Monday, October 05, 2015

「奇妙なナショナリズム」研究に学ぶ(2)

伊藤昌亮「ネット右翼とは何か」山崎望編『奇妙なナショナリズムの時代』(岩波書店)
伊藤は「ネット右翼という存在は、量的な面でも質的な面でも昨今の排外主義運動の基盤となり、土壌となっていると捉えることができるだろう。さらに言えば、むしろネット右翼の部分こそがこの運動の本体を成し、実質を成していると捉えることもできるかもしれない」という現状認識から、ネット右翼の実体を探る。その際、「ネット右翼は誰か」と言うこれまでの議論とは一線を画して、「誰か」ではなく「何か」と問う。
伊藤はネット右翼フレームの構成要素として、「嫌韓」「在日特権」「攻撃的態度」「底辺的立場(もしくは擬態)」をあげ、これらの組み合わせによって成り立っていると見る。その言説環境として、2ちゃんねる文化と新保守論壇を検討したうえで、そこから「反マスメディアフレーム」(マスメディアという巨大な敵手に対して対抗メディアが挑む)が成立し、さらに「ネット右翼フレーム」へと展開したと言う。特に2002年の日韓共催ワールドカップサッカーを指摘する。2ちゃんらーが、自分たちとは直接関係のない嫌韓や在日特権と言うアジェンダを引き入れて行ったかを分析する。
「嫌韓というアジェンダは2ちゃんねらーにとって、朝日新聞とフジテレビとの両方を同時に困らせ、一挙にやりこめることのできるアジェンダだった。左翼知識人的な言論エリートと華やかな業界人的な娯楽エリートの両者に対して効果的なかたちで嫌がらせができ、それを通じて日本のマスメディア文化全体、さらに文化レジームそのものに対して挑発的なかたちで異議申し立てができるアジェンダだったわけである。」
こうして形成されたネット右翼フレームは、外部の世界へ流出し、ビジネス保守との交流を通じて広がったと言う。その結果、嫌韓、在日特権、攻撃的態度、底辺的立場という構成要素が出そろったと言う。
伊藤は最後に、ネット右翼の成り立ちの複雑さを指摘し、「冷戦体制後の日本社会を作っていくというプロジェクトの困難さの現れだと見ることもできるかもしれない」という。反マスメディア思想と歴史修正主義がネット右翼を形成している理由である。
伊藤の分析は、伊藤が提示する事実と理論枠組みの中で説得的であり、よく理解できるが、納得するにはなお検討を要するように思われる。伊藤の分析は、ネット右翼フレームの構成を、2ちゃんねると新保守論壇に探り、「反マスメディアフレーム」として、第1に反朝日新聞(左翼知識人)、第2に反フジテレビ(華やか業界人)という重要な特徴を有し、攻撃対象は圧倒的に韓国であり(嫌韓)、在日特権と言うアジェンダが編み出されたと見る。つまり、次のような順列が想定されている。第一に、AマスメディアB反マスメディア。第二に、Cネット右翼D嫌韓・在日特権。伊藤の分析枠組みではネット右翼や奇妙なナショナリズムは嫌韓・在日特権論に限定されることになる。

それでは、ヘイト・スピーチという言葉を普及させることになった2009年の京都朝鮮学校襲撃事件はネット右翼や奇妙なナショナリズムとは関係ないことになる。何十年と続きてきた朝鮮学校差別、朝鮮学校生徒に対する暴行・暴言事件を、伊藤はどのように見ているのかが不明である。ネット右翼だけに焦点を当てれば、インターネットが普及した以後のことしか取り上げないのは必然だが、それでは現実を分析することは不可能ではないだろうか。日本における排外主義、ナショナリズム、ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ、朝鮮人差別には、長い歴史がある。関東大震災朝鮮人虐殺があり、朝鮮半島における虐殺と差別があり、朝鮮学校に対する国家的差別と社会的差別は連綿と続いてきた。ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチに絞って、比較的新しい事例を見るならば、1987年の大韓航空機事件の直後の朝鮮学校生徒への暴行事件。1989年の「パチンコ疑惑」、1994年の「北朝鮮核疑惑」、1998年のテポドン騒動、2002年の日本人拉致問題の直後に、日本社会は朝鮮学校生徒に対する襲撃を繰り返してきた。なぜ伊藤はこのことを考慮に入れようとしないのだろうか。