Friday, July 11, 2014

大江健三郎を読み直す(24)埋葬された危険なテーマ

大江健三郎「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」『文学界』1961年2月号                   
浅沼稲次郎暗殺の山口二矢をモデルとした右翼少年の意識を描いた作品だが、第一部に当たる「セヴンティーン」が文庫『性的人間』(新潮文庫)に収録されているのに、第二部「政治少年死す」は、激怒した右翼による猛烈な脅迫を受けて、掲載誌編集長は「お詫び」の「謹告」を発表し、大江はその後作品を「封印」し、半世紀を経た現在に至るも「幻の小説」となっている。学生時代に母校の図書館で該当号を借りた所、この部分は切り取られていたため、他の大学の友人にコピーしてもらって読んだ。読んだのは1977年だろうか。海賊版が出たことはあるようだが、今は『憂国か革命か テロリズムの季節のはじまり』(鹿砦社、2012年)に、深沢七郎「風流夢譚」とともに収録されている。これもゲリラ出版だ。ノーベル賞作家の初期代表作が半世紀も封印されたままというのは尋常ではない。完成形での出版が必要である。                        
文芸評論家の渡辺広士は、「第二部『政治少年死す』では、少年はその右の思想を過激な<純粋天皇>の思想に仕上げて、一人孤立したまま死の中に単身突入するのである。この<純粋天皇>の思想は、よかれあしかれ一人の作家が、一九六〇年前後の日本の状況の中でとらえたある実存の、可能な姿だ。」と書いている(文庫『性的人間』「解説」)。                       
大江は、最近次のように語っている。「三島由紀夫氏が強い関心を持たれて、『大江っていう小説家は、じつは国家主義的なものに情念的に引きつけられている人間じゃないだろうか』と、いろんな人にいわれたそうですし、直接、三島氏からの手紙を、両者を担当する『新潮』の編集者をつうじていただいた。そして三島氏の読み取りは正しかったろうと思いますね。一方では安保闘争の運動に心から入っていきながら、そのはんたいがわの、国家主義的な、ファッショ的な、天皇崇拝の右翼青年にも共感を感じているような、そういう人間として小説を書いていたことが、自分にもいまははっきり分かります。」(『大江健三郎 作家自身を語る』新潮文庫、2007年)。                                          
『憂国か革命か』で解説を書いた板坂剛は、次のように書いている。「大江健三郎の小説を、三島はホメもケナシもしなかったが、『風流夢譚』よりも『憂国』よりも文学的には数段上であることを、この時大江は見せつけている。/後年『奔馬』というテロリスト小説を三島はものにした。が、明らかに山口二矢の影が見えるにもかかわらず、時代背景を戦前に置き換えなければならなかったところに、三島の弱さがある。『セヴンティーン』は、三島が書かなければならなかった作品である、ということだけを明記して作品評に替えたい。/・・・山口二矢が刺したのは三島由紀夫だったのかもしれない。少なくとも、最も描かなければならない人物を描けなかったという点で、三島はこの時、大江に負けたのである。その敗北感は生涯消えることはなかった。」                                      

「政治少年死す」が「封印」されたことによって、右翼思想はみずからの限界に挑戦する姿勢を喪失した。他方、左翼思想も乗り越えるべき対象を視野の外に置くことになった。大江は、『ヒロシマ・ノート』『個人的な体験』を経て『万延元年のフットボール』へと豊かな文学世界を押し広げていったが、このテーマに直接挑むことはなくなり、常にその周囲を経巡る旅を続けることになったと言えよう。