Friday, April 03, 2015

大江健三郎を読み直す(43)「国家論小説」の先蹤

大江健三郎『同時代ゲーム』(新潮社、1979年[新潮文庫、1984年])

大学院2年目に出た本で出版直後に入手したが、読んだのは正月休みだった。博士前期課程の頃は授業の報告準備に追われていたので、ふだんはゆっくり読書に専念できなかった。気合を入れて読むべき小説は、長期休暇に読むしかなかった。

本書は大江の大胆な挑戦、意欲作であり、まさに画期的な作品だったが、絶賛する声と同時に、全否定するかのようなダメだし批評も多かった。毀誉褒貶の嵐に包まれた作品と言える。私にとっても、その前に出た『小説の方法』を読んでいたが、そこからこの作品が出てくることを予想はしていないし、よく理解していなかったため、本書を一読して驚き、どう受け止めたらいいのか途方に暮れたような気がする。繰り返し読んで、『万延元年のフットボール』と並ぶ傑作だと思うようになった。中学時代から創元文庫や早川文庫でSF小説を読み漁っていたため入口は入りやすかったとはいえ、大江の言う「想像力」の意味を図りかねていたかもしれない。

四国の山奥の<村=国家=小宇宙>を生きた一族の神話と歴史が、父=神主の息子である僕が双子の妹にあてた手紙の形式で書かれる。留学先のメキシコから書いた第一の手紙に始まり、帰国して東京から書いた第二から第六の手紙まで、日本国家に抗して展開された<村=国家=小宇宙>の物語が綴られる。長い<自由時代>の後、近代を迎えた国家確立期に大日本帝国に編入されるが、一揆を闘い、後には戦時の大日本帝国軍と直接闘うという意想外の飛躍をする。明治維新、大逆事件、太平洋戦争、そして戦後に至る激動の近代史を、日本国家と並走した<村=国家=小宇宙>の始原の壊す人とは何者か。アポ爺、ペリ爺、オシコメ、シリメ、木から降りん人、亀井銘助等々の多彩な人物像は、物語をどこからどこへ運んで行くのか。

大江はこの頃から文化人類学の影響を受けながら文学方法論を鍛えていくが、特にこの時期に熱中して読んだのが山口昌男『文化と両義性』だ。私も出版時に読んだが、文化人類学的発想にはなじめないところもあった。そもそもの文化人類学が植民地主義の産物と言う歴史の一面にこだわっていたためだ。山口昌男の文化人類学をそれとしてしっかり読み続ければ違ったのかもしれない。バシュラール、そして他方でガルシア・マルケスバルガス=リョサの影響もあったようだ。

後に大江は次のように述べている。

「大きい風景、大きい出来事の流れを書きたいと思ったんですね。それも、自分が生きてきた同時代というとまだ四十年だけれども、その自分が生まれる前の六十年過去に遡って、百年間の日本の近代化ということが、どのように日本人に経験されたか――それをある限られた一つの舞台で行われる芝居のように、あるいは大がかりなゲームのように書きたい。それが『同時代ゲーム』というタイトルを作った理由です。」(『大江健三郎 作家自身を語る』141頁)。


日本文学史においては「全体小説」という呼称が知られるが、本書はその一つでもある。全体小説とは何か、あるいはどの作品が全体小説かについては議論が分かれる。一般的には、野間宏『青年の輪』、埴谷雄高『死霊』、大西巨人『神聖喜劇』が代表とされる。サルトルの『自由への道』も全体小説だ。サルトルに影響を受けて出発し、戦後文学の継承者となった大江だけに、まさに全体小説への希求がつねにエネルギーとなっていただろう。もっとも、後に大江は丸谷才一の市民小説に全体小説を見出しているので、言葉の意味には変遷があるかもしれない。


本書は「国家論小説」であり、<村=国家=小宇宙>というミニ国家を起点に、日本国家とは何かを問う仕掛けになっている。「国家論小説」としては、井上ひさし『吉里吉里人』(1981年)、筒井康隆『虚航船団』(1984年)などが続く。「国家論小説」というジャンルがあるわけではないし、3人の作風、スタイルは全く異なるが、大江、井上、筒井の座談会記録『ユートピア探し 物語探し』(1988年)が一種の総括と言えよう。『同時代ゲーム』が出た時にそこまでは予想していなかったが、後智恵で言えば、80年代「国家論小説」の先陣を切ったのが大江だったと言えよう。