Monday, January 20, 2014

林芙美子の反戦文学とは何か

1月20日はこまつ座第102回公演「太鼓たたいて笛ふいて」(作:井上ひさし、新宿・紀伊國屋サザンシアター)を観た。                                                                                       『放浪記』の林芙美子を描いた芝居で、こまつ座では4度目の公演だが前回は観なかった。林芙美子の戦争協力のイメージにとらわれて、あえて観るまでもないとスルーしたのは失敗だった。原作を読んだ時に、戦争協力から転じて反戦作家になった経緯がいまひとつ胸にすとんと落ちなかったためだが、そのあたりは井上ひさしの戦争責任論をまだよく理解していなかったという事でもある。昭和庶民伝3部作や東京裁判3部作の全体を通して、井上ひさしは、天皇や軍部など権力者の戦争責任を追及するとともに、戦争協力した庶民の戦争責任も取り上げてきた。それに対して、従軍作家・林芙美子の位置がよく見えなかった。太鼓をたたいて戦争をあおり、笛を吹いて戦争に踊った従軍作家を、上から戦争協力した作家という理解をしていると、この作品を誤解する。                                                                 井上ひさしは、林芙美子を文壇の中心にいた作家ではなく、庶民としての作家という位置づけをしている。林芙美子は中国からボルネオまで従軍作家生活を続けるが、そこで日本の植民地支配と戦争政策の矛盾に気づき、戦争中に戦争協力を止める。戦後は反戦作家として作品を発表する。その転身をどう見るかが一番重要な点だ。敗戦後の価値観の転換に伴って戦後民主派となって平和や自由を唱えた軽薄な作家は数多い。自分の戦争協力を隠蔽して戦後派になった作家も少なくない。                                                                            ところが、林芙美子はいずれにも属さない。戦争をあおった自分の責任を痛感して、戦争協力を中断しただけではない。戦争をあおった者の一人として、戦争の結果、手を失い、家族を失い、家や土地を失った人々への責任を問い続けた。復員軍人、戦災孤児、夫を失った女性たちの生活に着眼し、戦争責任を果たすために戦後の新しい物語を描こうとした。井上ひさしは、その林芙美子を取り上げ、温かいまなざしを差し向ける。戦争協力を告発するためではなく、戦争協力した自分に向き合い続けた林芙美子に焦点を当てている。                                          大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代、山崎一、阿南健治、神野三鈴――おもしろおかしく、かなしく、切ない、素敵な時間と空間をつくりだした俳優たちに感謝。ピアノの朴勝哲の繊細なプレイに感銘。原作に忠実でいながら原作を超えようとする栗山民也の意欲的な演出に感動。