Saturday, March 05, 2011

グランサコネ通信2011-05

グランサコネ通信2011-05

2月28日

1)ストラスブール

週末は、急に思い立って、ストラスブール(フランス)に行ってきました。原稿締め切りに追われていたのに、なんとかなりそうになると、つい出かけてしまいます。帰ってきてから、原稿締め切りに泣くのはいつものこと(苦笑)。

ストラスブールに行ったのは、ヨーロッパ評議会とヨーロッパ人権裁判所を見るためです。ただそれだけ。人権理事会の関連文献を見ていたときに、そういえばジュネーヴから近いのに、ストラスブ-ルに行ったことがないことに気づきました。

近いのに、実は直線距離ではいけなくて、遠回りするため、結構遠いことが分かりました。ジュネーヴからバーゼルへ、そしてバーゼルからストラスブールへ。まっすぐ直線でインターシティが通じていれば2時間のはずなのに、遠回りなので5時間近くかかります。フランス側から見ると、パリからストラスブールへ、そしてストラスブールからドイツその他の周辺諸国へ、という位置です。

ストラスブール駅は「芋虫状態」でした。古い駅舎の前面に芋虫イメージのカバー。駅前から1時間ほど歩いてクレバー広場、カテドラルなどを見物。タクシーでヨーロッパ評議会と人権裁判所を見て、あとはのんびり。

往復の車中で読もうと思って持参したのが、ジョージ・レツアス『ヨーロッパ人権裁判所の解釈理論』(オクスフォード市大学出版、2007)です。140ページなので入門書だろうと思って、お勉強用に持参したのですが、違いました。著者は、『法の帝国』の大家ロナルド・ドウオーキンの弟子で、ロンドン大学講師。もとはギリシアのパブロス・スーラスという教授の弟子だそうで、ギリシア人かも。本書は著者の博士論文をさらにブラッシュアップしたものです。難しくて、とても手軽に読めるような代物ではありませんでした。ストラスブールへの往復10時間近くかかってようやく30ページ。

著者の問題意識は、ヨーロッパ人権裁判所が、その成功ゆえに困難を抱えることになってきたという評価をいったんは下し、それはなぜかと問うものです。法理論的には、妊娠中絶の権利、自殺の権利、ホロコースト否定の出版の権利など、激しい争いになったテーマについて、ヨーロッパ人権条約にはその是非が明記されていないので、その問題が裁判所に持ち込まれると、裁判所は、文言解釈だけで結論を出すことができないため、当該テーマの道徳的次元や政治的次元に積極的に踏み込んだ価値判断を行い、その判断を次に法解釈として説得的に構築しなくてはなりません。死刑廃止のように条文に明記されていれば、そういう苦労はありません。「ダメだと書いてあるじゃないか」で済みます。

裁判というのは因果なもので、与えられている条件の下で一定の結論を出さなくてはならないのです。「わかりません」というわけにはいきません。刑事裁判なら、有罪の立証がない限り無罪、分からなければ無罪が当然ですが、法理論が争われる裁判はそうはいきません。裁判官自身の思想と論理がもろに問われます。

この問題の方法論的考察が中心で、法規範の自律性や、リベラリズムの法解釈方法論や、説得のための論証の構えなども取り上げられます。

ただ、著者はもう一つの事実に関連付けています。ヨーロッパ評議会は、1992年までは23カ国だったのに、2004年には46ヶ国になっています。このことが、大きな影響を与えているのです。仏独などヨーロッパ評議会設立諸国の間で共有されてきた価値観が、46カ国に共有されているわけではないため、思いがけない形で新しい論点が浮上し、裁判所はそれに解決を与える必要性が出てくるというのです。

とてもおもしろい課題ですが、私には本文をさっと読む能力がありません。本書は、辞書を引きながら、メモをとりながらでないと、無理です。日本は、ヨーロッパ人権裁判所のような地域的人権機構に属していないので、本書は日本とは関係ないというわけではありません。人種差別撤廃委員会や女性差別撤廃委員会など国際人権諸条約の政府報告諸制度がありますし、国際自由権規約の選択議定書批准問題もあります(死刑反対といいながら死刑執行した元法務大臣が、選択議定書批准の方向性を示していましたが、その後動いていないようです)。

2月26日、ストラスブールの旧市街中心部に近いクレバー広場に、アゼルバイジャンの人たちが集まっていました。アルメニアによるアゼルバイジャン侵略に抗議する1日アクションです。アルザス・ロレーヌ地方から集まってきたアゼルバイジャン人30人くらい。うち子どもが10人くらいです。「ナゴルノ・カラバフの虐殺を初めとする侵略と虐殺を国際裁判にかけろ」というデモンストレーション。トルコによるジェノサイドの被害者がアルメニア。でもアゼルバイジャンの人たちはアルメニアによる被害を訴えています。しかも、同じ地域にはクルド人がいて、懸命に運動しています。日本でもクルド人の代弁をする人はよくいます。私もクルド映画ファン。でも、クルド人がいま居住している地域の一部は、もともとアルメニア人が住んでいた地域だったりします。誰が誰を侵略し、攻撃したのかが、ますます見えにくくなっています。加害と被害が入れ替わり、交錯し、ついにはぐちゃぐちゃになる。そして--。

ARGIANO,Rosso Di Montalcino 2006。

2)セルビア報告書

セルビア政府代表団は10人ほど。プレゼンテーションは人権省副大臣(大臣秘書?)の女性が中心に行いました。NGOはほとんどいませんでした。NGOその他の座席は40ほどです。ノルウェーやアイルランドの審査の時は満席に近くなりました(日本政府報告書審査の時は座席が足りなくなるのではと心配したくらいです)。しかし、セルビアの時は10人しか居ませんでした。その多くは常連さん、つまり世界の人種差別をフォローしている国際NGOの人たち。うち2人が日本人でした。セルビアからきたNGOがいたのかどうか。

セルビアといえば、1990年代初頭のユーゴスラヴィア紛争、そして1990年代後半のコソヴォ紛争です。今回の報告書は第1回報告書ですので、注目が集まるはずですが、なぜかメディアもNGOも全然注目していません。喉もと過ぎればの典型。

第1回セルビア報告書(CERD/C/SRB/1)

セルビアで注目すべきは、2009年3月の反差別法の制定です。憲法第21条1~3項は、すべての市民は平等であり、差別のない平等の権利を有するとしています。間接差別も禁止しています。2009年反差別法第1条1項は、差別の一般的禁止、差別の諸形態と諸事例、差別からの保護手続きを規定しています。同上2項は、独立機関としての平等保護委員会を設立することにしています。第2条1項は、「差別」と「差別的取扱い」を定めています。人種、皮膚の色、市民権、国民的出身、民族的出身、言語、宗教または政治的意見、性、ジェンダー・アイデンティティ、性的志向、財産状態、犯罪歴、年齢、政治・労組・その他の組織の構成員であること、その他の人的特徴に基づいて、公開で、人又は集団、その家族構成員、その身近な人に関して、不正な差異化又不平等な行動又は不作為(排除、制限、特権付与)が、差別とされています。第5条は、差別の諸形態として、直接差別、間接差別、平等権・義務原理違反、人の責任を問うこと、差別を行う団体、ヘイト・スピーチとハラスメント、品位を傷つける取り扱いを掲げています。差別の重大深刻な諸形態について、第13条は次のものを列挙しています。不平等の教唆・煽動。国民的、人種的、宗教的関係、政治的関係、性、ジェンダー・アイデンティティ、性的志向、障害に基づく憎悪と不寛容。奴隷制。人身売買。アパルトヘイト。ジェノサイド。民族浄化。それらの煽動。当局による煽動又は差別。

刑法第128条は、他人の憲法上の権利を剥奪、又は制限した者を三年の刑事施設収容としています。公務員が公務遂行上行った場合は三月以上五年以下です。

刑法第317条は、セルビアに居住する人々及び民族コミュニティの間に、国民的、人種的、宗教的憎悪又は不寛容を煽動し、悪化させた者を六月以上五年以下の刑事施設収容としています。

刑法第387条は、人種、皮膚の色、国籍、民族性、その他の人的特徴に基づいて、普遍的に受け入れられた国際法と国際条約の法則によって保証された基本的人権と事由を侵害した者は、六月以上五年以下の刑事施設収容としている。

1992年から2008年までに内務省が訴追したのは366事件、572人である。事件数は、9(1992年)、8(1993年)、4(1994年)、7(1995年)、5(1996年)、5(1997年)、7(1998年)、13(1999年)、12(2000年)、13(2001年)、18(2002年)、14(2003年)、34(2004年)、54(2005年)、49(2006年)、52(2007年)、62(2008年)。

刑法第317条違反が268件で73.2%。刑法第131条(宗教や宗教儀式妨害)違反が70件。刑法第129条(言語の権利妨害)違反が20件。刑法第174条違反が5件。刑法第387条違反が2件。刑法第128条違反が1件。

2004年、内務省が、少数者保護のために、憎悪に動機付けられた事件を前件訴追を全国の警察に指示したので、事件数が増えた。

憲法第5条1項は、憲法体制の転覆、人権や少数者の権利侵害、憎悪の教唆を目的とする政党活動を禁止している。憲法第55条4項は、そうした団体を禁止する権限を憲法裁判所に与えている。市民組織法、政党法も各種規定を用意している。これまで憲法裁判所が実際に禁止決定を出したことはない。なお、放送法や公的情報法も差別禁止を定めている。

旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷との協力法があり、協力を続け、ジェノサイドや人道に対する罪についての刑事法廷の管轄権を受け入れてきた(詳細は省略)。

2003年10月、ベオグラード地裁戦争犯罪部が設置され、刑法第370~387条、重大な国際人道法違反を取り扱っている。

3)木村元彦『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンデネグロ』(集英社新書、2005)

人種差別撤廃委員会でセルビア報告書審査があるので、この本を持ってきて、読みました。2000~04年の情報に基づいていますが、コソヴォ空爆とそれ以後を取り上げて、現地取材の成果を惜しげもなく提示している本で、とても参考になります。現場の情報に基づいていないと、メディアや「誤用」評論家を批判して、民族浄化はセルビア側だけではなく両方にあったこと、コソヴォ空爆で問題解決などしていなくてその後も多数の行方不明者(拉致、失踪)が続いているのに国際社会が無視していること、一方的な情報だけで報道がなされていること、一方的な情報だけで旧ユーゴ国際法廷の裁判が動いていることなど、さまざまな論点を登記しています。私にとって参考になったのは、もちろん、人種差別撤廃委員会のセルビア政府報告書審査に関連して、政府報告書には絶対出てこない情報や、視点を考慮するために、ということです。

「セルビア民衆による十月革命」も実はCIAによる仕込みがあったことも具体的に明らかにしています。旧ユーゴ崩壊過程での数々の「民衆革命」について、CIA関与疑惑は当時から語られていて、ある意味では「陰謀論」となっていましたが、「民族浄化」がアメリカの広告会社の宣伝用文句であったことを初め、さまざまなCIA疑惑は、その後、かなり証拠も出ていました。本書でも裏づけをしています。つまり、旧ユーゴにおけるCIA謀略は「陰謀」ではなく「事実」であったと言ってよいのが現状です(CIA関与があったから、だからどうなのか、については意見が分かれます)。それでもこれを「陰謀論」に数えている人が日本にもいます。しかし、「9.11陰謀論」とは明瞭に区別するべきでしょう。ただ、この種の議論は、ただちに、現在進行中のチュニジア以後の事態にもかかわるので、議論は難しいところです。

4)新藤信『クレーの旅』(平凡社、2007)

楽しい本です。こういう本を出せるなんて著者がうらやましい。著者は、基本的には「日本パウル・クレー協会」の新藤信。加えて、インタビュー記事では、奥田修(パウル・クレー・センター)、そして一文を書いている林綾野(当時、日本パウル・クレー協会)。主にクレーのチュニジア旅行を取り上げて、クレーの日記、及び現地調査に基づいた考察が述べられています。

素人にも読みやすく、しかも、クレー研究の最新成果を踏まえているので、実におトク。クレーの場合、ここが重要です。「素人」と「研究」。なぜなら、クレーほど素人受けする画家は、そう多くありません。ピカソやミロもいますが、クレーの天使には勝てないでしょう。ところが、クレーほど一筋縄でいかない画家もそう多くはありません。そのことは、日本で言えば、前田富士男、奥田修、宮下誠といった研究者によって論じられてきました。緻密に計算された日記で人を欺くクレー。ルールをいとも簡単に破るクレー。作品を切ったり貼ったりするクレー。シュルレアリストじゃないのにシュルレアリストのふりをするクレー。ナチス・ドイツに弾圧されて逃げるクレー。作品の中に見えない仕掛けを施すクレー。世界を反転させるために。同時に、自分の作品を高値で売るために。たまらない魅力です。その魅力満載の本が最近は増えていて、読者冥利につきます。

1月、私は、2月に、クレーの旅を追跡するためにチュニジアに行こうと準備していて、ホテルを予約し、航空券の手配もしていましたが、1月のある日、あの日、突然、なんとチュニジアの大統領が逃げ出して、びっくり。わお~~~、というわけで、旅行をキャンセルせざるをえませんでした。それだけに本書には、涎が出そう、の一言。

5)佐藤文隆『職業としての科学』(岩波新書、2011)

岩波新書の『宇宙論への招待』で知られ、その他多くの新書で「科学」案内をしてきた著者の「科学社会学」です。科学論ではなく、これからの科学政策の方向性を探るために、近代西欧科学と科学者の展開過程をトレースし、日本の科学と科学者の歴史も踏まえて、現在を転換期と位置づけ、今後の日本では「科学技術エンタープライズ」で科学者の雇用を拡大し、子どもたちが科学に夢を持てるような政策をとるべきとしています。いわゆる「自然科学」のことです。「マッハ対プランク」「ポパー対クーン」のエピソードや、「制度としての科学」について論じる中での「フェルミ問題」など面白く読めます。著者の考える科学の将来像がよいのかどうかはわかりません。本書がおもしろいのは、著者が自ら属してきた科学の世界を、とても大切にしながら、同時に、少し突き放し、その間で思考を試みていることがよくわかるからです。

湯川、朝永が出て来て、坂田は出てきませんが、武谷は出てきます。武谷は、自然科学だけではなく、科学一般、つまり社会科学にも多少の影響を与えていましたから、私も当時(1980年代前半)は何冊も読みました。たぶん、私の世代が最後でしょう。その後(1990年代には)、社会科学の分野で、武谷を読む人は、まずいなくなりました(他の分野でどうかは知りませんが)。そのことをどう評価するべきか、私には今も判断しかねるところです。今から思えば、一方で、自然科学についてあれほどイデロギー的なのに、他方で、なぜ社会科学についてイデオロギー・フリーのような議論をすることができたのだろうと、大いに疑問に思います。イデオロギーから完全に自由な科学などないにしても、自然科学よりも社会科学のほうが、よりイデオロギー的なはずだ、と思うので。とはいえ、私自身にとっては、武谷を読んだことが無意味とは思っていません。武谷を通過したことで、私が得たことがたくさんあったと思っています。

おまけ。--著者には、山本義隆への評価を書いて欲しかった。自分が思っている「科学」だけを一方的に書くのが「科学的」なのか。そうではないのなら。そろそろ、佐藤文「隆」と山本義「隆」の「隆隆対談」とか、誰か仕掛けてくれないか。