Monday, December 29, 2014

2014年の終わりに

2014年を振り返って特徴づけるならば、グローバル・ファシズムの時代に、いくつもの矛盾と混乱に引き裂かれた日本を確認することができる。経済的に停滞・後退を重ねながら、「アベノミクス」というカンフル剤で「成長」に酩酊する日本。高齢化社会の現実を前に、クール・ジャパン、AKB、JK散歩など歪んだ「文化・芸能」に沸き立つ日本。ナショナリズム、排外主義、歴史修正主義を「暴発」させながら、他者に対してヘイト・スピーチをぶつけ、自らの品位をとことん下落させる社会。
個人的にはそれなりに充実した一年でもあった。3月までは勤務先からサバティカル(有給休暇)をもらっていたのでジュネーヴで過ごし国連人権理事会や人種差別撤廃委員会に参加して勉強できた。4月以後は週8コマの授業におわれたが、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチへの取り組み、日韓条約50周年へ向けての見直し、「慰安婦」問題での発言など、ここ数年の課題に向き合うことができた。8月には人種差別撤廃委員会のロビー活動に参加し、11月には数年前に手を付けながら中断していた植民地犯罪論の研究にも戻ることができた。加藤朗・木村朗・前田朗『闘う平和学』(三一書房)に加えて、共著で『いまこそ知りたい平和への権利』(合同出版)、『Q&A「慰安婦」・強制・性奴隷』(お茶の水書房)にかかわることができた。また、授業では「青春の造形」(アーティスト・デザイナーヘのインタヴュー)に加えて、「スイスの美術館」も楽しかった。20年通ったスイスで収集してきた資料を基にスイスの美術館、画家、作品を整理する作業である。
2015年には還暦を迎えるのでそろそろこれまでの研究を一段落させたい。まずはヘイト・スピーチ研究を一つにまとめたい。そして研究を次のステップに進め、人種差別禁止法制定に取り組みたい。長年懸案の死刑論もそろそろなんとかまとめたい。

2015年は第二次大戦終結70年なので、国連レベルでも欧州でもさまざまな取り組みが行われる。東アジアは、歴史修正主義者に乗っ取られた日本がますます無責任ぶりを発揮するかもしれない。2015年は日韓条約50年でもあり、「日韓つながり直しキャンペーン2015」の運動のメインの一年でもある。東アジアに平和の海をつくる課題は遠ざけられるばかりだが、諦めず努力を積み重ねたい。

大江健三郎批評を読む(4)大江文学の「矛盾」をどう見るか

中村泰行『大江健三郎――文学の軌跡』(新日本出版社、1995年)

1991年に『文化評論』に連載された評論を基に、大江がノーベル賞を受賞した直後に加筆して1冊にまとめたものである。第1の特徴は、民主主義文学論としての大江文学の検討であり、戦後民主主義的なものを半ば継承しながら、常にそれとは異なるベクトルも有していた大江文学を解析することで、大江批評であると同時に民主主義文学の発展を目指した批評である。第2の特徴は、1995年段階での大江の主要作品をすべて取り上げて分析し、大江の軌跡を追跡している。第3の特徴は、38年間の大江文学の前半に影響を与えた実存主義、(1995年時点での)後半に影響を与えた構造主義を批判的に問う。著者の関心は「はじめに」に次のように示されている。「社会評論における明確な戦後民主主義擁護の姿勢が、その作品世界には必ずしも貫かれておらず、読者を出口の定かでない混迷の中に引き入れ、その難解さにとまどわせてしまう場合が多いのだが、それはなぜだろうかという疑問である」。この問題意識に従って著者は大江文学を見事に分析する。つまり、前期の大江における実存主義と民主主義の相克または齟齬を鮮やかに指摘する。同様に、後期の大江における構造主義と民主主義の相克または齟齬を鋭く突く。大江の人間観や世界観がつねに矛盾し、引き裂かれているように見えるのは、実存主義や構造主義といった非合理主義」に影響を受けたためであると言う。それゆえ、生涯を持って生まれた息子との共生の課題にしても、核兵器廃絶の課題にしても、民主主義的運動によってではなく、実存的な賭けや虚無、構造主義的な「神話」への逃避によって彩色されてしまい、大江はこれらを統合することに失敗し続けたことになる。著者は最後に次のように筆をおく。「大江が小説家として『このまま』終わるのではなく、戦後民主主義者の信念を一貫させることによって『大きな問題』を解決し、『最後の小説』として真にふさわしい作品を書きあげることを期待するゆえんである。」ここで「最後の小説」というのは、大江自身が当時『最後の小説と唱えていたものであり、1995年段階では『燃え上がる緑の木』3部作をさすが、著者は、これが大江の「最後の小説」にふさわしいとはいえないと批判し、大江が本当の「最後の小説」に挑むことを期待している。民主主義文学論の立場からの大江批判は当たっていると思う。ただ、それが「批判」として意味を持つのは戦後民主主義と民主主義文学を全面肯定する立場に立った者にとってだけであることも否定できない。第1に、日本国憲法に内在する天皇制をどう考えるかは別論である。第2に、戦後民主主義はアメリカの作為によるものであり、日米安保や核の傘を民主主義論だけで超えられるかどうか。第3に、民主主義文学が大江文学の水準に到達するどころか、遥かに遠望することしか出来ないのはなぜか。そして、第4に、民主主義と実存主義又は構造主義の矛盾をそのまま作品世界に取りこんだことを著者のように裁断すればすむのだろうか。本書以後の大江文学の歩みを著者がどのように分析しているのか、大いに知りたいところだ。

Sunday, December 28, 2014

切れ味鋭い憲法学者の近代日本論

樋口陽一『加藤周一と丸山眞男――日本近代の<知>と<個人>』(平凡社)
近代日本が体現した矛盾としての西洋的なるものと日本的なるものの相克は常に問われ、語られてきた。パロディとしての「近代の超克」は別論だが、近代個人主義と日本的伝統との軋みは今なお問い続けるべき課題である。憲法学者の樋口は戦後思想の加藤と丸山に即して、日本の憲法論議における民主主義、立憲主義、憲法制定権力を論じる。加藤の「雑種文化論」、丸山の「弁証法的全体主義」「規範創造的自由」を軸に、ルソー、ロック、ホッブズ、トクヴィル、シュミット、ラッセル、中江兆民など縦横無尽に語る。主権、人権、民主主義という憲法の原理レベルの考察を、わずか180頁の小著で見事に展開している。安倍政権の憲法破壊と改悪攻撃の現実に立ち向かう問題意識で、歴史と論理、<知>と<個人>、加藤と丸山と格闘するのは樋口でなければできないことだろう。

樋口は1934年生まれだからもう80歳だ。仙台一高で井上ひさしと同期、菅原文太と一年違い。大学生の頃、樋口の革命的著作『近代立憲主義と現代国家』『議会制の構造と動態』が出ていたので読もうとしたが、その能力がなかったので大学院時代に再読したのを覚えている。その後も樋口の著作を10冊以上は読んだと思う。秀才揃いの憲法学者の中でもひときわシャープな知性であり、切れ味が鋭すぎるほどの印象だったが、近年は老大家らしく教養豊かな味わいのある文章を次々と送り出している。

もっとも私なら幸徳秋水、石川啄木、小林多喜二らとともに、管野スガ、金子文子、長谷川テルにもう一つの日本近代の<個>を見るが。

Friday, December 26, 2014

「北京+20」に向けて

1995年に北京で開催された世界女性会議から20年を迎えようとしている。国連は2015年に「北京+20記念会合」を持つべく準備している。すでにアジスアベバ、バンコク、サンティアゴなどで準備会合が持たれてきた。

大江健三郎を読み直す(35)核時代の想像力の射程

大江健三郎『核時代の想像力』(新潮社、1970年)
1968年1月~12月に紀伊國屋ホールで行われた11回の連続講演記録を1冊にまとめたもので、『万延元年のフットボール』(1967年)の後、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)を発表していた時期である。『ヒロシマ・ノート』(1965年)の後、『沖縄ノート』(1970年)を書いていた時期でもある。
「核時代に人間らしく生きること」を考えるために、すべての狂気について想像力をめぐらせること、そして、想像力を鈍らせる力に抵抗しつつ生きることを掲げる。明治百年の国家的祝祭に抵抗し、沖縄返還へ向けた時期の政治に抵抗し、学生の反乱を自らの問いとして引き受け、アメリカと日本の関係を問い直し、想像力の死とその再生を語る。バルザック、ドストエフスキー、フォークナー、サルトル、ロブ=グリエ、カポーティ、往生要集、魯迅、二葉亭四迷、そして自作を取り上げながら、時代状況に挑む。
上石神井の下宿に住んでいたので石神井図書館で借りて本書を手にしたのは1974年、大学1年生の時だった。平易な語り口で読みやすいと思ったのを覚えている。1974年に出た『状況へ』は大学1年生には難しかったが、本書は読みやすかった。当時読み落としていたことを2つ。
一つは、核兵器と原発の問題だ。3.11の後、「大江は核兵器には反対していたが、原発には反対していなかった」と語られたことがある。たしかに、「核エネルギーの開発とはなれて、原爆は弁護しがたい悪です」といった表現がある(197頁)。しかし、「とくに日本においておこなわれている核エネルギーの開発を考える場合には、いま、ただ文明の名においてのみ進行しているこの問題に、その文明が内部にもっているところの野蛮さということを考えあわすことが必要なのではないか。」(202頁)、「核兵器とすっかり切りはなされた核開発がありうるとして、そのようなもののなかにも、われわれのもっている野蛮さを限りなく大きく拡大して非常に凶暴な力とかえるような契機もふくまれているのではないかと気がかりです。」(203頁)。

二つは、ルネサンスに触れてトーマス・モアとエラスムスを論じつつ、大江は「日本にそれをかぎっていえば、そのようなルネサンスにあたる時代とは、どのような時代であろうかとしばしば考えてきました。いまのぼくの考えは、自由民権の時代、すなわち維新後の一時器がすぎて、明治十五年あたりをピークとして高揚する自由民権の時代が、にほんにおけるそのように本質的な再生の時代、ルネサンスの時代であったといっていいのではないかと思います。それもとくに民衆のがわに、民衆的規模において非常に生きいきとした興奮がおこる。それに伴うイマジネイションが民衆の心に燃えあがる。当然に大きな希望を民衆がもち、陽気な大胆さをもつ、そういうことをいちいち具体的に考えてみれば、自由民権運動の時代は、ほんとうにわれわれの国のルネサンスであったろうと思うのです。」と述べている(267~8頁)。自由民権=ルネサンス論である。『万延元年のフットボール』以後の小説に影響を及ぼし思考がここに明示されていた。

Wednesday, December 24, 2014

マルクスの「国家死滅後の世界」をめぐって

的場昭弘『マルクスとともに資本主義の終わりを考える』(亜紀書房)
 
10年前に『マルクスならこう考える』を出した著者による資本主義論、グローバル世界論である。現在の資本主義の現実に「危機」を見て、「反資本主義の趨勢」を確認する著者は、資本主義の発展・肥大化が必然的にもたらす世界的矛盾を分析する。中国とロシアと言う反資本主義や、北アフリカ、中東、中央アジア、東アジア、東欧の混乱と紛争の現実に向かう。アラブの春や、真理の爆撃、世界再編の必要性を示す過剰資本と過剰生産、そして利潤率の傾向的低落を検証したうえで、「小さな社会」の構想を打ち出す。
「国家権力を超えるところにグローバリゼーションのもつ魅力、すなわちコスモポリタンのもつ魅力があるともいえるのです。しかし、すべての人が個性を失い、世界市民化した姿に、むなしさを感じるのも当然です。お互いが多様であるという言も、民主主義の重要な概念だからです。差異が保障されながら、全体が調和する社会、それは果たして可能なのかどうか。そうした方向はグローバル資本主義がもたらすことなのかどうか。それともそれに反対する運動がもたらすものか。」
             *
著者の『待ち望む力』について

http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/08/blog-post_8.html

Tuesday, December 23, 2014

大学入試改革と知性の崩壊

22日、中央教育審議会が2020年度から「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を実施するという大学入試改革答申を文科大臣に提出した。「暗記した知識の量ではなく、思考や判断など知識の活用力を問う」という。あるいは、「思考力や人物を総合的に評価」するという。
それは結構だが、具体的にどういう改革なのかと思ったら、NHKニュースでは「例えば英語と国語の両方にまたがる問題を作ることで総合力を見る」と言っていた。馬鹿げている。第1に、英語の「知識」と国語の「知識」を組み合わせた所で、現在と変わるとは考えられない。第2に、英語も国語も得意な生徒と、両方苦手な生徒の学力格差をこれまで以上に広げる結果になるだけだ。国語はそれほど苦手でないが英語は苦手の生徒は、両方苦手になるだろう。
23日の朝日新聞朝刊には具体的な問題がのっている。某大学の実際の例だそうだ。「受験生は欧州などのワインの歴史や文化について約15分の講義を聴く。その上で、『スターリンがチャーチル首相にブランデーをすすめたとされる会談は』といった歴史や、ワインの製造に関する化学式などを問う」のだそうだ。馬鹿げている。あまりにも馬鹿げている。第1に、歴史ひとくち豆知識など、学校教育に必要ないし、大学入試に入れても無意味だ。第2に、歴史も化学も嫌いな生徒を作るだけだ。第3に、こんなくだらいない問題のために15分も講義をするような入試を全国レベルでやる意味がない。できるはずもない。第4に、そもそもこんなくだらない問題で「暗記した知識の量ではなく、思考や判断など知識の活用力を問う」、「思考力や人物を総合的に評価」することなどできない。
これまでもさんざん教育制度改悪に猛威を奮って来た中央教育審議会だけあって、考えることはこの程度だ。知性の崩壊はとどまるところを知らない。


2014年末もザ・ニュースペーパー

昨夜はザ・ニュースペーパー2014千秋楽(銀座・博品館劇場)だった。

冒頭は、総選挙で勝利したアベ・シンゾーが「マツ・タカコ・デラックス」が歌うテーマソング「アベのままで」とともに登場。以前は「アベマリア」の調べにのって登場したが、「アベのままで」のほうがウケていたようだ。
自民党本部では、アベ、降格人事のタニガキ幹事長、スガ官房長官の漫才。
民主党本部では、万事休すならぬ万里休すのカイエダ元代表とワタナベコーゾー顧問のもとに、オカダ、カン、ハトヤマなどが次々と訪問。
他方、TVニュースに登場したコイズミジュンイチローのニュース解説。「どんどん投票率が下がって投票率10%になれば公明党と共産党の2大政党制になる。その頃、シンジローは社民党党首になって頑張っている」も結構ウケていた。
そのほかのギャグ・コントの登場人物は、STAPオボカタ、ハニューユズル、アサダマオ、エアー・ケイ、小笠原の赤珊瑚、レジェンドのカサイ、ノーベル平和賞のマララなど。
年末公演では恒例の今年物故された方の追悼で、やしきたかじんの「好っきやねん」のメロディに載せて高倉健や菅原文太。
最後はやはり恒例の「さる高貴なご一家」。ノーベル賞のナカムラシュージの毒舌が見事だった。このところ多忙のためか風邪をひいて少し喉が痛かったが、笑い収めで風邪が治った。

Monday, December 22, 2014

フクシマを風化させない

日野行介『福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞』(岩波新書)
議員立法で成立した子ども・被災者生活支援法が見事に骨抜きにされていった経過を詳細に追跡した新書である。被災者や支援者を小ばかにした暴言ツイッターで話題となった復興庁の水野靖久参事官を特定し、責任追及をした場面から始まる。表面的なことは良く知っていた件について、議員や官僚が実際にどう動いて、法律を埋葬していったかがよくわかる。現場の実態を無視し、被災者の苦難を無視し、三権分立も軽視して、官僚が自在に好き放題の変質政策を展開する。憲法違反の議会無視がまかり通る。背後にいるのは「原子力マフィア」であることが、随所に小刻みに登場し、読者にもよくわかる。あまりにも無責任で、被災者を馬鹿にした話が続くので読むのが苦痛になったりもするが、前著『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書)とともに勉強になる。
官僚の国民無視は、厚生労働省で言えば、公害や薬害を続発させた時代の国民殺傷行政に明らかである。つまり、一つには、福島原発事故に限らず、官僚は国民の生命や安全や健康に関心を持たず、企業の利潤追求にひたすら貢献していた。地震や台風の際に現地で人々が大変な苦労を続けているのに対して、官僚は電話やFAXやPCで情報管理を続けるだけである。それだけならまだしも、福島原発事故の場合には原子力マフィアを守ると言う大命題が優先させられる。東電の刑事責任をもみ消そうとする検察に始まり、被災者支援も損害賠償も、再稼働問題も使用済み核燃料問題も、あらゆる局面で事故隠し、情報隠し、改竄、情報操作、差別と分断を活用する。被災者を分断させながら、上から下に向かって「分断させるな」などと暴言を吐く。連帯を破壊しながら「絆」などと宣伝する。被曝被害を隠蔽し、調査も報道もさせない。こうした流れがいつの間にかつくられ、「風化」が意図的に組織される。
12月21日、新横浜のスペースオルタで、福島原発かながわ訴訟原告団の協力を得て、平和力フォーラム「混迷する時代のただ中で」を開催し、原発民衆法廷判事の一人だった岡野八代さん(同志社大学教授、政治学、フェミニズム研究)にインタヴューを行った。原発民衆法廷とは何だったのかを振り返り、特に「民主主義」とは何かを基礎から問い直しながら、原発問題が思想のレベルで問いかけたこと、いま私たちに突き付けられていることを語っていただいた。


Wednesday, December 17, 2014

カウンター行動の現場から

神原元『ヘイト・スピーチに抗する人びと』(新日本出版社)

新大久保駅周辺でのヘイト・デモに対して取り組まれたカウンター行動に参加し、立ち会った弁護士による現場からの報告である。ヘイト・スピーチとは何か、法規制の可否、カウンター運動の原理について考える。ヘイト・スピーチの法規制について議論するための基礎情報を欠いたままの議論だが、現場でヘイトに立ち向かってきた弁護士による本だけに有益である。憲法論についても、憲法学者の立論よりも具体的で説得力があると思う。多くの憲法学者は憲法第21条の表現の自由だけを論じるが、著者は憲法第13条の人格権や憲法第25条の生存権にも言及している。的確である。

Saturday, December 13, 2014

チューリヒ美術館展

最終日が迫って来たので国立新美術館に足を運んだ。チューリヒ美術館には3回ほど行ったし、授業でも取り上げたところだったので、多忙でもあり行くのが遅れた。平日の午後だが多くの客のにぎわいで、作品を見ているのか、人の頭を見ているのか、といった具合だった。チューリヒ美術館に平日に行けば、他に誰もいない状態でゆっくり見ることができるが、東京ではそうはいかない。モネの大作など、大勢の人が並んでいるため作品を見ることが できない。人の波が途切れるのをしばらく待たなければならない。
展示はセガンィーニに始まり、印象派、ナビ派、キュビズム、シュルレアリズムなど定番の構成。モネ、セザンヌ、ホドラー、バロットン、シャガー ル、クレー、カンディンスキー、ピカソ、マルク、ジャコメティなど、日本で人気の作家と作品がずらりと並び、大いに楽しめるが、ありきたりだ。構成に工夫がないのは残念。
チューリヒ美術館には、印象派以前にも、マテオ・ディ・ジョバンニのキリストとマグダラのマリアや、バルトメオ・モンターニャの十字架を担ぐキリスト、ドメニチオのキリスト洗礼の風景、ニコラス・プッサンの眠るヴィーナスとサティルスがあるのに、今回は来ていない。わかりやすい印象派中心の組み立ては結構だが、ちょっと。また、アンジェリカ・カウフマンやアンリ・フュスリもあるのに。

逆に、ココシュカのモンタナ、イッテンの出会い、タンギーの明日など、これまで見落としていた作品もいくつかあって、その点では良かった。

Thursday, December 11, 2014

フロンティアに挑戦する国際人権法に学ぶ

阿部浩己『国際人権を生きる』(信山社、2014年)
この夏、著者は本書と、大著『国際法の人権化』の2冊を同時出版するという離れ業を演じてみせた。国際人権法の理論と実践の両面における第一人者であり、国際人権法学会理事長である著者の理論的生産力はまさに群を抜く。驚異的だ。
その特徴は、人権状況改善のために国際法を活用しつつ、国際法そのものの改善のために理論構築を重ね、「人権の国際化」と「国際法の人権化」の両輪をエネルギッシュに牽引しているところにある。『国際法の人権化』は専門研究書だが、本書は評論やエッセイをまとめたもので、比較的読みやすい。とはいえ、読みこなすのは大変だ。ジェンダーの視座、難民・無国籍・外国人、そしてグローバル化する世界の中での人権論――347頁にぎっしりと詰め込まれた叡智と理論の闘いは、日本を変え、世界を変えるための法実践である。著者は末尾で次のように述べている。
「国際人権保障の法的潮流もあって、私たちは、今や国際法と直接に結びついた時代を生きるようになっています。国際法は、文字通り、市民化され民衆化されるプロセスにあるといってよいでしょう。こうした躍動する国際法の現代的息吹を感じ取るにあたり、私の場合は、大学院生時代からNGOの活動にかかわり、実際に国際法の現場に近いところに身を置くことができたのが幸いだったように思います。<中略>

私の場合、NGOの活動に携わってきた最大の利点は、政策決定エリートの側ではなく、市民・民衆の眼差しに寄せて国際法をみつめられるようになったことではないかと思っています。国家や統治者の視点ではなく社会に生きる一人の人間の目から見た国際法の可能性や問題点を追及するほうがもともと私の性分にあっていたこともあります。そんな気持ちをもって国際法にかかわっていると、大学や学界の中だけではなかなかお目にかかれない人たちとの出会いが時にもったらされるものです。そうした人たちと一緒になって国際法の新たなフロンティアに挑戦するチャンスを与えられることもあります。」

Wednesday, December 10, 2014

民主主義を破壊する秘密保護法施行の日に

右崎正博・清水雅彦・豊崎七絵・村井敏邦・渡辺治編『秘密保護法から「戦争する国」へ』(旬報社)
<目次>
はじめに………豊崎七絵
序 秘密保護法とは………清水雅彦
第1章 秘密保護法制の歴史的展開と現代の秘密保護法………渡辺 治
◆「戦争をできない国」づくりとしての反・秘密保護法運動………永山茂樹
第2章 特定秘密保護法と憲法原理―比較法的視点をふまえて………右崎正博
◆「情報へのアクセス権」と「国の安全」に関するヨーロッパ基準とツワネ原則………建石真公子
第3章 国家秘密の独占と国民の秘密の管理体制の整備・強化による治安国家から軍事国家へ………村井敏邦
◆特定秘密の証明と憲法―適正手続・弁護権と公開原則との狭間で………葛野尋之
第4章 二一世紀刑事法再編と特定秘密保護法………新屋達之
第5章 市民・法律家による運動の展開………岩崎貞明+角田富夫+大江京子+吉田哲也+海渡双葉+黒澤いつき
資料① 秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明
資料② 特定秘密保護法の制定に反対する刑事法研究者の声明
資料③ 特定秘密保護法案の廃案を求める声明(民主主義科学者協会法律部会理事会)
資料④ 特定秘密の保護に関する法律
あとがき………金澤真理

7月に開催された民主主義科学者協会法律部会主催のシンポジウムの記録である。編者や執筆者は憲法学者、刑事法学者で、みな知り合いだ。国民の反対を無視して制定された悪法が施行された今日、改めて本書を読んで悪法の本質と弊害を学んだ。秘密保護法反対の著作は数種類出ているが、理論面では本書が決定版と言って良いだろう。

Monday, December 08, 2014

大江健三郎批評を読む(3)

柴田勝二『大江健三郎論――地上と彼岸』(有精堂、1992年)

大江文学を読み解くためのキーワードは、第1に、近現代日本史――政治史も含め、文学史も含めて――のキーワードである。第二次大戦時の日本から戦後民主主義の日本への転換を主題とし続けたのだから当然のことながら、日本国憲法以前と以後の対比になる。第2に、ヒロシマや沖縄への視線である。核時代を生きる文学者の責任にまつわる言葉の群れである。この2つは、大江固有と言うよりも、戦後文学の一つの大きな主題群であった。大江に固有のキーワードは、第3に、四国の森の奥、谷間の歴史にまつわる言葉の群れであり、谷間を生きた民衆と天皇制の相克であった。第3の世界のキーワードから世界をとらえ返し、折り重ね、読み替えていく作業が行われた。その文学世界の構造を、より子細に、正確に把握するために文芸評論家はさまざまな分析視角を活用してきた。
柴田勝二は<地上と彼岸>を一つの分析枠組として、大江文学の構造を読み解こうとした。初期作品における「状況」と「自己」を、例えば「性」に焦点を当て、あるいは「サヨク」と「右翼」の複雑な交錯に即して検討する。あるいは『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』に即して、彼岸(彼方)の精神地理を測定しようとする。そして、<地上と彼岸>を「共同体と他者」という位相に貼り付けるように重ね合わせる。
大江文学の変容を追い続けた柴田は次のように述べる。
「大江氏が四国の山間の土地に生まれ、脳に障害を持つ長男をもうけたという人生における事実は偶然の所産にほかならないが、このきわめて私的な事情が彼に外の世界を見る姿勢をもたらす契機となったと同時に、やはり自分の生きる現代の文明社会への違和の意識を与えることになったに違いない。一人の作家としての大江氏はもっぱら東京に居を占め、その作品に対して日本にとどまらない幅広い国々の読者の評価が与えられるにいたった『国際作家』だが、そのイメージと裏腹な日本の土俗への志向と、家族との共生への愛着を彼はもちつづけている。」

正しいが、ありきたりの論説である。ありきたりだが、繰り返し語られ、確認されるべきことでもある。多くの評論家が同じことをさまざまの表現で記録してきたし、大江自身も同様のことを何度も何度も書いてきた。これからも同じことを、その都度文脈を変え、射程を変えながら、語り続けなければならないだろう。

Friday, December 05, 2014

大江健三郎を読み直す(34)危険な思想家と卑しい思想家

大江健三郎『持続する志』(文藝春秋、1968年)
1965年の『厳粛な綱渡り』に続く「全エッセイ集第二」である。第一部「あらためて戦後的なるものについて」では、紀元節、憲法9条、戦後体験について問う。第二部「『ヒロシマ・ノート』以後とわれわれにとって沖縄とはなにか」では、被爆者の自己救済運動、原民喜、沖縄の戦後世代、核基地に生きることの意味が語られる。第三部「政治的想像力」では、「期待される人間像」批判、アメリカのイメージ、民衆の虚像に焦点があてられる。第四部「文学と文学者」では、大岡昇平、安部公房、井上光晴、中野重治、野間宏、井伏鱒二などを論じるとともに、自作についてコメントしている。第五部「維新にむかって、また維新百年後の今日の状況についての観察的なコラム」では、東京オリンピック、明治維新百周年などにかかわっての日本論が収められている。
お茶の水にあった大学図書館の開架式書庫で『厳粛な綱渡り』に続いて読んだが、当時の関心は第四部に集中していたと思う。実際には安倍公房『砂の女』と野間宏の『暗い絵』『真空地帯』を文庫本で読んだだけだったし、当時の私の知識ではそれらを読みこなすこともできていなかった。まして、大岡昇平や井上光晴を読んでいなかった。後に大江健三郎『同時代としての戦後』(講談社)を導きの糸として戦後文学を読み直すことになった。大江健三郎を経由して戦後文学に向かう読み方をした人は当時他にも多かったのではないだろうか。
今回ざっと読みなおして、当時はさして関心を持たなかったエッセイに一番目を奪われた。「『危険な思想家』と卑しい思想家」という短いエッセイである。「戦後を殺そうとするものたちを告発した」山田宗睦『危険な思想家』を素材にした文章であるが、「むしろ安全な思想家とは、その本来の機能を衰弱させた、つまらない、いわば死にかけている、そういう思想家であろう」とし、「もしぼくが、だれかを告発するとしたら、ぼくは危険なという形容詞のかわりに卑しいという言葉を用いるだろう。その時はじめて、評論は、より危険な衝撃力をもつであろう」という。大江は恩師・渡辺一夫に依拠して、カルヴァンとカステリヨンの逸話を紹介する。「危険な思想家」とされた「安全な思想家」カステリヨンが追放され、不遇の死を迎えたのはなぜか。

エッセイから半世紀、大江はまさに「危険な思想家」の役割を引き受けて、「卑しい思想家」を告発してきた。声高にではなく、静かに、遠回しに、時に諧謔的に。今日でも、沖縄戦における集団死をめぐる裁判で、稚拙な誤読を重ねて大江を非難してきた曽野綾子や、それに引きずられて大江を非難した歴史修正主義者たちがいる。彼らは思想家でもなんでもないから、「卑しい思想家」には当たらないのだろうか。福島第一原発事故にもかかわらず、被災者の安全と回復など考慮せず、放射性廃棄物の処理も考えず、金もうけのために原発再稼働をすすめようとする政治家や企業人がいる。彼らもおよそ思想家ではないので、論じるに値しない。とすると、告発するべき「危険な思想家」はどこにいるのだろうか。残念なことに、弾劾するべき危険な思想家がどこにもいないのではないだろうか。権力に奉仕する卑しい思想家ばかりのこの国には。