Saturday, April 30, 2016

大江健三郎を読み直す(59)「最後の小説」の構想

大江健三郎『「最後の小説」』(講談社、1988年[講談社文芸文庫、1994年])
50歳を過ぎたころから、大江は「最後の小説」について語り始めた。三島由紀夫の「最後の小説」や、昭和という時代の終わりを予見したこともあっただろうが、学生時代に作家デヴューし、実作と並行して小説の方法論を模索し続けた自分を振り返りつつ、「最後の小説」の構想を構想したようだ。本書冒頭に収められた「『最後の小説』」において次のように述べている
「僕は、いかにも若い年齢で、ほとんど偶然のようにして小説を書きはじめ、かつは作家の生活をはじめた。その偶然性のなごりが、いまも自分の作品、自分の生き方に否定しがたく残っていることはわかっているように思う。それは三十年近い作家としての生活に、ずっとついてまわって来た。それならば『最後の小説』は、計画をたて、よく構想し、時間と労力を十分につぎこんで達成したい。
「最後の小説」の構想はすぐに放棄され、その後さらに「三十年近い作家としての生活」をおくった大江だが、それ以前の作品とその後の作品を比較する批評は書かれただろうか。

本書は、「国外で日本人作家たること」「僕自身のなかの死」「『明暗』、渡辺一夫」「に保温の戦後を生きてきた者より」などにまとめられたエッセイ集である。「僕自身のなかの死」では、野上彌生子、林達夫、島尾敏雄、小林秀雄、尾崎一雄を論じている。