Wednesday, May 25, 2011

『光る風』再読(法の廃墟37)

生ける軍神





前に『あしたのジョー』と『カムイ伝』を取り上げた。同様にぼくらの青少年期の画期となる漫画を取り上げるとすれば、手塚治虫の諸作品は別格として、何が相応しいだろうか。ゴルゴ13、ドカベン、がきデカ、パタリロ、あぶさん、銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマト、ドラゴンボール等々、時代を賑わした傑作漫画は数々あるが、『あしたのジョー』や『カムイ伝』のように「時代と激突した作品」とは言い難い。漫画というのは好き嫌いが相当なウエイトを占めるので比較しにくい面もあるし、少年漫画と少女漫画も比較しにくい。里中満智子『あすなろ坂』『アリエスの乙女たち』や、萩尾望都『ポーの一族』、竹宮恵子『風と木の詩』も屈指の傑作だし、ベルバラも落とすわけにはいかない。



しかし、「あの時代」を「現在(いま)」と繋げて考えるためには、『光る風』こそ、時代を証言する漫画として想起しなければならない作品だ。



長いこと忘れていた『光る風』を思い出したのは、二〇一〇年の映画『キャタピラー』(監督・若松孝二)のためだ。『キャタピラー』の前半の粗筋は次のようなものだ。



「一銭五厘の赤紙一枚で召集される男たち。シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、『生ける軍神』と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰える事の無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じはじめる。久蔵の食欲と性欲を満たす事の繰り返しの日々の悲しみから逃れるように、シゲ子は『軍神の妻』としての自分を誇示するかのように振る舞い始める」(同映画公式サイトより)。



「盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった」が「四肢を失った無残な姿で」帰って来たのは久蔵だけではない。『光る風』の主人公・六高寺弦の兄・光高もまた、「ばんざーい、ばんざーい」の歓呼の声に送られて「ベトナム戦争」に出征する。反戦運動に関わったために捕らわれて精神病院に送り込まれた弦が必死に脱走して自宅に戻ると、「名誉の負傷」で四肢を失った光高が無残な姿で横たわっていた――『キャタピラー』とともに、このシーンが蘇えってくる。あの時代、『光る風』に触れた衝撃の重さとともに。



漫画『光る風』は、山上たつひこの初期の代表作である。あのギャグ漫画『がきデカ』の山上たつひこだ。その後も前衛的ギャグ漫画に新境地を切り拓いた山上たつひこである。





明日の日本か、現在か?





『光る風』は「少年マガジン」に一九七〇年四月から一一月にかけて連載された「近未来ポリティカル・フィクション」だ。「少年マガジン」では当時、『巨人の星』(梶原一騎原作、川崎のぼる画)と『あしたのジョー』(高森朝雄原作、ちばてつや画)が連載中だった。つまり、少年たちに圧倒的に支持された雑誌である。「少年ジャンプ」が登場してトップの座に上るのはずっと後のことだ。ぼくは、仲間とともに「少年マガジン」「少年サンデー」に読みふけった。『光る風』の連載は中学三年生の春のことだが、連載開始時のことは記憶にない。記憶しているのは、兄・光高の出征式に乱入した主人公・弦が、「いっちゃだめだ!にいさん!」「生きてかえってくれっ」「死ぬなよ――!!」と叫ぶシーンだ。



とはいえ、『巨人の星』は毎回隅から隅まで読み返したが、『光る風』は半分も読んでいないように思う。全編を通して読んだのは、大学生時代に駿河台にあった喫茶店で単行本を手にした時だっただろう。今の漫画喫茶(インターネット喫茶)には膨大な漫画が常置されているが、当時は普通の喫茶店で、多数の漫画をそろえている店を漫画喫茶と呼んでいた。国鉄中央線の御茶ノ水駅周辺には数軒の漫画喫茶があり、ぼくが『光る風』を手にしたのは、御茶ノ水橋口改札から一番近い漫画喫茶だった。記録では一九七二年四月に『光る風1・2』(朝日ソノラマ)が出版されているので、それを一九七四年初夏に読んだことになる。



今回調べてみると、山上たつひこ『光る風』(小学館、二〇〇八年)が「初の完全版」と銘打って出版されていたので、慌てて注文した。全一巻六〇〇頁を超える小学館版には、朝日ソノラマ版では省略されていた扉頁などが復元されている。連載から三八年目にして漸く完全版が刊行された「ポリティカル・フィクション」だ。



背景はベトナム戦争だが、もう一つ藻池村事件が冒頭に提示される。S県藻池村で「とつぜん原因不明の奇病が発生、一万二千三百人が発病し七百十二人の死者を出した」といい、その後も「奇形病」が相次ぎ、隔離されていく。藻池村の「謎」を追う教師、学生、そして書店主。他方で、「国連協力法」を口実に、ベトナム戦争への加担のために「国防隊」ベトナム派遣が強行される。反戦運動を徹底弾圧する狂気の抑圧社会。反戦運動に関わった者も監獄へ、精神病院へと隔離収容されていく。



言うまでもなく、湾岸戦争以後、自衛隊は国際協力や国連協力を口実に、イラク、カンボジア、ゴラン高原、東ティモール、インド洋へと派遣されてきた。



光高が四肢を失った謎も解き明かされる。「戦闘中のきず」ではなく、米軍の開発した「新兵器」の運搬中の事故であった。「日本兵だけに運ばせる新兵器・・・」。日米安保条約に基づいて駐留する米軍による差別が浮上する。藻池村事件も近傍に化学工場が存在した事実が明らかになる。



誰しも劣化ウラン弾と呼ばれる放射能兵器を思い出さずに入られないだろう。湾岸戦争で実戦使用された放射能兵器は、イラクやコソヴォの民衆に猛烈な放射能被害を与え続けているが、同時に米軍兵士たちも被曝している。多くが黒人を始めとする有色人種や、貧困ゆえに軍隊入りを決意せざるを得なかった無産階級の兵士たちだ。歓呼の声に送られて勇ましく戦場に向かったが、戦場で被曝し、帰還後に発病しても満足な診察・治療も受けられない。米軍は「劣化ウラン弾は安全だ」と言い続けているからだ。イラクに派遣されて米軍を輸送した自衛隊員はどうなのか。まともな診療が行われているだろうか。



巻末、「暴走列島」を大地震が襲う。廃墟と化した都会を恋人の遺骸を抱えながら彷徨い、ついに倒れる弦の眼に映るものは何か。



山上たつひこは『光る風』によって文字通り「時代と激突した」。飛び散った火花の大きさがどの程度のものだったかは知らない。時あたかもベトナム反戦運動、学生運動、そしてフォークソングが若者に執り憑き、反戦歌や反差別歌が発売禁止になっていた。『光る風』は、政治的圧力によって連載が中断させられたとか、そのために山上たつひこはギャグ漫画に転向せざるを得なかったとか、とかく噂が流れたという。それも頷ける悲惨で陰鬱な、そして重たい「フィクション」である。



Saturday, May 07, 2011

原発責任者特権法案(法の廃墟38)

三・一一の戯画



 三月一一日は、ジュネーヴ(スイス)にいて国連人権理事会に参加していた。人権理事会で、NGOとして平和への権利について発言できるチャンスがあり、前日から発言順を待っていた。一〇日には順番が回ってこなかった。一一日の朝食の時に日本で地震があったという話を耳にした(日本とスイスの時差は八時間)。


人権理事会は、安保理事会や経済社会理事会と並ぶ国連機関である。人権がテーマなので、国家だけではなく、NGOも参加して発言することできる。これまでも日本軍性奴隷制問題や朝鮮人差別問題について発言してきた。国内で日本政府を批判しても、まともな政府ではないからほとんど聞いてもらえない。それならば国連で発言するほうが重要である。というわけで、日本の地震のことはさして気にとめていなかった。

無事に発言を終えた後にラウンジでコーヒーを飲んでいると、知り合いが「家族は大丈夫か、日本は大変なことになっているぞ」と東日本大震災を教えてくれた。その後、連日のように日本の地震が話題になった。一二日の福島第一原発第一号機の水素爆発は世界に衝撃を与えた。それ以後、西欧メディアは原発情報で持ちきりだったが、一日二日たつと、日本の状況がおかしいことに気づいた。スイスにいて入手できる情報が、日本国内では流れていないのだ。日本政府と東電はひたすら「安全です。微量なので人体にただちに影響はありません」を連発している。マスコミは完全に大本営発表状態である。インターネット上ではいろんな情報が流れていたが、そこでも政府発表と違う情報を押さえ込もうとする力学が働いていたのには驚いた。原発の状況を把握するために帰国を延期して様子を見ながら、ネット上の情報を転送していたが、そんな折に考案したのが「原発責任者特権法案」だ
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原発責任者特権法案
第一条 法の目的
1.本法は、原発の設置・建設・運営に責任のある者に特権を付与することを目
的とする。
2.本法に定める原発責任者の特権は、日本国憲法が定める法の下の平等には違
反しないものと解釈される。
第二条 定義
本法における原発の設置・建設・運営に責任のある者には、次の者が含まれる。
1)当該原発の設置計画を立案した者。
2)当該原発の設置申請を許可した公的機関の責任者。
3)当該原発の建設を請け負った企業の経営者。
4)当該原発の運営を所掌する機関の責任者。
5)当該原発の安全性に保障を与えた学者。
6)当該原発の安全性の宣伝・広報を請け負ったマスメディアの経営者。
7)当該原発に関連する訴訟で原発の安全性を是認した裁判官。
第三条 特権の付与
1.原発の設置・建設・運営に責任のある者は、原発敷地内に家族とともに居住
することを特別に許される。
2.政府及び地方自治体は、前項の居住用家屋を原発敷地内に建設するための経
費の二分の一を負担する。
3.不動産にかかわる税金はこれを免除する。
第四条 特権の停止
前条に定める特権を付与された者は、職務上の必要がある場合、当該原発所在の
地方自治体議会の過半数の議決を以て、前条に定める居住用家屋を離れることが
できる。その期間の上限は二週間とする。
第五条 特権の終身性と一身専属性
1.前々条に定める特権は、その者が当該職務又は地位を離脱した後も生涯にわ
たって保障される。
2.この特権は相続の対象とならない。
第六条 特権の放棄
第三条の規定にかかわらず、家族はその特権を放棄することができる。
第七条 遡及適用
本法の諸規定は、本法施行以前に遡ってすべての原発責任者に適用される。
国家は国民を殺す
原発責任者特権法案の趣旨は明快であるが、若干の説明をしておこう。
昔、戦争を確実になくすための「戦争廃止法」案が語られたことがある。いざ戦争となったら、大統領(ないし首相)、外相、陸相、将軍などの責任者及びその息子たちが真っ先に従軍し、最前線に出ることにするという話だ。こうすれば権力者は戦争を始めず、外交交渉で紛争を解決するために徹底努力をするはずだ。
 ブッシュ元大統領が開始した二〇〇三年のイラク全面戦争におけるアメリカの戦争犯罪を裁くために日本の民衆が取り組んだ「イラク国際戦犯民衆法廷運動」の中で、「ブッシュとブレアは有罪。判決は、生涯かけてイラクの劣化ウラン弾を処理すること」と冗談を言っていたことがある。「そういう非人道的な刑罰は科せない」「いやいや、彼らは劣化ウラン弾は安全だと言っている」「だったらホワイトハウスの水道管を劣化ウランにしよう」。
戦闘機離発着の基地騒音をめぐる訴訟でも、各種の公害訴訟でも、長年同じことが続いてきた。現に被害者がいるのに、被害から眼をそらし、密室で協議をし、御用学者がお墨付きを与える。土建業界のための開発も同じだ。自然環境を破壊し、人びとの暮らしを破壊する開発を、小手先の数字や理論をタテにどんどん進めてしまう。
こうした被害をなくすためには現場から問いを立てなければならない。そのためには開発を主張する当事者こそ現地に居住するべきだ。安全性のお墨付きを与える御用学者も、開発許可を出す官庁の責任者も、安全だ、害はないというのなら率先して現地に家族とともに暮らすべきである。

  原発も同様である。水素爆発が起きて建屋が吹き飛んでも、セシウム一三一が検知されても、ついにはプルトニウムが漏れ出しても、とにかく「安全」と繰り返す東電や「安全院」の責任者は、自分たちだけは安全圏に身を置いて「作業員」を現場で働かせ、被災者を置き去りにする。これほど異常な無責任が堂々とまかり通るのが、この国である。国民を平気で殺して、権力は安泰というのが、この国の歴史である。


Friday, May 06, 2011

外交能力ゼロの地平   拡散する精神/萎縮する表現(1)

 あまりにも広漠とした地平が広がり、政治の砂漠化が進行している。いったいどこから何を言えばよいのか、言葉を失ってしまう状態が続いている。




「空き菅内閣」とか「すっから管内閣」と揶揄され、内政もほとんど無免許酩酊運転かと疑わしいが、外交となると、もはや茫然自失の域に達している。首相も外相も果てしなく無能だ。




菅直人首相の「メドベージェフ露大統領の北方領土訪問は許し難い暴挙」とした発言は、外交常識を無視したもので、文字通りネット右翼レベルである。ロシア側の反発も当然だ。それ以前から、前原誠司前外相は「北方領土はわが国固有の領土。ロシアが不法占拠」などと述べてきた。さすがに微妙な時期には「不法占拠」という言葉を封印したが、撤回したわけではない(自民党政権時代の麻生首相も同じ言葉を用いていたが「ふほうせんきょ」と読めたかどうかは確認されていない)。どこまで幼稚なのだろうと呆れてしまう。ところが、政界でも支持する意見があるうえ、マスメディアも基本的には前原発言を擁護して、せいぜい事を荒立てる表現には注文をつける程度である。




北千島も含めて全千島が日本の固有の領土だという奇妙奇天烈な主張をしている政党もあるが、それは別論として、なるほど「北方領土」と呼ばれるようになった南千島(国後・択捉・歯舞・色丹)は、歴史的に日本以外の国家の領土になったことが一度もないから、ロシアとの関係では日本政府の主張に理がある。しかし、これほど単純化した議論は、国際法から見ても、歴史的経過から見ても、現在では通用しない。




第一に、そもそも「わが国固有の領土」などという主張は国際社会で容易に通用する理屈ではない。英語にストレートに翻訳できない「わが国固有の用語」であり、言い換えれば妄想にすぎない。近代欧州諸国がその国境線を何度も何度も書き換えてきたことを考えればすぐにわかることだ。「わが国固有の領土」などと言い出せば、欧州の秩序は崩壊するしかない。ましてアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の随所で領土紛争が再燃してしまう。日本政府の主張はきわめて危険で無責任な主張に道を拓くのだ。「わが国固有の領土」論は、奈良や京都について言うのならともかく、現に紛争の渦中にある北方領土について使ってもまったく説得力がなく、有害である。




第二に、ロシアが一九九〇年代から大変な外交努力を払って周辺諸国(旧ソ連邦から独立した東欧諸国・中央アジア諸国、そして中国やスウェーデン)との間で領土問題を解決し、国境を画定してきたことを正確に認識するべきである(岩下明裕『北方領土問題』中公新書など参照)。相手は領土問題を話し合いで冷静に解決してきたプーチンとメドベージェフである。これに対して日本側は北方領土も竹島/独島も尖閣諸島もまったく解決できず、無意味にこじらせてきた。両者の差は何よりも外交に向き合う姿勢である。他人に唾を吐きかけるだけの菅首相や前原前外相の態度は、井の中の蛙であり、誰からも相手にされない。




第三に、二〇〇七年の国連先住民族権利宣言には先住民族の土地の権利が明記されている。北海道(アイヌモシリ)も千島(クリル)も元来はアイヌ民族の土地である。サハリン(樺太)もアイヌやニブフ民族の土地である。先住民族権利宣言は、先住民族の土地の権利(土地所有権)や資源の権利を明確に認めている。北方領土も北海道もアイヌ民族の土地であり、その返還から議論しなければならない。日露交渉において、双方の先住民族を交えた問題解決を図る必要があるのに、日本政府はそれすら無視している。




尖閣諸島中国船・海上保安庁事件でも明らかだが、「前原前外相問題」とは、外交交渉の途を自分で潰してしまう信じ難い「無能」ぶりである。小沢一郎への対抗意識からか自分でハードルを低くした「政治とカネ」問題で、自分の足を掬って窮地に立たされ辞任を余儀なくされたお粗末には笑うしかないが、政治資金問題よりも深刻なのは、そもそも外交能力がなく、政治家の資質がないことだ。偽メール事件から少しも成長していない「子ども一日大臣」は退場するしかない。







「マスコミ市民」507号(2011年4月)