Tuesday, July 29, 2014

「慰安婦」ヘイト・スピーチ処罰法が必要だ(3)

三 欧州における歴史否定犯罪法の特徴                                   
                                              
 網羅的に調査したわけではないので、同様の立法例や適用事例は他にもあると考えられる。オーストリアにも同様の規定があるとの情報もある。今後も調査を続けるが、ここでは以上の情報をまとめておこう。条文そのものが引用されている場合もあれば、その概要しか紹介されていないものもあるので、正確な比較は困難であるが、今後の研究のための手掛かりを提示しておきたい。                                  
 以下では、加害と被害の関係、法形式、否定の対象、実行行為、刑罰について見て行こう。保護法益については次回に検討したい。                                
                                              
1 加害国側と被害国側                                   
                                      
 まず加害国側に位置するか、被害国側に位置するかを見ておこう。というのも、これまでの研究ではドイツ法だけが紹介されてきた。このため、ユダヤ人迫害を行ったドイツが、反省と謝罪を示すことによって周辺国と和解し、欧州で生き残りをはかるために民衆煽動罪を制定したかのような誤解が語られてきた。そのことは同時にドイツの特殊性を想定させてきた。                                         
 しかし、すでにみたように「アウシュヴィツの嘘」犯罪法は、ドイツに特殊な規定ではない。西欧、中欧、南欧、東欧に同種の法律を見ることができる。                      
 加害側に立ったドイツ、オーストリア、あるいはフランコ政権のスペインにこの種の法律がある。他方、被害側のフランスにも、さらには中立国だったスイスとリヒテンシュタインにも、加害と被害の双方を同時に経験した東欧諸国にも、同種の法律がある。ドイツが特殊な例であるとか、ドイツが欧州での生き残りのために選択したという説明にはまったく根拠がない。                                         
                                    
2 法形式                                 
                             
 刑法典に規定しているのはドイツ、スペイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、アルバニア、リヒテンシュタインである。他方、フランスとルーマニアは特別法である。なお、オーストリア、スイスは条文を確認できていないが、刑法典のようである。                                 
 「アウシュヴィツの嘘」犯罪が刑法典に規定されているのは、それが殺人罪、傷害罪、窃盗罪、強盗罪、詐欺罪、放火罪、強姦罪などと同様に、基本犯罪だという認識があるからである。                                    
 このことは「アウシュヴィツの嘘」犯罪だけでなく、ヘイト・スピーチ処罰法についてもいえることである。EU加盟国のすべてが何らかのヘイト・スピーチ処罰法を有しているが、その多数が刑法典に規定されている。ヘイト・スピーチ犯罪が基本犯罪であることが明瞭である。                                       
日本での議論にはこうした基本認識が欠落しているために、本筋を見落した奇妙な議論に転落してしまう。ヘイト・スピーチ規制は特定の集団の保護のために特別法をつくるのではなく、特定の集団の保護になる場合もそれが当該社会にとって基本的な条件だから、基本法である刑法典に定めている。                                             
                                       
3 否定の対象                                                    
                                           
 何を否定、正当化する発言が処罰対象とされているか。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害などを念頭に置いているのはドイツ、ルーマニアである。スロヴァキアもおそらく同様であろう。他方、ユダヤ人迫害に限らない人道に対する罪を対象とするのがフランス、スイス、ポルトガル、マケドニアである。アルメニアは不明である。                              
 もともとは、第二次大戦時における戦争犯罪や人道に対する罪、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害などが想定されていたであろう。                                     
 しかし、東欧諸国の場合には、旧社会主義政権時代の犯罪を考慮する可能性もある。フランス法も、ユダヤ人迫害に限らず、国際刑事裁判の判決を否定することが対象とされており、例えば旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷が裁いた人道に対する罪も含まれる。スイス法では過去にさかのぼりアルメニア・ジェノサイドの否定も犯罪とされる。                            
 そのことが法律の条文にどのように明示されているのか。条文の解釈を支える社会意識、歴史意識などがどのように共有されているか。今後の研究課題である。                                   
                                       
4 実行行為                                   
                                           
 第一に、疑いを挟むこと、疑問視を犯罪とするのはフランス、スロヴァキア、ルーマニアである。第二に、否定がドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア。第三に、(ひどく)矮小化がドイツ、リヒテンシュタイン、マケドニア、アルバニア。第四に、容認(是認)がドイツ、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア。第五に、正当化がリヒテンシュタイン、スペイン、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア。第六に、好意的な文書の配布がアルバニア等である。                                        
 スペインでは、否定を処罰することは違憲とされ、正当化の処罰だけが残った。しかし、否定を処罰する国は少なくない。この点は、それぞれの国家の憲法における表現の自由の規定様式や、解釈例によって左右されるかもしれない。                                     
 日本におけるヘイト・スピーチ論議では、条文の具体的な検討を抜きに、ヘイト・スピーチの処罰自体が表現の自由に違反するとか、明確性の原則に違反すると断定する非常に乱暴な見解が見られるが、欧州諸国における憲法と刑罰規定の連関についてより詳細な研究を行った上での慎重な比較検討が必要である。                                            
                                          
5 刑罰                                            
                                         
 法定刑が判明しているのは、ドイツが五年以下の刑事施設収容、リヒテンシュタインが二年以下の刑事施設収容、ポルトガルが六月以上五年以下の刑事施設収容、マケドニアが一年以上五年以下の刑事施設収容(煽動する意図をもってなされた場合は、四年以上の刑事施設収容)、ルーマニアが六月以上五年以下の刑事施設収容及び一定の権利停止又は罰金、アルバニアが三年以上六年以下の刑事施設収容である。スイスの法定刑は不明だが、一五か月の刑事施設収容と八〇〇〇フランの罰金とした事案がある。                                                          

 ヘイト・スピーチも「アウシュヴィツの嘘」も基本犯罪であり、刑罰もそれなりに重いことがわかる。被害の程度、深刻性を検討し、保護法益を的確に判断すれば、法定刑の上限が五年以下の刑事施設収容とされている例が多いことの意味がよくわかるであろう。