Thursday, October 03, 2013

福沢諭吉神話徹底批判完結

安川寿之輔『福沢諭吉の教育論と女性論――「誤読」による<福沢神話>の虚妄を砕く』(高文研)                                                 『福沢諭吉のアジア認識』(2000年)に始まり、『福沢諭吉と丸山真男』(2003年)、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年)に続いて、本書において、著者の福沢諭吉批判、そして福沢を「民主主義者」であるかのごとく虚偽の神話を作った丸山真男批判、その神話を無批判に継承している論壇、研究者に対する批判が完結した。『福沢諭吉のアジア認識』は衝撃的だった。韓国人や在日朝鮮人から福沢批判を耳にして、少しは知っているつもりだったが、自分で調べていなかったので、やはり<福沢神話>を逃れることはできない。福沢諭吉の侵略的姿勢とアジア蔑視と激しい差別には愕然とした。その福沢を民主主義者と持ち上げている日本の思想界の腐敗ぶりも徹底的に暴露されている。その後、慶応義塾関係者が安川への反論を試みて、論争が行われたこともあったが、今では安川批判はなく、むしろ、一部の論者は、安川の議論を無視して、相変わらずの福沢神話流通に励んでいる。13年経った今でも同様に、都合の悪いことは無視して、恣意的な引用と誤読をもとに福沢を持ち上げる例が次々と登場している。本書には、西澤直子『福沢諭吉と女性』(慶応義塾大学出版会、2011年)や宮地正人『国民国家と天皇制』(有志舎、2012年)への批判が含まれている。安川の徹底批判の姿勢も見事だが、いくら批判しても無視する「研究者」も「見事」だ。「見事」という言葉にもいろんな意味がある。本書末尾では、司馬遼太郎の「明るい明治」と「暗い昭和」の図式に対して、安川は「明るくない明治」と「暗い昭和」の連続性を探り、その「お師匠様」としての福沢諭吉を確認する。明治日本がなぜ、いかにして帝国主義国家として「自立」し、アジア侵略を積み重ね、アジア人蔑視と差別に精を出し、虐殺や日本軍性奴隷制度の歴史に突き進んだのか。近代日本総体の最高の「お師匠様」が福沢諭吉であったのではないか。そして、いまもアベとかイシハラが福沢諭吉を持ち上げている。