Friday, November 25, 2011

「疚しさを背負って生きる覚悟」

拡散する精神/萎縮する表現(6)


疚しさを背負って生きる覚悟




 鈴木邦男『新・言論の覚悟』(創出版)は、月刊『創』の連載「言論の覚悟」(二〇〇三年~一〇年)をもとに一冊にまとめたものだ。二〇〇二年の『言論の覚悟』(創出版)は発表順に並べていたが、今回は三部構成である。



 第一章「言論の覚悟!」では、右翼の原罪、皇居美術館、元凶は「反日」という言葉、愛国者のモノローグなど、右翼や愛国者の主張と行動を検証している。もともと新右翼・一水会を創立し永年代表を努め、現在は顧問の著者だが、近年の主張はしばしばもはや右翼ではなく左翼ではないかとも言われるように、右翼の主張と行動を検証する姿勢が目立つ。右翼か左翼かが問題ではなく、言論としてどちらに説得力があるのか、思想の根拠は何なのかに関心が向けられる。天皇論議のタブーや、反日映画とされる『靖国』『天皇伝説』『南京・引き裂かれた記憶』『ザ・コーブ』の上映妨害問題を取り上げて、「そんなに酷い映画なら逆に全国民に見せたらいい。『やっぱり酷かった。君たちの言うとおりだ!』と『主権回復』の人たちが絶賛され、支持されるだろう。あるいは、映画を見ようとする人々に『見るうえでの注意』をビラに書いて、静かに配布する。そうしたら大きな効果がある。国民皆が立ち上がり、『主権回復』の人々と共に、反日映画反対運動が全国で巻き起こるだろう」という。国民が反日映画に洗脳されるなどと心配するのは、国民を馬鹿にし、信頼していないからだ。上映妨害行動などよりも、言論の中味で勝負しろ、と訴える。



 第二章「赤軍・よど号・北朝鮮」では、元連合赤軍兵士で獄中二七年の植垣康弘、元赤軍派議長の塩見孝也、タイでドル偽造裁判無罪を勝ち取りながら日本に強制送還され、獄中死した田中義一らとの交流と対話を描きつつ、北朝鮮訪問談を語る。十回以上ビザ申請したが全て拒絶され、あらゆる手を使ってチャレンジしたがダメだったのが、二〇〇八年春に念願のビザ許可がおりて、北朝鮮で本音の討論を行ってきた。さらに、二〇一一年三月、よど号の小西隆裕、若林盛亮と面会を果した。「彼らは北朝鮮に行ったので、離れて日本を見、民族主義を考えることができた。その意味では北朝鮮に感謝すべきだろう。昔は敵だったが、今は、あの夢のある激動の時代を共に生きた『同志』のような気さえする。そして、フッと思う。今だから、こうして敬意を持って、自由に話を聞くことができる。でも、北朝鮮に行く前に出会っていたらどうか。敵として殺し合いになっていたか」という。左翼と右翼が激突していた六〇~七〇年代と、左翼も右翼も展望を見失って浮遊しているゼロ年代、テン年代。鈴木は、両翼の対立を乗り越えるために言論の戦いを続ける。



 第三章「映画から読み解く日本」では、昭和天皇を描いたロシア映画『太陽』、靖国神社問題を取り上げた日韓共同ドキュメンタリー『あんにょん・サヨナラ』、日本側から「高砂族」と呼ばれた台湾原住民の闘いを描いた『出草之歌』、日系二世アメリカ人女性が制作した『TOKKO(特攻)』、若松孝二監督の『実録・連合赤軍=あさま山荘への道程』、日本国憲法誕生の物語『日本の青空』などを取り上げて、日本の歴史と現在を問い直す。



 鈴木には、一度、講師依頼を引き受けてもらったことがある。二〇〇八年夏、八王子で「左右激突対談」と称して内田雅敏(弁護士)との対談をお願いした。左右両翼で有名な二人だが、この時が初めてだったという。ちょうど映画『靖国』上映問題が騒然としていた時期だ。鈴木は本書と同様に、上映妨害に反対し、右翼もこの映画を見るべきだ、その上で中味を徹底批判すればいい、と述べていた。そして、言論の自由がきちんと守られていない、議論の場がしっかり開かれていないから、上映妨害といった活動になる。右翼であろうと左翼であろうと、もっとしっかりした言論の場を提供・確保するべきだし、言論で闘うべきだと主張する。



 責任感抜きに言論の自由ばかりが語られる時代に、言論の責任を問い、言論の覚悟を語る鈴木のまっとうな意見が重みを増す。右翼でも左翼でもなく、個人として屹立した言論人の凄みを本書は見せてくれる。単なる正義や愛国ではない。むしろ、逡巡し、問題から逃れようとする自分に向き合うことが肝心だ。最後に鈴木はこう書いている。



 「『言論の覚悟』とは、疚しさを背負って生きる覚悟でもある。」