Monday, June 30, 2014

大江健三郎を読み直す(22)遅れてきたものの自己弁護

大江健三郎『遅れてきた青年』(新潮社、1962年)                                                               
1960年から62年にかけて『新潮』に連載され、62年1月には単行本になっている。60年安保直後の作品である。大江がどこかで「タイトルだけは有名な作品」という言い方をしていたが、たしかに初期大江作品の中ではとりわけ有名な作品だろう。しかし、どれだけきちんと読まれたかは、必ずしも判明しない。この時期、第1に、大江は『青年の汚名』の「後記」に書いたように、文学の在り方を模索していた。第2に、60年安保に直面して、若者代表としての政治的発言に力を入れざるを得なかった。第3に、2年後には『個人的な体験』でもう一つの方向転換をする。そのため、発表当時は文字通り代表作になるはずだった本作品は、タイトルがあまりにも有名であるにもかかわらず、大江の代表作とはみなされなくなっていった。                                                       
私も『遅れてきた青年』には、あまり強い印象を持っていなかった。理由は簡単である。たまたま、3年後の『万延元年のフットボール』を先に読んだからである。初期の代表作であり、いまなお大江の代表作の一つである『万延元年のフットボール』の印象が強すぎて、完成度が高いとは言えない『遅れてきた青年』の評価があまり高くないものとして記憶されたからである。私にとっては『万延元年のフットボール』のインパクトが最大級のものであった。                                                                
「遅れてきた青年」の意味は、本書では二重である。第一部では、1945年夏の「地方」の少年が「立派な少国民」として戦争に行くはずだったのに、戦争が終わってしまい、「戦争にまにあわない」事態である。主人公は、敗戦後の村に米軍がやって来て起きた事件に遭遇し、続いて地方都市で「なお戦争を戦いぬこうとしている兵隊」がいることを知り、「戦争はこれからはじまる」と歓喜に震えて、そこに参戦するべく友人と一緒に家出をするが、教護院に収容される。                                       

第二部では、195*年の東京を舞台に、教護院出身ながら東京大学に入学してエリートの仲間入りをした主人公が、左翼党派内の「スパイ」と疑われ、拷問された事件を、保守派政治家との協力によって国会証言をすることで「報復」するが、自らも精神的破綻に追い込まれていく。最後に、作品全体が「北海道の旧ロシア正教僧院の精神病院」において書かれた「手記」であることが明かされ、「遅れてきたものの自己弁護」と呼ばれる。主人公はいったい何に「遅れてきた」のか。戦争に遅れ、安保闘争に遅れ、ポスト安保の安逸な時代精神に遅れたのだろうか。その答えは本作品にではなく、その後の大江文学全体に待たなければならない。

Saturday, June 28, 2014

レイシズムの社会学に学ぶ(1)日本型排外主義とは

樋口直人『日本型排外主義――在特会・外国人参政権・東アジア地政学』(名古屋大学出版会、2014年)                              
2月末に出版された重要文献だが、多忙のため読み始めるのが遅れた。著者は社会運動論に多くの業績を有する社会学者で、徳島大学総合科学部准教授。私たちが開催してきたヘイト・クライム研究会にも参加し、報告してくれた。                              
「激しい感情はしばしば他者を巻き込み、激情の渦を作り出す。だが、その渦中にあって事象の本質を見極めようとするのは容易なことではない。にもかかわらず、否そうだからこそ新たな発見のための努力を怠り、紋切り型の言葉に頼る解釈が、二〇〇〇年代以降のナショナリズムや排外主義にかんする言説で目立つように思える。一九九〇年代以降の日本は、高度経済成長期の安定的な社会構造を喪失し、グローバル化と経済の長期低落にともなう社会の流動化が『不安』を生み出している。その不安が最悪の形で露出したのが、弱者を攻撃する排外主義である。寄る辺なき不安を抱えた若者たちは、それを他者に対する憎悪へと変換させ、外国人排斥を訴えて街を練り歩くようになるのだ、と。」                                    

樋口は、在特会に代表される現代ヘイト団体、排外主義を、社会的不満や不安に駆られた若者をある種の抑圧移譲的な見方で整理してしまうことに異論を唱える。現場の取材に基づく実感論としては、不安や不安に由来する排外主義と見える事象であっても、社会運動論における資源動員論の立場から丁寧に見ると、異なる局面が見えてくると言う主張である。ヘイトデモ参加者が何らかの不満を抱えていることは確かだが、運動全体を社会学的に理解する為にはより精度の高い分析が求められる。本書全体がそのために書かれた。樋口は、資源動員論の理論をしっかりと活用するとともに、数多くのインタヴューを行い、その成果に基づいて具体的に筆を進める。西欧型排外主義の研究を参照しつつ、日本型排外主義の実相を把握しようとする。理論の到達点は東アジア地政学であることが予告される。

Tuesday, June 24, 2014

小田実、電子全集が完結

6月24日朝日新聞夕刊に「小田実全集」(全小説32点、評論32点)の電子版が完結した記事が出ている。全67巻7万5千円だと言う。オンデマンド版に比べると4分の1の価格だ。電子書籍版の個人全集は日本初の試みで、三浦綾子や開髙健の電子全集が続いていると言う。今後は電子全集の時代になるのだろうか。               
小田実の評論は随分と読んだ。「何でも見てやろう」に始まり、ベトナム反戦も、阪神淡路大震災関連も、憲法9条関連も、その都度、指針を示してくれた重要な作家だ。もっとも、小説は僅かしか読んでいない。「明後日の手記」「わが人生の時」「大地と星輝く天の子」「ガ島」「HIROSHIMA」くらいだ。同世代の作家、大江健三郎や井上ひさしは随分と読んだのに、小田実に関しては評論ばかりだった気がする。今後、読まなくてはと思うし、電子全集が出たので良かったが、今は読む時間を取れない。いつか時間がとれるようになったら小田実に集中したいものだ                    

Monday, June 23, 2014

文学の課題を引き受ける

立野正裕『洞窟の反響――『インドへの道』からの長い旅』(スペース伽耶、2014年)                      
著者には『精神のたたかい――非暴力主義の思想と文学』『黄金の枝を求めて――ヨーロッパ思索の旅・反戦の芸術と文学』と、『世界文学の扉を開く』(第一~第三)『日本文学の扉を開く』(第一)[いずれもスペース伽耶]がある。前二者は、英米文学研究者が、特に第一次大戦期の文学に描かれた世界を素材としつつ、欧州文学における非暴力と不服従、反戦と抵抗の軌跡を探り、上官への抗命ゆえに処刑された兵士の墓を探り当てるなど、様々な旅を重ねた記録であり、現代文学の課題を突き詰めた名著である。                                           
『精神のたたかい――非暴力主義の思想と文学』に大きな感銘を受けた私は、一面識もなかったのに一方的にインタヴューのお願いをした。しかも、「非国民入門セミナー」と称する面妖な連続講座の一環であった。この闇雲な依頼にも関わらずインタヴューに応じてくれた著者は、2009年6月20日、飯田橋での公開インタヴューで、私が、著者の文章の一つをもとに、「人はなぜ旅に出るのか」と切り出すと、思いがけず、著者はフォースターの『インドへの道』を読んだことに発する、と答えた。そのインタヴュー記録は後に私が編集した『平和力養成講座』に収録したが、本書第6章に改めて収められている。私の稚拙なインタヴューによる記録だが、本書最終章に違和感なく収まっているようであり、ほっとした。                                                                          
第1章     現代的想像力とヒューマニズムの問題                                                    
第2章     ヴィジョンから悪夢へ                                                    
第3章     洞窟の反響                                                         
第4章     フォースターとキング                                                           
第5章     ホモセクシュアルの思想と感覚                                            
第6章     『インドへの道』からの旅                                            
第1章が執筆されたのは1975年であり、第2章は1973年、第3章は1977年、執筆時、著者は20歳代だった。20歳代から60歳代にかけての文章を、『インドへの道』出版90年目の今年、1冊の著書にまとめたものだ。40年前の文章を出版しても、現代に通用する文章である。著者の力量であろう。著者は第3章を「方法叙説」と呼び、「現代文学に自分がどう向き合ってゆくかという、その姿勢を明確にしたいという思い」で書いたと言う。その姿勢が見事に一貫しているがゆえに、本書のどの章も現在読むに値する。英米文学研究書の性格のため、素人読者には理解できない記述も多いがやむをえない。文学の課題が人生の課題であり、人生の課題が世界の課題である。フォースターの謎が著者の謎であり、著者の謎が「自己への到着」を手探りする。共和国とは何か。民主主義とは、祖国とは、友人とは、祖国への反逆とは。そして、魂の出会いとは何か。                                                                  

なお、『世界文学の扉を開く』(第一~第三)『日本文学の扉を開く』(第一)は、コンパクトな本だが、短編小説をいかに読むべきか、を学ぶのに有益な本である。あっさり読み落とすのが得意な読者である私には、短編小説の味わい方を体感できる著作である。

Sunday, June 15, 2014

批評の“終焉”と保守の行方

岡本英敏『福田存』(慶応義塾大学出版会、2014年)                                                                  
高校時代たまたま手にした文庫本『私の語教室』で福田存を知り、その後、保守思想家としての福田をいくつか読んだ。江藤淳や最近湧いて出ている凡百の保守主義者は評価できないが、福田は敬意の対象ではあった。もっとも、福田の戯曲の到達点ともいうべき『解つてたまるか!』に福田の思想の「小ささ」を確認して以来、ほとんど読まなくなった。                                                                            
岡本は、文芸批評と戯曲を中心に福田の問題意識と方法と態度を明らかにしていく。「一匹と九十九匹と」や「近代の宿命」「人間・この劇的なるもの」を素材に、福田が人間と文学をどのように見ていたのか、西洋近代における神と人間の関係をいかに追跡し把握していたのかを提示する。福田の批評にとって、ロレンスの『アポカリプス論』が占めた位置はよくわかるが、サルトル『嘔吐』が重要であったことの指摘には教えられた。「人間・この劇的なるもの」の冒頭でも『嘔吐』に言及していると言うが、私は読み過ごしていたのだろう。重要さに気付いていなかった。                                                                              

『解つてたまるか!』はキム・ヒロ事件をモチーフにしつつ、キム・ヒロを支援する文化人を批判したものだが、「この誤解にひとしい平和と民主主義といふ思想を叩き毀さぬ限り、日本人は立ち直らないと思ひます」と戦後民主主義と文化人を批判している。岡本もその点を「福田の批評精神の神髄が極まっている」と評している。それが正しい理解であると思うが、ということは、福田の批判対象はたかだか戦後民主主義でしかなく、日本の総体でもなければ、近代日本でさえもない。西洋における神と人間への言及も、たかだか戦後民主主義批判への導入に過ぎなかったことになる。しかも、西洋との対比をして、日本に醒めた福田は日本と日本人を徹底的に問い詰めたのか、という疑問も出て来るだろう。

Friday, June 13, 2014

大江健三郎を読み直す(21)青年たちの革命の挫折

大江健三郎『青年の汚名』(文藝春秋社、1960年)                                                          
60年安保闘争のさなか、1960年6月に本書は出版された。前月の5月出版の『孤独な青年の休暇』に付した「後記」において、大江は「この一年間は、私の内部の中短篇形式にたいする予定調和信仰のごときものを打ち壊す一年間でもありました。/私は、主に自分自身のために、あるいは達成したい自分自身の文体のために、次の一年間をつうじて、月刊雑誌に発表する目的でない中短篇の習作を行いたいと考えています」と書いている。激動の時代に直面し、若き作家として積極的に政治的発言も行っていた大江は「自分自身の文体」を模索しながら、中短篇作家から長篇作家へと自らを鍛え上げ始めていた。そうした時期の長めの中篇の一つとして本書を理解することが出来るだろう。「青年」や「同時代」が大江のキーワードだった時期の初めにも位置する作品でもある。                                                  
日本の最北端、稚内の近くの海に浮かぶ荒若島という架空の島における権力であり、鰊漁の差配人である鶴屋老人と、権力に反抗し、島の近代化を訴える青年たちとの抗争の物語である。日本政治の縮図を描いたと言えないこともないが、60年安保を意識したと言うよりも、むしろ表題通り「青年」の苦悩と闘いを主題としたと見た方が良いだろう。第一の特徴は、後の大江作品の「場」となる四国の森の奥からもっとも遠い、北海道の架空の島を舞台としていることである。第二に、消え去った荒若アイヌの伝承と伝統が濃い影を落としていることである。それゆえ、文化人類学的な知見をふんだんに採用している。とはいえ、後の山口昌男の世界とは異なる。若き大江ががむしゃらに勉強して、様々な試行錯誤を繰り返していた時期の作品と言えよう。                                                       

北海道出身の私は学生時代に図書館で本書を手にし、大江作品らしからぬ舞台設定や物語の進行にいささか戸惑いながらも、歓迎しながら読んだように記憶している。青年たちの革命の挫折と、鶴屋老人の死、それにもかかわらず、島の網元衆は新しい長老を選び、新しい若者代表の荒若を指名するかもしれないと言う終わり方に不満を感じた。大江文学の形成過程に位置づけるという問題意識などまったく持たずに読んだのでやむを得ないだろう。

Friday, June 06, 2014

永遠のレジスタンスのレッスン

鵜飼哲『ジャッキー・デリダの墓』(みすず書房、2014年)                                               
ジャック・デリダ没後10年、デリダの弟子であり、友であり、翻訳者であり、デリダとともに語り、デリダと対話し、デリダ亡き後にデリダの問いを問い続けた著者による「デリダ論」である。と、このように書いても、適切な表現とはなりえないし、著者は本書を「デリダ論」とは呼ばないだろう。著者は自分の著作にデリダについての著作であることを示すようなタイトルをつけることを考えていなかったが、編集者の依頼を受けて「デリダ」の名を冠しつつ、ジャックではなくジャッキーを採用した。その意味は本書に記されている。                                                                                
本書を読みこなす能力は私にはないが、ともあれ最初から最後まで活字を追いかけて、あれこれ夢想してみた。著者らによる翻訳で『ならず者たち』や『友愛のポリティックス』を読んだことを思い出しながら、鵜飼哲という一人の思索者が、デリダの言葉を反芻しながらパリの街路をさまよっているであろう姿を。                                          

著者には、ヘイト・スピーチをめぐる講演会や、フクシマ原発事故を問う民衆法廷の場で、実に多くを教えられた。『抵抗への招待』や『主権のかなたで』における思索がそうであるように、著者の語りは明晰でありながら晦渋であり、軽快に疾走しながらブルドーザーのごとく迫力をもって驀進する。鋭利な刃物と思うと実は巨大なナタのごとく周囲を切り払う。練り上げられた言葉の随所に反転が装備され、無数の見えない補助線が引かれる。博識ぶりに圧倒されるが、著者の魅力は博識ではない。デリダの友であり続ける著者は「日本のデリダ」ではなく、常に変貌し続ける鵜飼哲であるだろう。現代日本に生き続ける私たちが考えるべきことを考えさせる哲学を開示する本書を、来たるべき永遠のレジスタンスのレッスンとして、私は読み返すことにしよう。

Sunday, June 01, 2014

藤田喬平ガラス美術館散歩

松島にある藤田喬平ガラス美術館を訪れた。                                                      
http://www.ichinobo.com/museum/                                              

フジタと言えばレオナール・フジタだが、ガラスの世界では藤田喬平だそうだ。松島海岸駅から徒歩20数分ほどかかるが、素敵な作品群はわざわざ訪れる価値がある。高さ4mの松の並木に囲まれた70mの「銀閣寺垣の道」の奥に、松島の美と庭園の美が待っている。広い庭園を隣接のホテルと共有し、展示はゆったりと、作品も誇らしげで、爽やかで、かつ気品に満ちている。ティ―ルームでの休憩もぜいたくな気分。藤田はヴェネチアで自分のガラス世界を開拓したそうで、松島とヴェネチアを対比して見ていたという。そのあたりの感覚はわからないが、ガラス工芸をここまで芸術的世界観で貫いた技と業には感銘するしかない。