Friday, April 17, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(15-1)用語法と類型論

成嶋隆「ヘイト・スピーチ再訪(2)」『獨協法学』93号(2014年4月)
「再訪(2)」では、第3章で国連自由権規約委員会の個人通報審査について、フォリソン対フランス事件、及びロス対カナダ事件の紹介をしたうえで、第4章で日本の状況と題して、「1 用語法」「2 行為類型」「3 法規制をめぐる諸論点」「4 刑事規制の可能性――行為類型に即して」の順で検討している。結論としてヘイト・スピーチ規制法の必要性を否定し、「現行法で対処するべきである」と主張しているので、その論理は注目される。
3の法規制をめぐる諸論点では、7つの論点について検討している。(1)立法事実、(2)保護法益、(3)対抗言論、(4)象徴的・教育的機能、(5)逆効果、(6)委縮効果、(7)在日コリアン差別問題の特異性、の7つである。ヘイト・スピーチ処罰に反対する憲法学説の多くは、ヘイト・スピーチとは何か、その行為類型や、被害についての認識を示すことなく、抽象的議論にふける例が多いのに対して、成嶋は上の7つの論点に即して具体的な検討を加えている。その意味でレベルの高い論文と言えよう。7つの論点の検討の一つひとつについては後日、再読してから私なりに検討したい。
第4章の「1 用語法」で、「ヘイト・スピーチに対する法規制のありかたを検討するに際して、この表現行為を、『差別助長』性に力点をおいて捉えるか、それとも『憎悪扇動』性に力点をおいて捉えるかが、大きなポイントとなると思われるからである」と適切に指摘している。その通り、用語法及び類型論は極めて重要である。ただし、論証抜きに、初めから「表現行為」と決めつけている点は疑問だ。「ヘイト・スピーチ」という言葉が用いられていること自体を何も疑わない姿勢である。
成嶋は、私の『増補新版ヘイト・クライム』と「ヘイト・クライム法研究の論点」『法の科学』44号の論文を引用して、前田は「ヘイト・スピーチをその内容に含む広範な概念としてヘイト・クライムを定義づけているが、その点で、やや内包・外延が不明確な定義といえる」と述べている。
「内包・外延が不明確」という成嶋の指摘は正しい。上記著書及び論文で私は「内包・外延」という観点を考慮に入れていないし、現在も考慮に入れていない。というのも、国際常識ではヘイト・スピーチは犯罪である場合があり、処罰法が100か国以上に存在している。ヘイト・スピーチは犯罪であるからヘイト・クライムに含まれるのが当然である。そして、私は「犯罪でないものをヘイト・スピーチと呼ばない」という見解を採用している(この点は必ずしも国際常識ではないが)。他方、成嶋は、ヘイト・スピーチそれ自体の刑事規制を否定し、それが犯罪であると見ていない。ヘイト・スピーチはヘイト・クライムに含まれないとする成嶋の立場から見れば、私の主張は「内包・外延が不明確」という考えが成立するのかもしれないが、このことに私は興味がない。
「2 行為類型」で、成嶋は人種差別撤廃条約第4条に従ってヘイト・スピーチの類型論を展開している。類型論抜きの議論が横行しているのに比較して、成嶋の議論は丁寧であり、評価できる。ただ、上記著書及び論文では明示していないが、現在の私の主張は、法律論以前に「ヘイト・スピーチ行為の類型論」を論じつつ、法律論として「ヘイト・スピーチ規制法の類型論」を展開するべきというものである。成嶋の「行為類型」は法律論としての類型論である。人種差別撤廃条約を根拠にしている点で説得的であるが、方法論的に見るならば、条約や法律だけを根拠とする類型論でよいのだろうかという疑念は残る。他方、私の方法に対しては、「内包・外延が不明確」という成嶋の指摘がやはり当てはまるかもしれない。

「4 刑事規制の可能性――行為類型に即して」の部分は重要だが、再読してから検討したい。