。奥の牛、ミノタウロスのコーナーは笑えるほど。次から次とクレーとピカソの対決。これほど見事な美術展を考え、作品を集めて実現するのはすごいことです。ピカソはバルセロナ、ニューヨーク、チューリヒ、ケルンなどから。クレーの半分以上はもちろんパウル・クレー・センターのもの。9000とも言われるクレーの作品のうち4000を持っているパウル・クレー・センターならではの企画です。企画した学芸員には最高の愉悦でしょう。笑いが止まらない幸せ。でも、企画・準備は相当大変。ここから次々と美術史の斬新な論文が送り出されるはずです。画集でみるのと違って、これほどたくさんの現物をクレーとピカソを並べて比較研究できるのですから凄いとしか言いようがない。一つひとつの展示ごとに、頭を悩ませる展示です。みるほうは楽しむというよりも、頭が痛くなる。すっかり疲れました。近眼の私はふつう目が疲れるのですが、今回は頭が疲れました。ピカソの「泣く女」とクレーの「泣く女」は、なぜか並べていませんでした。クレーが明確に他人の作品を「引用」した例、つまりクレーが当時ピカソを非常に意識していた具体例ですから、当然、並べるべきところですが、たぶん、安直過ぎると考えたのでしょう。

地下のホールでも別途、クレー展。こちらは常設展とも違って、クレーの小品(といっても、もともとクレーは基本的に小品ですが)をいくつかのテーマごとに集めてありました。初めてみるものもあり、よかった。なにしろ、パウル・クレー・センターはたくさんありすぎて、徐々に展示している状態ですから。最後に気づきましたが、天使シリーズがありませんでした。クレー/ピカソのほうには天使が1点だけ。ということは、世界のどこかで「クレーの天使展」とかをやっているのかもしれません。クレーの指人形もごく僅かしか展示されていませんでした。お休み中か、それともどこかに貸し出し中か。

15日午前は雨だったので、ベルン歴史博物館へ。ツェーリンゲン家のベルンの歴史を眺めてきました。

同時に、歴史博物館で「アインシュタイン博物館」という展示です。アインシュタインは、ベルン特許庁に勤めていたので、旧市街に住んでいた建物が記念館となっていますが、それとは別の大規模展示。はいるとすぐに「鏡の空間」で、「光の速度について考えさせる」。そして、アインシュタインの人生を追いかけながら、ベルンの歴史、ユダヤ人の歴史、アインシュタインの研究成果、光電子効果や相対性理論、二度の大戦と原爆、そしてヒロシマなど、非常に勉強になります。アインシュタインの伝記を読んだのは随分昔なので、忘れていることのほうが多いため、とても勉強になりました。1つだけ疑問は、ユダヤ人の歴史を問いかけ、ナチスのユダヤ人迫害とアインシュタインの亡命や、イスラエル建国後に「アインシュタインを大統領に」といった半ば冗談のエピソードのことも出てくるうえ、戦争反対や核兵器廃絶のために努力したことも詳しく出てくるのに、パレスチナ問題だけは完全無視していることです。「迫害被害を乗り越えた平和のイスラエル」。ベングリオンと並んだアインシュタイン。アインシュタインの限界なのか、ベルン歴史博物館の限界なのか。

15日午後は、ベルン美術館へ。以前はここにクレーがたくさんありました。パウル・クレー・センターができて以後、ベルン美術館は一時期かなり見劣りがしていましたが、現代美術をはじめ意欲的な展覧会を工夫していました。この夏は地元出身のアルベルト・アンカー逝去100周年の企画展示でしたので、行って見ました。展示は素晴らしかったのですが、解説によると、数年前に日本で開催されたアンカー展をもとに、その時にははいっていなかったものを加えて決定版のアンカー展にしたのだそうです。日本で見ていなかったので、ちょうどよかった。ところが、夏休みの日曜のためかすごい人だかり。観光客と地元の客でいっぱいで、しかも子ども連れがおおい。学校の課題とかに指定されているのかもしれません。ガヤガヤと、まるで東京の美術展みたいでした。性根の捻じ曲がったクレーとピカソ(笑)を見た次の日なので、アンカーの素朴で優しい人物画はほっとします。しかし、困ったことに、バーゼル、パウル・クレー・センター、ベルンで買ったカタログが重い(!)。

宮下誠『20世紀絵画--モダニズム美術史を問い直す』(光文社新書、2005年)

 バーゼル大学に留学していたドイツ(及びスイス)を中心とした美術史家で、マルク、クレー、ピカソ、エルンストなどに関する著書と論考の多い著者です。小さな新書1冊に、西洋絵画史を盛り込むという離れ業。もちろん詳細な歴史ではなく、一つの視点に絞り込んでいます。すなわち、絵画作品を「わかる/わからない」とはどういうことなのか。なぜわかろうとするのか。抽象画はわかりにくいのか。他方、具象画ははたしてわかりやすいのか。具象と抽象とはいったい何なのか。「わかる/わからない」「具象/抽象」といった二元論の陥穽を論じるという趣向です。抽象絵画の成立と展開では、マネ、モネ、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌ、ピカソ、ブラック、マティス、カンディンスキー、クレー、マレーヴィチ、モンドリアン、シュヴィッタース、ポロック、ロスコ、ステラ、クリスト&ジャンヌ=クロード、レト・ボラーを。具象絵画の豊饒と屈折では、ベックリン、ムンク、クリムト、デ・キリコ、キルヒナー、マルク、ベックマン、デュシャン、マティス、ディックス、ダリ、ピカソ、クレー、藤田、エルンスト、ウオーホル、バゼリッツ、キーファーを。さらに旧東独美術も紹介。「わかる抽象とわからない具象」について論じています。

本書では、藤田嗣治『アッツ島玉砕』だけは図版がなく、白い長方形となっています。著者は、戦争画、戦争協力画を単純に批判するのではなく、「絵筆によって好むと好まざるとにかかわらず日本人として戦争に加担せざるを得なかった画家のおそらくはひどく屈折したナショナリズムと、西洋絵画の伝統に深く思いを致した優れた画家のコスモポリタニズムが鋭い対比をなして交錯している」と見ていますが、その作品図版を著書に収録できない現実を「何故このようなことが、このように奇妙な『不在』が出来したのか?」と問いかけ、読者それぞれの思考を促しています。言うまでもなく、戦後日本美術界における沈黙、戦争協力の隠蔽があり、それゆえ戦争協力画家による戦後美術界の形成、継承があり、そのことが60年たっても、まともな日本美術史すら不可能とし、隠蔽と虚飾の金まみれ美術が横行している一因です。ポリティカル・アートの育たない所以でもありますが、もっとも21世紀になって、果敢にポリティカル・アートに挑むアーティストや批評家が増えていますが。