Sunday, December 06, 2015

朴裕河訴追問題を考える(7)植民地主義について

(7)植民地主義について

以上6回にわたって、朴裕河訴追問題について、11月26日に発表された「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」を読んできた。言及したい論点は他にもあるが、今回でまとめとする。

抗議声明は54名の連名だが、11月27日の朝日新聞記事によると、26日の記者会見には、小森陽一、中沢けい、若宮啓文、上野千鶴子、木宮正史が参席したという。54名の名前を見ると、「いかにも、なるほど」という名前が多いが、中には「えっ、この人が」と驚かされる名前もある。

A.批判の再確認

これまでの記述を再確認しよう。

(1)「虚偽の事実」について

朴裕河『帝国の慰安婦』の記述には数多くの誤りが指摘されてきた。ケアレスミスではなく、方法論的な誤りに基づく事実誤認や強引な解釈が指摘されてきた。虚偽の事実に基づいて被害者の名誉を毀損したのが本件である。日本刑法の名誉毀損罪では、虚偽ではなく真実を摘示しても名誉毀損が成立するが、本件では虚偽の事実を基に、被害者を日本軍兵士と同志的関係にあったとし、侵略軍の協力者と描き出したことなどが問われている。「知識人」の抗議声明は、「著者の意図」を持ち出しているが、無意味である。

(2)被害の有無について

本件は、「慰安婦」とされた被害女性たちが、名誉毀損であるとして告訴したことに始まる。告訴を受けた検察が名誉毀損の嫌疑があると判断した。それにもかかわらず、「知識人」声明は、理由すら示さずに被害を否定する。

(3)学問の暴力について

被害女性たちは、植民地支配のために十分な教育を受けることが出来なかった。それどころか民族の言葉や文化を奪われていた。その上さらに「慰安婦」とさせられた。苦難の人生を経て半世紀後に「私の尊厳を返せ」と必死の思いで立ち上がったのである。その被害者に向けて、日本人「知識人」たちは「学問の自由を侵害するな」などと言い放った。日本社会において特権的エリートの地位を占める彼らの「学問の自由」が、どれほど他人を傷つけるものであることか。

(4)言論の責任について

「知識人」声明は「言論に対しては言論で対抗すべきであり、学問の場に公権力が踏み込むべきでないのは、近代民主主義の基本原理ではないでしょうか」と主張する。しかし、集団名誉毀損・集団侮辱の処罰は西欧では当たり前である。ヘイト・スピーチ(差別煽動犯罪)処罰は欧州諸国の常識である。言論の責任の無視は許されない。

(5)「アウシュヴィツの嘘」処罰について

ドイツ、フランス、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア、イスラエルなどでは、規制の範囲はそれぞれ異なるが、人道に対する罪のような歴史の事実を否定、疑問視、矮小化、容認、正当化する発言が処罰の対象となる。「知識人」声明は虚偽の事実に基づいている。

(6)在宅起訴について

「知識人」の抗議声明は、在宅起訴という重要な事実を隠蔽して、朴裕河訴追を不当弾圧であるかのごとく描き出した。抗議声明に賛同した「知識人」たちは、日本における身柄不拘束の原則の侵害・破壊に異を唱え、きちんと抗議してきただろうか。一部の例外を除いて54人の多くが、不当弾圧への抗議の場で見たことのない名前ばかりである。

B.植民地主義から自由になれない「知識人」

抗議声明に名を連ねた「知識人」たちは植民地主義に反対し、人種主義にも反対しているはずだ。

しかし、抗議声明を読めば、彼ら彼女らは、植民地主義から自由になれずにいる人物であることがよくわかる。「内なる植民地主義」という比喩があるが、「知識人」たちはまさに「内なる植民地主義に向き合うことなく、自らの植民地主義を克服し得ていない」。

第1に、「知識人」たちは、「慰安婦」被害を受けたハルモニたちの被害を否定し、被害を受けたという主張も、理由なしに否定する。つまり、ハルモニたちの主体性を否定する。

第2に、「知識人」たちは、植民地時代に奪われた人間の尊厳の回復を求めるハルモニたちに対して、特権的エリートの「学問の自由」「言論の自由」の優位を主張する。

第3に、「知識人」たちは、近代民主主義の身柄不拘束の原則を尊重しない日本刑事司法を批判するのではなく、身柄不拘束の原則にかなった手続きをとった韓国検察を非難する。

なぜこのようなことが可能となるのか。他の解釈の余地もあるかもしれないが、直感的に誰もが思いつくのは、「知識人」たちの植民地主義であろう。

繰り返すが、「知識人」たちを植民地主義者であるとか、人種主義者であると言うつもりはない。

理論的には植民地主義や人種主義を批判したつもりになっている「知識人」たちが、実のところ、植民地主義から自由になれずにいると理解するべきであろう。彼ら彼女らは、内なる植民地主義に向き合う必要がある。

C.植民地解放闘争と女性解放闘争

「慰安婦」問題は1990年代以来四半世紀にわたって国際人権フォーラムで議論されてきた。そこで明らかになったことは、「慰安婦」問題の解決を求める闘いは、世界的な植民地解放闘争の重要な一部であり、女性解放闘争の重要な一部である、ということである。

国連人権委員会等の国連人権機関で、奴隷制、性奴隷制、人道に対する罪、女性に対する暴力などのテーマの下に議論が行われたが、この問題が植民地解放闘争と女性解放闘争の一部であることが明らかになって行った。

2001年8~9月に南アフリカのダーバンで開催された人種差別に反対する世界会議でも、「慰安婦」問題をめぐる議論がなされた。ダーバン会議の成果文書であるダーバン宣言は、「植民地時代における奴隷制は人道に対する罪であった」と、国連の史上初めて認めた。アフリカ諸国、カリブ諸国を先頭に、植民地解放闘争と女性解放闘争がもっとも盛り上がったのがダーバンであった。

ハルモニたちの闘い、韓国挺身隊問題対策協議会の闘いが、国際的な支持を得ることができたのは、このためである。


朴裕河『帝国の慰安婦』は、国際的な植民地解放闘争等を貶める。そして、次々と虚偽を並べて『帝国の慰安婦』を擁護する「知識人」たちは、まさに植民地解放闘争等への冷淡さを露呈している。自らの植民地主義に向き合うことなく、自分が属する国家と民族がかつて植民地支配を行った相手に対して根拠のない中傷を投げつけることで、彼ら彼女らは、世界の植民地解放闘争等に背を向けるのである。そこに残るのは日本優越主義だけであろう。