Friday, January 07, 2011

『あしたのジョー』再読(1)

無罪!08-02「法の廃墟」(21)

「真っ白な灰に燃え尽きる」

 「社会が『自由』になっても、私は『不自由』だ。多くの人々は、そのように感じていないだろうか。/世の中とは逆説的なもので、社会が自由になればなるほど、人は自由を享受できなくなることがある。社会の自由と引き換えに与えられるのは、生の焦燥や空漠であるという現実。現代人は、そのような剥奪感のなかで、ふたたび自由を疑いはじめている。」

 このように始まる、橋本努『自由に生きるとはどういうことか――戦後日本社会論』(ちくま新書、二〇〇七年)は、「自由に生きる」という理想について「戦後日本人の時代経験を追いながら考察」している。その際、論壇や学問世界における自由論を追跡するのではなく、高度成長期の「下からのスパルタ教育」(女子バレーボールの大松監督)、六〇年代後半に「闘争における生の完全燃焼」を提示したマンガ『あしたのジョー』、七〇年代以後に「がんじがらめの社会からの自由」を歌った尾崎豊、「大きな物語」が崩壊した九〇年代に「終末の時代の自由」を模索したオウム真理教、「ものわかりのよい社会」における自由を問い直した『新世紀エヴァンゲリオン』などを題材に、一面では文化の表層をリサーチしながら、同時に社会の深層に切り込もうとする意欲的な分析を展開している。その手つきは鮮やかといってよいだろう。

 二一世紀の格差社会の現状を踏まえての結論はこうである。

 「おそらく私たちは、社会が自由になっても不自由にしか生きられないからこそ、『もっと自由な社会』について、あれこれと空想するのであろう。自由は必然的にユートピアにとどまるものだが、そのユートピアが駆動因となって、社会の制度変革が導かれていく。だから自由主義は、『空想的自由主義』とならなければならない。イマジネーションが枯渇してしまえば、私たちはもはや、自由の大切さを認めることができないであろう。」

 『帝国の条件――自由を育む秩序の原理』(弘文堂、二〇〇七年)の著者によるコンパクトな「自由論再入門」の全体については、本書の一読をオススメするにとどめる。ここで本書を紹介したのは、『あしたのジョー』に言及しているからだ。

 「疎外の克服」と「資本主義の矛盾の解決」を「団塊世代の青春」に読み解く橋本は、マルクス主義では資本主義の矛盾は解決できないと考えた若者たちが、「あえて矛盾を受け止めて、燃え尽きる」という『あしたのジョー』に一つの理想を見出し、「自己否定」の徹底により新たな人間になる道を歩んだとの仮説を提示する。「フォークの神様」岡林信康、安田講堂事件、全共闘の「溶解志向」を瞥見した上で、『あしたのジョー』を解読する。スペースの都合からであろうが、論点は二つに絞られる。

第一は、「矢吹丈と力石徹」であり、野生の闘争本能である。野生児ジョーと、常軌を逸した減量に取り組んだ力石という二つの闘争本能の激突と、悲劇的な力石の死。著者は力石の死を「六〇年代の終焉を象徴する死」と位置づける。

第二は、「ジョーとメンドーサ」である。世界チャンピオンのホセ・メンドーサに挑むジョーの最後の決戦である。橋本は、野生児ではなく、「無口で静かなマイホーム・パパ」であるメンドーサにジョーが敗北したことを「六〇年代後半の理想の終焉と、七〇年代の幕開け」と見る。

「真っ白な灰に燃え尽きる」ことが自由ならば、メンドーサに敗れたジョーにとっての「自由」とは何か。そこから橋本は尾崎豊へと視線を転じる。

基本構図をどう見るか

橋本のシャープな視点の提示と分析に異論を唱えようというのではない。むしろ、一九六七年生まれの、『あしたのジョー』に同時代として触れていない橋本が、現代社会における自由論の中でこのような議論を展開していることに敬意を表したいほどだ。

世代論で物事を語るつもりはないし、『あしたのジョー』を世代論的に読み解く作業自体、別の論点を整理しておかないと難しいと思うが、それでも橋本の問題提起は、懐かしく、そして斬新だ。「懐かしく、そして斬新だ」などと矛盾したことを書くのは、橋本の問題提起と同様のことは、すでに当時から語られていたし、共有されていたと感じると同時に、これだけシャープには明示されてはいなかったようにも思うからだ。

力石徹が死んだ時に、寺山修司らが「告別式」を開催したことや、「よど号ハイジャック事件」の田宮高麿が「我々はあしたのジョーである」との言葉を残したことも、現在から見ればナンセンスではあっても、同時代の意識にはある程度共有されていただろう。

一九五五年生まれのぼくは、小学校低学年までは『少年画報』『冒険王』を手にしていたが、友人宅で『少年マガジン』を読んでいたので、『巨人の星』(梶原一騎原作、川崎のぼる画)は全編もれなく初出時に読んでいる。一九六八年一月に連載の始まった『あしたのジョー』(高森朝雄原作、ちばてつや画)は、完全ではないが、大半を初出で読んだ。もっとも、高森朝雄が梶原一騎と同一人物であるなどとは夢にも思わなかったが。

一九五二年生まれの蕪木和夫は、『巨人の星』にカルチャーショックを受けて、「梶原劇画の圧倒的なパワーの魅力」に取り付かれてマンガ原作者になった(蕪木和夫『劇画王梶原一騎評伝』風塵社、一九九四年)。

一九五八年生まれの斎藤貴男は、幼稚園の頃に『少年マガジン』に出会い、雑誌を置いてある床屋や食堂を覗いて、読みまくった。「巨人軍の投手になって背番号16をつける」はずだったが、ジャーナリストになって梶原一騎の伝記を書いた(斎藤貴男『夕やけを見ていた男――評伝梶原一騎』新潮社、一九九五年)。

全共闘世代の読者も、全共闘には遅れてきた世代の読者も、橋本の問題提起を基本的には了解するのではないか。

この先は、当時からのぼくの印象になるのだが、『あしたのジョー』の基本構図をどう見るかについて考えてみたい。学生時代、水道橋にあったウニタに出入りしては各党派の雑誌を立ち読みしていた。ぼく自身は党派に属したことがなく、<ノンセクト・アンチラディカル温泉派>と称して伊豆の民宿で遊んでいたのだが。当時、目にした雑誌に「矢吹丈と力石徹の弁証法」という言葉が並んでいたのを思い出す。その世界では有名なフレーズのはずだ。

「矢吹丈と力石徹」「ジョーとメンドーサ」――これが『あしたのジョー』の基本構図と理解されている。当時も今も。当たり前のことで、これに異論を唱えようというわけではない。

しかし、一点追加したい。「矢吹丈と白木葉子」――これこそ『あしたのジョー』全編を貫く基本構図なのだ、と。連載後半の頃からぼくはこう思っていた。後には、この観点が強調されなかったことと、梶原一騎の後半生とをつなげて解釈するのが妥当ではないかと考えるようになった。