Monday, December 20, 2010

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(24)あまむ・ぽんど











南アフリカで買ったCDです。




AMAM PONDO  Feel the Pulse of Africa, Incorporating Zimkile Inkomo




軽快な打楽器グループです。太鼓、ティンパニ、木琴、各種の笛が入り乱れるサウンド。ヴォーカル、叫び、口笛などもはいります。








Sunday, December 19, 2010

検察崩壊--必要な改革とは何か

『救援』500号(2010年12月)
入門セミナー・刑事法批判第9回報告
検察崩壊――必要な改革とは何か
「入門セミナー:現代日本の刑事法批判」第九回は、一一月一九日、佃区民館(東京都中央区)で開催された。大阪地検特捜部事件によって、ついに社会的に明らかになった検察崩壊を徹底批判し、真の刑事司法改革に繋げるための議論を始めるために。
「押収資料の改竄にまで手を染めた大阪地検特捜部の所業は論外にせよ、前田や大坪といった不良検事は、腐りきった刑事司法システムの末端で薄汚く蠢いた芥の如き存在に過ぎない。徹底的に指弾するべきは、法務・検察権力全体の暴走構造であり、それを許してきた刑事司法システム全体を覆っている劣化の構図である。当面は少なくとも、取り調べの全面可視化導入が必須作業となるだろう。さらには特捜検察など解体し、検事総長の民間登用なども推し進めるべきだ。しかし、それだけではまったく十分ではない。「代用監獄」の廃止や検察・警察が押収した証拠類の全面開示、そして何よりも司法官僚に牛耳られた裁判システムの抜本改善が、何よりも求められている。」(宮岡悠、本紙より)
 パネリストは、青木理(ジャーナリスト)、宮本弘典(関東学院大学教授)、山下幸夫(弁護士)の三名である。
メディアの役割
 青木報告は、冒頭に、一九七六年のロッキード事件における田中角栄首相逮捕や、一九八九年のリクルート事件における調査報道の「金字塔」(竹下政権の崩壊につながった)以来、「権力悪を撃つ」「巨悪を撃つ」という大いなる勘違いが始まったと振り返る。なるほど、それ以来、調査報道と特捜検察の活躍によってほぼ毎年のように腐敗政治家が逮捕された。スクープの時代であった。しかし、メディアと特捜の蜜月は何を産み出したか。第一に、メディアによる垂れ込み、特捜捜査開始、メディアによる巨悪叩きという一連の流れは、メディアによる「チクリ」構造をつくり上げた。しかも、検察批判はタブーとなった。警察不祥事はメディアが暴いたが、検察批判はできなくなった。それを破ったのが今回の朝日新聞記事である。メディアと検察の蜜月が崩れ始めた。この間、流行語となったように「国策捜査」の批判的解明は二〇〇六年から始めた。検察に狙われ追い落とされた政治家や官僚が使った言葉が「はじめにストーリーありき」であった。否認すれば保釈のない「人質司法」、代用監獄を利用した密室取調べ、弁護人接見の異常な制約、自白の強要にもとづく九九・九%有罪の「暗黒地帯」が現在の刑事司法である。可視化と証拠リスト開示、特捜廃止、自己完結型制度の改革(捜査と公訴権の独占の見直し)など数々の課題が指摘された。
解体されなかった検察
 宮本報告は、かつての戦時刑事特別法が現在の刑事司法を貫いていることを指弾した。治安維持法や国防保安法は解体され、新憲法と新刑事訴訟法によって刑事司法は大幅な衣装変えをした。刑事訴訟法学は、戦後改革を肯定的に評価してきた。しかし、証拠法は、一九四〇年代の戦時刑事特別法がそのまま残っていると見るべきである。大正刑事訴訟法でさえ検察官には強制処分権がなかったし、全証拠開示が原則であった。戦後改革で特徴的なのは、国家の暴力装置としての軍隊の廃止、警察・内務省の解体であったが、検察だけは維持された。GHQとの綱引きの結果、応急措置規定を通じて全面改革を引き伸ばした。被告人以外の供述調書には特信性(特段の信用性を担保する状況)が必要なのに、自白調書は任意でありさえすればいいとされた。検察の処分権限は一般刑事事件ではなく主に治安事件に発揮された。裁判所の任意性判断は非常に緩やかで、検察の思い通りになった。裁判所も、判決書で本来の証拠説明も必要なく、証拠の標目を示すことで足りるようになり、自由心証主義が悪用され、上訴・再審でチェックできない。暗黒裁判を打破するためには全面的改革が必要だが、当面早急に必要なのは、検察官の強制処分権の剥奪、当事者主義の貫徹、捜査段階の調書の証拠能力の制限(本人が死亡した場合などに限定すべき)であると述べられた。
全証拠開示を
 山下報告では、大阪地検特捜部事件を契機に始まったあり方検証チームや検証アドバイザーの動向紹介に続いて、まず村木事件無罪判決で裁判所が変わろうとしていることが指摘された。特捜事件を無罪にするなどと言うことは、これまでの裁判所には考えられないことであった。特捜の呪縛は、客観的証拠がなくてもストーリーに沿った調書さえあれば「質より量」で、同じ内容の調書が複数あればそれで有罪としていた。いくら調書があっても客観的証拠に合わないものは信用しないという当然のことさえ、無視されてきた。村木事件では、捜査があまりにも杜撰だったこともあるが、裁判所が検察主張を否定した。裁判所が変わろうとしているが、その流れを止めずに、コペルニクス的転換を実現することが必要である。改革については、民主党は可視化法案を出していたのに、政権についたら法案を捨ててしまい、新たに研究会を作ってゼロから始める有様である。可視化しないための研究をやっているようなものだ。証拠全面開示が必要だ。公判前整理手続きである程度出るようになったというが、被告人に有利なもの、必要なものは出さない。隠したままである。全面開示を追及する必要がある。可視化は捜査機関にとっても利益のはずだ。その意味で可視化は中立であることを強調したい。可視化した諸国では、警察も無用な疑いを避けることが出来るので、可視化が良かった、と言っている。可視化とともに弁護人立会いが必要だ。一部立会いは却って不利になることもあるので、立会い原則とすべきだ。さまざまな改革をばらばらにではなくセットで実現しなければならないとまとめられた。
参加者の声
 参加者からは、三井環元大阪高検検事などが進めている検察問題のデモへの参加呼びかけや、健全な法治国家の会が進めた前田検事に対する特別公務員職権濫用罪告発の報告があった。刑事訴訟法改革の歴史的意味についての質問に関連して、被逮捕者を悪人視し、はじき出す「善良な国民」というメッセージ装置の検証の重要性が指摘された。さらに、検察官上訴禁止も指摘された。さらに、三井環元検事が参加者として発言し、権力に安住し、濫用する検察官の意識の問題性が明らかにされた。
 報告の中では、検察改革は必須不可欠枢要な課題だが、それだけでは不充分である。代用監獄を始めとする弊害は警察改革を必要とする。警察・検察のやりたい放題を許してきたのは裁判所である。裁判所改革も必要である。権力に擦り寄る一部弁護士や刑事法学者にも問題があることが繰り返し指摘された。根本的な刑事司法改革が必要である。現実的にはあり方検証チームの結論を待たざるを得ないことになるが、元検事総長や御用学者が名を連ねるあり方検証チームのメンバー構成を見れば、根本的改革が提起される可能性はあまりない。徹底監視が必要である。       (文責・前田朗)

Friday, December 10, 2010

「軍隊は国民を殺す」

「週刊MDS」1085~1099号に隔号掲載(2009年5~9月)

非国民がやってきた!(61)

軍隊は国民を殺す(1)

 軍隊で平和はつくれない。

軍隊は国民を守らない。

 私たちは、日本国憲法9条の意義を語る際に、一方で平和の大切さ、平和主義の積極的意義を述べるとともに、軍隊が平和には役立たない、軍隊では国民を守れないことを強調してきました。国民を守らない軍隊が非国民を守らないことは言うまでもありません。

 平和学の泰斗ヨハン・ガルトングの「構造的暴力」概念が明らかにしたように、平和とは単に戦争のない状態ではありません。戦争ではなくても、平和とは言えない状態があります。生態系の破壊によって人々の暮らしの基盤が失われたり、極端な社会的な不平等によって共同体の絆が断ち切られた場合に、その社会は平和とは言えません。平和を破壊する暴力はさまざまな現れ方をします。

従来、「平和」とは「戦争のない状態」と定義されることが多かったのですが、これでは人種差別など、戦争ではないが平和とはいえない状態を理解するのが難しかったのです。そこでガルトゥングは「平和」をひとまず「暴力のない状態」と定義しました。「平和」は「暴力」をいかに定義するかにかかってきます。

「暴力」には「個人的(直接的)暴力」と「構造的(間接的)暴力」があり、「個人的暴力」のない状態を「消極的平和」、「構造的暴力」のない状態を「積極的平和」としました。「積極的平和」をより追求すべきであると主張しました。戦争がなくても、例えば食糧危機のように人々の暮らしも生命も危機に瀕している場合があります。軍事基地による被害もあります。

平和学者の岡本三夫は次のように述べています。

「積極的平和概念の内実は、経済的、政治的安定、基本的人権の尊重、公正な法の執行、政治的自由と政治プロセスへの参加、快適で安全な環境、社会的な調和と秩序、民主的な人間関係、福祉の充実、生き甲斐などであるが、このような平和指標は弾力的である。消極的平和は最も狭義に定義された固定的・静的平和概念であり、積極的平和は広義に定義された発展的・動的平和概念だということもできる」。

平和概念の再検討によって、平和学によるさまざまな理論的成果が生み出されましたが、ここでは、軍隊の存在そのものが平和を脅かすという点に注目してみましょう。

戦争と平和を対概念とすれば、抑止力としての軍隊も平和に役立つかのような外見を示すことができます。しかし、均衡理論こそが軍拡の原因であり、恐怖の核軍拡をもたらしたことは言うまでもありません。抑止力とは、より強い側が攻撃する観点に立っての抑止力にすぎません。抑止力が機能するのは、弱い側の抵抗を圧倒的に叩き潰す戦争のさなかだけです。

暴力と平和を対概念とすれば、さまざまな暴力のない状態を作り出す営みこそが平和を意味することになります。軍縮、そして非武装化こそが平和に繋がる唯一の方法なのです。

冷静に考えてみれば子どもでもわかること、それが「軍隊で平和はつくれない」「軍隊は国民を守らない」なのです。

それでは、軍隊は平和をつくろうとしても結果としてつくれないのでしょうか。国民を守りたいのに結果として守れないのでしょうか。この問いこそが本当の問いです。

<参考文献>

ガルトゥング『構造的暴力と平和』(中央大学出版部、1991年)

岡本三夫『平和学は訴える――平和を望むなら平和に備えよ』(法律文化社、2005年)

非国民がやってきた!(62)

軍隊は国民を殺す(2)

 軍隊は平和をつくろうと努力したけれども失敗するのでしょうか。国民を守ろうとしても果たせないのでしょうか。

 構造的暴力のない状態を平和と定義すれば、そうではないことに気づきます。軍隊こそが構造的暴力の最たるものだからです。軍隊で平和をつくることができないだけでなく、そもそも軍隊は平和と矛盾するのです。国民生活を破壊するのです。

 日本軍の歴史はよく知られています。沖縄戦では日本軍は住民を守りませんでした。

 近年、沖縄戦における集団死(集団自決)について日本軍の責任をもみ消すために、「軍による自決命令はなかった」などと主張して、作家の大江健三郎や岩波書店を相手にした裁判が行われました。原告は大江健三郎の本を読んでいないのに、右翼弁護士に唆されて政治的目的で裁判を起こした疑いが指摘されています。歴史を偽造するための政治裁判です。本当の問題を見えなくさせるための煙幕が多用されました。

 第1に、日本軍は沖縄を「捨石」にして本土決戦を引き伸ばし、あるいは回避しようとしました。沖縄の犠牲の上に「本土」を守ることを考えたのです。

 第2に、そのため持久戦をめざして、住民を兵力の一端に位置づけました。軍人・軍属だけでなく、現地独断の民間人徴用、非正規の学徒隊・民間防衛隊を組織させ、戦闘予定地域に多数の民間人を配置しました。

 第3に、日本軍は住民を引き連れて移動しました。県民防衛隊や義勇隊、さらにひめゆり部隊などの女性たちまでも軍が引き回したのです。日本軍は「軍民分離」の原則を一切無視しました。

 日本軍は住民の生命・安全を守る配慮は何一つしなかったといって言い過ぎではありません。激戦のさなか多数の住民が亡くなったのは、日本軍に殺されたようなものです。

 それでは日本軍は何をしたのでしょうか。

 第1に、日本軍は沖縄住民を集団死に追い込みました。事実上の自決命令があったことも知られています。仮に個別具体的な命令のなかった場合でも、状況を支配し、住民を窮地に追い込み、助けもしなかったため、精神的に追い詰められた住民には選択肢が失われていました。

 第2に、日本軍は直接自らの手で住民を殺しました。限られた地下壕に避難したため、住民を追い出して避難壕を独占したり、米軍に所在が発覚することを恐れて壕の中で住民を殺したり、死なせたりしました。住民をスパイ容疑で裁判手続きもなしに不法に即決処刑しました。そうした中で自決に追い込まれた人も多数います。

 このように日本軍は自分たちを守るために積極的に国民を殺したのです。単に見捨てたのではありません。

戦時に軍隊は国民を守りません。それどころか、軍隊は軍隊自身を守るために平気で国民を殺すのです。

 日本軍に連れまわされた住民に被害が集中し、日本軍と一緒に行動しなかった住民が生き延びたことや、日本軍がいなかった前島のように被害を受けずに住んだ場所があることを見ても、軍民分離こそが民間人を守る唯一の方法であることが明らかです。

 では、戦時でなければ軍隊は国民を守るのでしょうか。

<参考文献>

林博史『沖縄戦と民衆』(大月書店、2001年)

沖縄タイムス社編『挑まれる沖縄戦――「集団自決」・教科書検定問題報道総集』 (沖縄タイムス社、2008年)

謝花直美『証言沖縄「集団自決」――慶良間諸島で何が起きたか』 (岩波新書、2008年)

非国民がやってきた!(63)

軍隊は国民を殺す(3)

 軍隊は戦時に自国民を殺します。それでは戦時でなければ殺さないのでしょうか。

 法律上の死刑だけでなく、法律外の死刑、つまり虐殺も含めて検討した、アメリカン大学のリタ・サイモンとダグニィ・ブラスコヴィチは「ジェノサイドとデモサイド」と題して国家による大量殺人を取り上げています。

 デモサイドという言葉はジェラルド・スカリーによるものだそうですが、国家が普通の住民・市民を殺すことがデモサイドであり、少数者など特定集団を殺すジェノサイドと区別されます。サイモンとブラスコヴィチは20世紀にジェノサイドかデモサイドを行った国を約100カ国も列挙しています。

 デモサイド概念から明らかになるのは、国家は国民を守らないこと、それどころか「国家は国民を殺す」ことです。国民を殺した国家の一覧表は容易につくれますが、国民を殺さず守った国家の一覧表をつくることは決して容易ではないでしょう。「普通の国家」は国内において国民を殺し、少数者や外国人を殺し、余裕があれば外国に出かけてもっと殺すのです。一番余裕のある国がアメリカです。

 日本軍は関東大震災に際して多数の朝鮮人を殺しました。韓国併合条約以後ですから、朝鮮人は「日本人」でした。

 一般には、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」という流言飛語のため、興奮した日本人が各地で朝鮮人を殺してしまったとされています。しかし、これは不正確な表現です。日弁連調査報告によると、大震災に際して真っ先に朝鮮人を殺したのは日本軍です。

 地震発生は1923年9月1日午前11時58分です。翌2日、政府は緊急勅令の戒厳令を宣告しました。3日、東京戒厳司令官は、集会禁止、検問所設置、家屋検察など諸権利の制限を定めました。

 震災当日の1日、早くも東京府月島で日本軍兵士が朝鮮人1名を撲殺しました。

 2日、千葉県南行徳村で騎兵15連隊兵士が朝鮮人1名を射殺しました。

 3日には虐殺が広がりました。東京府両国橋付近で兵士が朝鮮人1名を射殺。東京府下谷区三輪町で朝鮮人1名を刺殺。大島町で兵士が朝鮮人を殴打したことがきっかけとなって群集・警察官も巻き込んだ乱闘となり朝鮮人200名が殺害されました。永大橋付近で朝鮮人17名が射殺。大島丸八橋付近で朝鮮人6名射殺。亀戸駅構内で朝鮮人1名射殺。千葉県浦安町役場前で朝鮮人3名射殺。

 4日、千葉県松戸で兵士が朝鮮人1名射殺。南行徳村で2名射殺。同日同所でさらに朝鮮人5名射殺。これ以外にも朝鮮人や中国人が虐殺されています。

 6600名ともいわれる朝鮮人虐殺の相当の部分は民衆によるものでしたが、日本軍が真っ先に虐殺して民衆に模範を示したのです。

 しかも、内務省が都道府県に通知を出しました。「朝鮮人が毒を投げた」という流言飛語も、民衆ではなく、当局から流されたのです。都道府県から市町村を経て降りてきた通知に基づいて、民衆は自警団などを組織して、混乱と興奮のなか朝鮮人を虐殺してまわったのです。事実上、軍や内務省が民衆に朝鮮人虐殺を行わせたのです。事件の本質は、日本政府・日本軍による朝鮮人虐殺です。それを民衆に責任転嫁してごまかしてきたのです。

<参考文献>

サイモン&ブラスコヴィチ『死刑の比較分析』(レキシントン書店、2007年)

日本弁護士連合会『関東大震災人権救済申立事件調査報告書』(2003年)

非国民がやってきた!(64)

軍隊は国民を殺す(4)

 軍隊は国民を守りません。そもそも軍隊が守る「国民」とは誰のことでしょうか。軍隊に動員された若者たちは「国民」に数えられるのでしょうか。

 自国の若者をまったく無意味に大量死させているのが米軍です。アフガニスタンとイラクにおいて、米軍が殺したアフガン人とイラク人の数は知れません。大半は民間人です。同時に米軍兵士も大量に死んでいます。戦闘だけではなく、自殺爆弾によって、地面に埋められた地雷に触れて、あるいは思わぬ事故によってイラクだけで4000人を超えたといわれます。アフガンでも1000人に迫るでしょう。

 劣化ウラン弾の重金属毒性と放射能汚染による被害も計り知れません。夥しい米軍兵士が汚染され、人体にさまざまな被害を受けています。帰国後に発病したり、家族・子どもたちに障害が生じたりしています。

 さらに戦場体験によるトラウマで病気になり、自殺した元兵士も少なくありません。

 それ以前に、アブグレイブやグアンタナモで異常な拷問や性拷問に励んでいた米兵たちは、自らの精神を冒されていたのではないでしょうか。拷問以外にも民間人虐殺や虐待の現場に居合わせた米兵たちが受けたトラウマも無視できないはずです。

 遡って考えれば、イラクに行く以前にすでに精神の荒廃が始まっています。殺人や破壊の訓練を受けて、すでに人格に見えない亀裂が入っていたというべきでしょう。自国の若者に殺人訓練を行うことで、若者の精神を蝕むのが軍隊なのです。

 こうして死んだり、自分を破壊してしまった米兵の多くが貧しく学歴のない若者で、従軍の代償として得られる奨学金で大学進学を希望しています。

 大量の兵士を無意味に餓死させマラリアで死なせた日本軍についても同じことがいえます。特攻隊も若者を無惨な死に追いやりましたが、歴史学者の藤原彰によると、例えば1942年8月から43年1月にかけてのガダルカナルの戦いで、第8方面軍は船団輸送の失敗を繰り返し補給物資を送れず、米軍上陸に対する奪回作戦に失敗しました。ガダルカナル島上陸兵3万1400名のうち戦死は6000名に対して、餓死・病死は1万5000名です。

 1943年6月から44年1月にかけてのソロモン諸島のブーゲンビル島では「座して餓死せんよりは戦って最後を全うす」という今村均司令官の精神主義的暴挙により攻撃失敗を繰り返し動きが取れなくなります。上陸兵4万のうち戦後まで生き延びたのは2万3000名にすぎません。

 1943年1月からのニューギニア戦線では、大本営はモレスビー攻略に固執して、5000メートル級の高山を踏破する無謀な作戦を強行し、投入兵力14万8000名のうち戦没が13万5000名、うち餓死が9万という惨憺たる結果に終わりました。

 これで驚いてはいけません。1944年3月に始めたビルマ(ミャンマー)のインパール作戦では、補給計画もなしに携行食糧2週間分しか持たない部隊を次々と出動させ、方面兵力30万3500名、戦没18万5000名、推定病餓死14万5000名という信じがたい記録を残しています。反省能力のまったくないのが日本軍です。

 こうして第2次大戦における戦没者230万、うち60%の140万が戦病死と推計されます。「戦死」といっても戦闘ではなく、飢え死にしただけです。大本営によって殺されたも同然の若者を「英霊」などと讃えているのです。

<参考文献>

藤原彰『餓死した英霊たち』(青木書店、2001年)

非国民がやってきた!(65)

軍隊は国民を殺す(5)

 軍隊は自国の若者に無意味な死を強制します。

自衛隊について見てみましょう。自衛官の殺人訓練は、2008年6月10日に、訓練中の自衛官の死亡事件が発覚したことで注目を集めました。

海上自衛隊第1術科学校(広島県江田島市)の特殊部隊「特別警備隊」(特警隊)養成課程で2007年9月、隊員の3曹(25歳)が15人を相手にした格闘訓練中に死亡した事件で、海自警務隊は2008年6月10日、安全配慮を怠ったとして、現場にいた教官と教育担当の小隊長ら計4人を業務上過失致死容疑で広島地検に書類送検しました。2日後に移動予定だった3曹に対する「はなむけ」と称して、対15人訓練で死なせたもので、要するに一方的ななぶり殺しです。

 自衛官の劣化ウラン弾被害は明らかになっていません。イラク派遣から帰国した自衛官について十分な医療検査が行われていないとも言われています。

 他方、自衛官の自殺は深刻です。

 1999年11月8日、和歌山県潮岬沖を演習航海中だった海上自衛隊の新鋭護衛艦「さわぎり」船内で一人の乗組員(21歳)がロープで首吊り自殺しました。生前から「上官に嫌がらせを受けている」と訴えていました。通夜に参列した分隊長もイジメがあった事実を認めていました。高級酒を貢がせ、人格を否定する暴言によるイジメです。しかし、自衛隊の調査報告はイジメの事実を否定しました。

 2004年10月、 横須賀基地に所属する護衛艦「たちかぜ」の電測員(21歳)が駅のホームから飛び降り自殺しました。遺書には、たちかぜ乗組員の一人を名指しで「お前だけは絶対に許さねえからな」とありました。たちかぜ内では、それまでに暴行や恐喝が何度も起きていました。しかし、自衛隊は暴行・脅迫と自殺の間には因果関係がないとしています。

 さわぎり事件もたちかぜ事件も、遺族は自衛隊を相手に裁判を起こさざるを得ませんでした。自衛隊は、組織の責任を隠蔽する調査報告書を作成し、裁判においても事実を否定し、証拠を隠匿して抵抗しています。

 2008年4月14日、05年11月に首吊り自殺した航空自衛隊浜松基地所属の三等空曹(29歳)の遺族が自衛隊を提訴しました。暴行や暴言による激しいイジメのための自殺です。ここでも自衛隊はイジメはなかったと強弁しています。

 日本経済新聞2008年4月16日夕刊によれば、自衛隊員の年間自殺は他の公務員の2倍です。2004年度には93人、05年度、06年度は93人も自殺しています。08年3月24日にはイージス艦「あたご」の乗組員が手首を切って病院に運ばれました。

 自殺理由は、借金問題が24%、家庭が11%、職務が4%です。「イラクへの海外派遣やテロ関連警備の強化もストレス増になっている」との内部の声もあるそうです。ところが、自殺の約6割は「その他・不明」と分類されています。6割というのは異常な数字です。実際はイジメによるのではないかと推測されていますが、自衛隊はそれを否定します。あくまで理由は不明なのです。

 2008年8月25日、福岡高裁は、さわぎり事件について「自殺は隊内のイジメが原因」として、国に遺族への賠償を命じました。もはや自衛隊員が隊内のイジメによって自殺に追い込まれていることは否定しようがありません。

<参考文献>

三宅勝久『悩める自衛官――自殺者急増の内幕』(花伝社、2004年)

三宅勝久『自衛隊員が死んでいく』(花伝社、2008年)

非国民がやってきた!(66)

軍隊は国民を殺す(6)

 「権力は殺す。絶対権力は絶対に殺す。この新しい権力原則こそ、今世紀における戦争原因に関する私の従来の研究およびジェノサイドと政府大量殺害に関する本書に端を発するメッセージである。政府が権力を持てば持つほど、政府はエリートの気まぐれや欲求に従って、ますます恣意的に行動するようになり、他国への戦争や、外国人住民や自国民に対する殺害を始めるだろう。政府権力が抑制されればされるほど、権力は拡散し、監視され、均衡が取れるようになり、他国を攻撃したり、デモサイドを行うことが少なくなる」。

 ルドルフ・ラメル(ハワイ大学名誉教授)は、ジェノサイド、政府大量殺害、デモサイド(民衆殺害)についての研究『政府による死』冒頭にこの言葉を配しています。ラメルは「20世紀デモサイド」と題する表を掲げています。1987年までの統計をもとに、1994年にラメルがつくった表です。そこでは大量殺害を5段階に分類しています。

第1は、最大規模の「デカ・メガ殺害」。ソ連邦(1917~87年)におけるデモサイドは6191万人、現在の中国(1949~87年)は3524万人、ナチス時代のドイツ(1933~45年)は2095万人、内戦と戦争の時代の中国(1928~49年)は1008万人とされています。さらに、国内における殺害とジェノサイドを区別しています。ソ連邦の場合、国内における殺害が5477万、ジェノサイドが1000万です。殺害率は0.18%となっています。

 第2は、「レッサー・メガ殺害」。日本(1936~45年)、596万。クメール・ルージュ(ポルポト派)のカンボジア(1975~79年)、204万。オスマン・トルコ時代のアルメニア・ジェノサイドなどでトルコ(1909~18年)、188万。ポーランド(1945~48年)、159万など。日本の場合、国内における殺害とジェノサイドに区分した数値は不明とされています。カンボジアの場合、国内における殺害は200万、ジェノサイドは54万、殺害率は8.16%です。ポーランドの場合、国内における殺害のすべてがジェノサイドで159万、殺害率は1.99%です。

 第3は、「メガ殺害の疑い」です。朝鮮(1948~87年)、166万。メキシコ(1900~20年)、142万。帝政ロシア(1900~17年)、107万。メキシコの場合、国内における殺害が142万、ジェノサイドは10万、殺害率0.45%です。

 第4は、「センチ・キロ殺害」。戦争期の中国(1917~49年)、91万。アタテュルク時代のトルコ(1919~23年)、88万。イギリス(1900~87年)、82万。独裁政権期のポルトガル(1926~87年)、74万。インドネシア(1965~87年)、73万。トルコの場合、国内における殺害が70万、ジェノサイドが88万、殺害率が2.64%です。

 第5は、「小規模殺害(レッサー殺害)」。表には具体例がのっていませんが、本文中には、アフガニスタン、アンゴラ、アルバニア、ルーマニア、エチオピア、ハンガリー、ブルンジ、クロアチア、チェコスロヴァキア、インドネシア、イラク、ロシア、ウガンダがあげられています。そして、「ドイツと日本の文民に対する無差別爆撃ゆえに、アメリカもこのリストに追加されねばならない」としています。

 5段階のメガ殺害の集計として、ラメルは20世紀(1900~87年)におけるデモサイド総数は、1億5149万人としています。2000年までの集計をすれば、数字はどのくらい跳ね上がるのでしょうか。

<参考文献>

ルドルフ・ラメル『政府による死(第6版)』(トランザクション出版、2008年[初版1994年]

非国民がやってきた!(67)

軍隊は国民を殺す(7)

 20世紀における世界のデモサイド(民衆殺害)とジェノサイド(集団殺害)を研究したルドルフ・ラメル(ハワイ大学名誉教授)は、主要なデモサイド事例21を列挙しています。さまざまな資料や統計に依拠しているため、叙述が一義的でない面もありますし、歴史的に検証されたといえるか否かは争いもありえますが、概ねの理解を得るには十分なものです。

第1にソ連邦の強制収容所(1917~87年)が犠牲者3946万人。続いてユダヤ人ホロコースト(1942~45年、529万人)。ウクライナの意図的飢餓(1932~33年、500万人)。中国土地改革(1949~53年、450万人)。ソ連の集団化(1928~35年、313万人)。カンボジア(1975~79年、200万人)。中国文化大革命(1964~75年、161万人)。ポーランドによるドイツ人排斥(1945~48年、158万人)。ベンガル地方のヒンドゥー・ジェノサイド(1971年、150万人)。アルメニア・ジェノサイド(1915~18年、140万人)。スターリンの大粛清(1936~38年、100万人)。セルビア・ジェノサイド(1941~45年、66万人)。インドネシア大虐殺(1965~66年、51万人)。ウガンダ大虐殺(1971~79年、30万人)。ヴェトナムのボートピープル(1975~87年、25万人)。スペイン内戦(1936~39年、20万人)。南京大虐殺(1937~38年、20万人)。コロンビア虐殺(1948~58年、18万人)。ブルンジ虐殺(1971~72年、15万人)。東ティモール虐殺(1975~87年、15万人)。ドイツによるナミビア虐殺(1900~18年、13万人)

ここには1990年代の旧ユーゴスラヴィア、ルワンダ、その後のスーダンのダルフール・ジェノサイドなどは含まれていません。ヒロシマ・ナガサキも、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争などにおける米軍による民衆殺戮も含まれていません。

ラメルはさまざまな観点での分析が可能であることを示しています。例えば地域別に見ると、旧ソ連邦地域、アジア、欧州、アフリカなどの人口構成とデモサイドの率を比較することができます。あるいは民主主義国家・権威主義国家・全体主義国家の比較も可能です。もっとも、こうした分析は時にイデオロギー論争の種にもなります。重要なことは、いかなる国家体制のもとでデモサイドが多いのか、少ないのかではありません。民主主義国家でさえもデモサイドを経験していることに注目するべきでしょう。

ラメルは「デモサイド対戦場の死」という比較もしています。非民主的国家と民主的国家の対比も含まれていて、非民主的デモサイドが82.2%、非民主的な戦場の死が14.6%、民主的な戦場の死が2.2%、民主的なデモサイドが1%といいます。

かくしてラメルは、デモサイドや惨事についての知見に合致するような政府概念の再構築が必要であるといいます。従来の政治学における政府や政策の概念は、政府や政策が住民のための安全や福祉を提供する積極的な意味合いだけを基にして定義されています。ラメルが提起しているのは、逆の事態です。デモサイドの現実に見合った政府・政策の理解が求められます。「実際、ジェノサイド、殺害、死亡、処刑、虐殺に言及した政治学や政策論の書物を見出すことができないのだ。ソ連邦や中国に関する書物でさえそうである。強制収容所、労働収容所について、たかだか一小節触れられることはあるが、これらが指標とされることはない」とラメルは言います。

 ラメルの結論は単純明快です。「戦争を終わらせ、デモサイドを根絶する方法は、権力を制限・監視し、民主的自由を育てるしかない」。

非国民がやってきた!(68)

軍隊は国民を殺す(8)

 軍隊で平和はつくれない。

軍隊は国民を守らない。

この言葉の意味は、軍隊は国民を守ろうとしても守れないということではありません。軍隊はそもそも国民を守らない。むしろ、まず国民を殺すものだということです。

それでは軍隊とは何なのでしょうか。その定義を明らかにしないまま議論を進めてきました。従来の軍隊の定義自体が必ずしも適切とは思われないからです。一般に軍隊は、一定の組織編制のもとにある軍人集団と定義されます。これでは定義になっていません。軍人とは何かが明示されていないからです。それでは軍人とは何でしょうか。軍隊構成員ということになります。別の定義では、軍隊とは陸・海・空の武装勢力とされます。武装勢力とは軍人などの武装した団体のことですから、これも定義になっていないのです。

国際法上は、交戦権を有する存在が軍隊とされます。その特徴は、責任ある指揮官に指揮され、軍隊と識別しうる標識を有し、武器を公然と保持し、戦争法規を遵守するものを指しています。交戦権の主体とは、一部の例外があるとはいえ、実質は国家(または国家となろうとする勢力)です。りんごと識別しうる標識を備えたものがりんごだと言っているにすぎません。

要するに、国家の暴力装置のひとつが軍隊なのです。近代以前であれば、国家と軍隊とが論理必然的に結びついていたわけではありませんが、近代以降は国家と軍隊は不可分の存在となっています。ですから、軍隊の定義は国家概念に依存せざるをえません。

 ところが、国家の定義も非常に不十分です。イェリネク以後のもっとも有名な国家3要素説は、国家とは領土・人民・主権から成るとしていますが、国家の要素を羅列しているだけです。さまざまな国家学説は、国家イデオロギーを説明したり、国家構造を解明したりしますが、国家の現実を説明しません。

 国家の要素、イデオロギー、構造を抽象的に解明する国家学説は、理念的な国家の論理を明らかにしていますが、国家のタテマエを表明しているにすぎません。

 国家の存立がいかなる論理に依拠しているのかを解明する理論も、形成された国家のあれこれの現象を説明するだけです。国家形成過程における排除と統合の実態を踏まえているとはいえません。

 国家が国家として形成・存立するために、軍隊や警察という暴力装置を独占し、徴税や各種立法という権力を行使することは自明のことですが、暴力装置が何に対して向けられるのかを注意する必要があります。

 国家暴力装置は、対外的には自らの国境を確定するために、自国領とそれ以外、自国民とそれ以外を区別するために発動されます。それだけではありません。国家暴力装置は同時に内部に対しても発動されなければなりません。統合と排除とは1つの過程の2つの側面です。

 ここで国民概念も問い直す必要が出てきます。国家形成以前に当該国家の国民が自立的に存在していることはありません。国境画定によって外部を排除するとともに、内部に抱え込んだ異質分子を同定(または排除・せん滅)しなければ、国民国家はそもそも形成できません。

 国家は国民/非国民を必要とします。非国民を排除・せん滅することなしに、国民を同定することは容易ではありません。国民の中に非国民を探り、狩り出します。軍隊は非国民を殺し、非国民候補を殺します。そうして初めて国民を形成できるのです。国民国家とはつねに同時に非国民国家でなければならないのです。結局、国家は国民を殺します。国民を殺さなければ国家になりえないといって過言ではありません。

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(23)すうぇ~でん・だらるな


北欧諸国もスカンジナビア・ポップスヤロックが盛んですが、ふぉ~く・みゅ~じっくを聞くとほっとします。


このCDのダラルナ地方の伝統的バイオリン・サウンドは人々の日常の暮らしや冠婚葬祭の音楽です。


カール・ヨハンの行進曲

もっとも美しい朝

オマス・パーによるジャンピング・ゲーム

マクリンの結婚行進曲

悲しみの力

悪魔の糸巻き

狂った糸巻き

心から君を愛す

幸せの歌

レジスメ・パーのワルツ