Tuesday, June 04, 2013

侵略の定義について(12)

 国際連盟において、国際平和を維持するためのさらなる方策が模索された。ウィルソン大統領が国際連盟設立を提唱したにもかかわらず、アメリカが国際連盟に加盟しなかったため、国際連盟だけで国際平和を達成することはできない。国際連盟における議論を進展させるとともに、国際連盟の外でも国際平和の枠組みを定立しなければならなかった。国際連盟では戦争の規制に向けた多国間の努力が始まった。連盟規約は、戦争はすべての締約国の関心事項であり、連盟規約に違反して軍事行動に訴えた国には制裁を科すとしていた。その具体的内容をどのように構築するかが課題であった。1923年の連盟総会に提出された「相互援助条約案」は「侵略戦争は国際的犯罪である」とし、被侵略国に援助を与えることを規定していた。カーネギー国際平和財団の援助を受けたアメリカの国際法学者も、相互援助条約案について検討して、代案をまとめている。これは民間の代案であるが、国際連盟では「アメリカ案」と呼んでいたという。1924年の連盟総会では、相互援助条約案とアメリカ案をめぐる議論がなされたが、結局まとまらなかったため「ジュネーヴ議定書(国際紛争平和的処理に関する議定書)」が採択された。ジュネーヴ議定書は、国際連盟規約の延長上にあり、集団安全保障としての制裁措置と、戦争に代替する平和的解決措置を規定している。①平和的解決への義務、②軍縮の達成、③制裁の実行という3つの具体的方策が示された。しかし、結局この試みは現実化することがなかった。