Wednesday, August 24, 2016

ヴィーゲラン美術館散歩

ヴィーゲラン美術館はヴィーゲラン公園の隣にある。もともとグスタフ・ヴィーゲランの自宅兼アトリエだったという。隣の建物はEUの旗とどこかの国旗を掲げているので、よく見たらギリシア大使館だった。
ヴィーゲランはノルウェーでは知らない人のない超有名彫刻家だそうだが、名前を聞いてもピンとこなかった。「おこりんぼう」――怒って泣いている子どもの立像を見て、ああこの作家だったか、と言う感じだ。「モノリッテン」の図版は見たことがあったが、大きさのイメージが全然違って、こんなに大きいとは思わなかった。
ヴィーゲラン公園はオスロ西部の住宅地にある広大な公園で、市民の憩いの場だが、オスロ市の依頼によってヴィーゲランがデザインし、そこにヴィーゲランの作品を設置した。その数、なんと212点。実物大の人間像が758体以上あり、特に「モノリッテン」には121体が彫り込まれている。日比谷公園に、ある彫刻家の作品が200点設置される――ありえないことで、想像もできない。のんびり歩いて、おおよそ見たが、まさにロダンの徒ヴィーゲラン、迷いがないというか、徹底しているというか、芸がないというか、ストレートに人間像あるのみ。公園の立像には、1929~43年までかかり、「モノリッテン」完成直後に、文字通り火が消えるように亡くなったようだ。
ヴィーゲラン美術館のほうは、公園に設置するための準備過程が明らかになるように展示されている。その他に、公園以外のヴィーゲラン作品(人間だけでなく、熊や鰐もいた)や、ヴィーゲランがデザインしたノーベル賞メダルの図案とモデルも。
他方、一部の部屋は、「ファゲロス展」だった。1975年生まれのホコン・アントン・ファゲロスという現在の彫刻家だ。イタリアのピエトラサンタという大理石の産地近くで制作しているが、他の彫刻家と違って、自分で大理石を切り出すという。「自分で石を切り出さないと、制作過程に他人の意思が介在することになってしまう」と言う。
自分で切り出した大理石や、ブロンズを使って、古典的な塑像。しかし、古典と断絶している点があって、神やヒーローではなく、普通の人々だけをつくり、日常性を表現する。眠っている3人の赤ちゃん。枕を引きずって歩く男性。少女像。ファゲロスには象徴主義も比喩もなく、淡々と表現する。彫刻には、見る者に語りかける特別のメッセージもない。強いてあげると、壊れやすさ、繊細さ。演劇的効果はなく、静けさを表現する。その特徴はとにかくきめ細かで、おだやかで、繊細で、とびっきりの美しさである。

ヴィーゲランの作品が大胆かつ剛直なのに対して、ファゲロスの作品は緻密で、やわらかで、壊れそうで、凛としている。可憐な少女像は信じがたい繊細さで、大理石と分かっていても、触ると壊れそうに思える。男性が引きずっている枕はじっくり見ても綿でできているとしか思えない。角度を変えて、光の反射で、ようやく確かに大理石だと、納得。天才というしかないだろう。

ムンク美術館散歩

はじめてのオスロで、まずはムンク美術館、それからオスロ大聖堂、王宮、ノーベル平和センターを観光。
ムンク美術館はオスロ中央駅から地下鉄で2駅目、住宅地の中の公園の隅にある。「ジャスパー・ジョーンズとエドヴァルド・ムンク展」をやっていた。
ジャスパー・ジョーンズは1970年代からムンクの画法に学びながら、油彩やリトグラフの技法を鍛えていったという。四季の4作「春」「夏」「秋」「冬」と、4つをひとまとめにした「四季」がいずれも光っていた。テーマとしても、生と死、光と影はジョーンズとムンクに共通という。
ムンクは、「叫び」「マドンナ」「生のダンス」といった代表作と、いくつもの自画像が目立った。ムンクの「叫び」の実物を見たのは30年ぶりくらいだろうか。もっとも、「叫び」の油彩は4作あるそうだ(その他リトグラフ等もいくつもある)。以前見たものと今回が同じかどうかよくわからない。「マドンナ」も5作あるうちの1作が所蔵されているということで、やはり以前見たが、今回と同じかどうか。別かもしれない。
ノーベル平和センターでは、「危険な賞」という展示をしていた。ナチスドイツが欧州を席巻した時期に、ノーベル賞を維持し発展させることの困難がテーマだった。

2階には、常設で、すべての受賞者の写真パネルがあった。入ってすぐに佐藤栄作があったので、取り外せないかとよくよく見たが、無理だった。マルティン・ルーサー・キング、マザー・テレサ、ワンガリ・マータイ、金大中、アウンサン・スーチー、マララ・ユスフザイなどと並んでいた。ルーズベルトやオバマなど、半分はやはり政治権力者たちだ。そのうち、インチキ「積極的平和主義者」が受賞したりしないだろうな。

Tuesday, August 23, 2016

大江健三郎を読み直す(64)大江方法論の鍛錬・変容過程の一コマ

大江健三郎『僕が本当に若かった頃』(講談社、1992年)

短編小説から長編小説へと移行した大江が、『同時代ゲーム』から『M/T』に至る時期に短編小説集を出したことはよく知られ、この時期は長編と短編を適宜テーマや作法によって使い分けていた。本書はその時期の短編集だ。
初読当時はその程度のことしか考えずに読んでいたが、今回読み直して、先ず気づいたのは『「雨の木」を聴く女たち』や『河馬に噛まれる』は短編集と言っても、連作短編集であって、テーマが一貫していたのに対して、本書は連作ではないことだ。その後の『治療塔』や『燃え上がる緑の木』につながるテーマを短編で書いていたのだろう。手法としては、例によって、伊東静雄の詩、ダンテの『神曲』、学生時代に大江が書いたという設定になっている「僕が本当に若かった頃」など、先行するテキストをもとに、それを現在の大江に引き付けて書いている。「文章を書き、書き直しつつ、かつて見たものをなぞる過程でしだいに独特なものを作ってゆく」手法である。当初は、若い学生時代に小説家になってしまったため、初期作品群の後、体験に基づいた小説が書けない、つまりさほどの人生経験を積んでいないことから、大江自身の文学世界を作り出すために、一方で四国の森の世界を舞台としつつ、他方で先行するテキストを設定して読み込むという手法が選択され、鍛えられてきた。
本書に収められた短編は大江が50歳代半ばに書かれたものだ。大江の方法論が確立した後に、『同時代ゲーム』以後、その改編を試みていた時期と言ってよいだろう。その意味でも面白い。

Monday, August 22, 2016

部落差別の解決をめぐる古くて新しい問題

角岡伸彦『ふしぎな部落問題』(ちくま新書)
<二〇〇二年に同和対策事業が終了した。しかし、それは部落差別がなくなったことを意味するわけではない。インターネット上には、どこが部落か、などといった情報が氾濫している。一方、差別を解消しようとする部落解放運動も時を経て、変化を余儀なくされている。「歴史」から学び、「メディア」によって現在を知り、「地域」から未来の方向性を模索する、これまでにない部落問題の決定版。>
目次
第1章 被差別部落一五〇年史
第2章 メディアと出自―『週刊朝日』問題から見えてきたもの
第3章 映画「にくのひと」は、なぜ上映されなかったのか
第4章 被差別部落の未来/継承と挑戦―部落解放運動の転換期
「ふしぎな」という形容がついているが、これは著者の問題意識に由来する。人種民族差別では「差別をなくす」ことが課題となる。障害者差別も「差別をなくす」ことが課題だ。ところが、部落差別の場合、「部落をなくすこと」と「差別をなくすこと」の連関が問題になる。差別をなくすために、部落を残すのか、それともなくすのか、という問題だという。これを著者は「部落解放運動が抱える根本的矛盾」と把握している。
そのために第1章では水平社結成時に遡って、部落をなくすことと差別をなくすことが、当時どのように議論されていたかを見る。第2章では、橋下大阪市長(当時)の出自をめぐる週刊誌報道の経過をたどりなおして、同じ問題を解きほぐそうとする。第3章でも、好評だったはずの映画「くにのひと」が上映中止に追い込まれた事件で、同じことが繰り返されたとみる。そのうえで、第4章では、箕面市北芝の部落の人々が、部落を名乗り、維持しながら、同和対策事業終了後に自主的自立的に展開してきた街づくりを詳しく紹介する。就職、教育、文化、祭りをはじめとする人々の暮らしの中から、北芝の文化を発信し、周囲の地域との交流を深め、今やほかの地域からも支援者、活動家が参加するようになったモデルである。人々がいきいきと輝いている町・北芝の歴史と風景であり、そこにかかわった人々の物語である。
著者の問題関心――「部落をなくすこと」と「差別をなくすこと」の連関――からすると、部落は部落のまま、部落であることを卑下することなく、価値を作り出し、情報を発信していけるはずだ。その好事例として取り上げられた北芝の物語は説得的である。私の知り合いも登場するので楽しく読める。とても重要な問題提起であり、参考になる。
気になる点も書いておこう。
第1に、部落から情報を発信していくことはよくわかるが、そのことによって、それがなければ傷つかずにすんだはずの差別被害にあう場合も想定できる。このことにどう対処するのか。短期的な課題と長期的な課題のズレと再接合の問題だ。
第2に、北芝の素晴らしさを強調すればするほど、それは特殊な事例になりかねない。より一般的に部落差別の解消につなげるための理論フレームを明確にする必要があるのではないだろうか。それぞれの地域の歴史や文化や条件が異なる中で、なにをどのように継承していけるのか。
第3に、「部落をなくすこと」と「差別をなくすこと」の連関を問うことは、差別される側の部落の問題ではなく、差別する側の問題である。もちろん著者はそんなことは十分認識しているし、かつ差別する側と差別される側をいかにつなぐかを実践的に問い続けているのだが、北芝物語に集約される本書では、そこまでの理論展開をしていない。次の著書が待たれる。

Sunday, August 21, 2016

パウル・クレー・センター散歩

もう10数回来ているが、センターはいつも楽しい。毎回、展示が変わる。いろんな企画展が見れる。初めて見る作品が、いつもある。今回も10数点は初めてだった。
1階のホールでは「動きの中の絵画」、動きのある絵画というテーマで、選ばれたクレー作品が展示されている。3月にもやっていたので同じかと思ったら、展示内容は変わっていた。
春、夏、秋の3部構成で、順次、構成を変えるという。全部見る客にはとても贅沢な展示だが、秋は来ることができないのが残念だ。
クレーの作品は小さい中にいろいろな動きがある。矢印を書いた作品は、当時、絵画に記号を使うなんてと不評だったこともあったようだが。今回は展示されていないが、天使シリーズの多くも、右を向いたり、足がステップを踏み始めるところなので、よく見ると動く方向が分かる。植物の絵にしても、生長を示したものが目立つ。そして、ミュジシャンの演奏シーンや、綱渡りのバランスなど。

2階のホールでは「私は画家である」展をやっていた。有名なチュニジア旅行の際の言葉として、「色彩が私をとらえた」とともに「私は画家である」。もちろん、それ以前から画家だったが、チュニジアの光の中で、新たに画家として生まれ変わったクレー。展示は章の年時代から晩年まで、クレーの主張作品を時代順に並べた、入門編だ。こちらには初めてみる作品が結構あった。クレーの全作品9000余のうち4000がセンターにある。長年通っているので、たぶん1000点以上は見たと思うが、まだ見ていないものも多い。また、クレーが使った筆や道具も展示してあった。と思ったら、クレーの絵画技法をいくつかにわけて解説していた。ナイフの使い方、スプレーの使い方、網や、テープの使い方など。後で気づいたが、クレーの指人形が一つもなかったのは、他のどこかで展示しているのだろう。

日本会議の正体に迫る

青木理『日本会議の正体』(平凡社新書)
http://www.heibonsha.co.jp/book/b226838.html
<安倍政権とも密接な関係をもち、憲法改正などを掲げて政治運動を展開する、日本最大の草の根右派組織「日本会議」。虚実入り混じって伝えられる、その正体とは。関係者の証言を軸に、その成り立ちと足跡、活動の現状、今後の行方を余すことなく描く。 反骨のジャーナリストがその実像を炙り出す、決定版ルポルタージュ。>
プロローグ
外国メディアはどう報じてきたか/日本メディアの追随
1    日本会議の現在
2    “もうひとつの学生運動”と生長の家──源流
3    くすぶる戦前への回帰願望──日本会議と神道
4    “草の根運動”の軌跡
5    安倍政権との共振、その実相
抵抗ジャーナリズムの先頭を走る著者による「日本最大の右派組織」「極右」の日本会議論である。日本会議についてはすでに菅野完や俵義文の著書がある。
本書の半分は同じ内容である。日本会議結成に至る歴史――生長の家、長崎大学、元号法制化など、同じことを著者なりの観点で追いかけている。
本書の読みどころは、青木の独自取材の部分である。青木は以下の人々へのインタヴューを紹介している。例えば、杉並区議会議員で、日本会議首都圏地方議員懇談会副会長の松浦芳子。元参議院議員の村上正邦。全共闘運動に対抗して右派団体を作ったが現在は運動から離れている伊藤邦典。師岡熊野神社宮司の石川正人。そして、“右派政界の次期エース”稲田朋美。
これらのインタヴューによって、文書・資料で確認された日本会議の歴史と現在に、それぞれの関係当事者の証言が重なり合って、日本会議という組織の特質が立体的に描き出されている。
青木によると、もっと多くの人々に取材を申し入れたが、日本会議や神社本庁関係からはほとんど取材を拒否されたという。一度は取材を受けると言った人物まで後に取材を断って来たともいう。「あとがき」には、日本会議事務局長の椛島有三からも断られたが、明治神宮会館の「奉祝行事」の際に椛島を見つけて、再び取材を申し入れたが、「最後の最後まで椛島氏は口を開かなかった。応諾の言葉も、拒否の言葉も、あいさつの言葉すらも、まったく発しなかった。一言も、である。私たちとあいさつを交わすことすら拒絶する――そんな強固な意思を示しているかのようだった」という。

青木も述べているが、取材を受けるも拒否するも自由である。だが、日本会議という巨大組織で、現実政治に圧倒的に強い影響を与え、安倍政権を動かしているとさえいわれ、憲法改正を呼号している団体の事務局長の行動としては異様というしかない。ここに日本会議の決定的に重要な特徴がある。

Saturday, August 20, 2016

バーゼル美術館散歩

春はバーゼル美術館が改装中で、一部の所蔵品がバーゼル文化博物館で展示されていた。
工事が終わったので、再び訪れた。従来からの美術館の隣に新館がオープンしていた。「動きの中の彫刻1946-2016」展をやっていたが、あまりぱっとしなかった。モダンアート、コンテンポラリーアートの奇抜さ勝負の作品はもう飽きた感じがする。一方で、動く、揺れる、触れられる、中に入れる、参加型、といった作品が世界中でつくられ、他方で巨大化するのが一般的傾向だ。もう一つは新素材と新技術、特にコンピュータ仕掛けの彫刻の時代。
旧館のほうは常設展だが、以前とはかなり異なっていた。もちろん、基本は同じで、近世から近代の絵画作品が中心だ。展示が追加されたのは、新館のおかげで展示スペースがひろくなったためだろう。宗教画、ホルバイン、ハンス・フリース、ブリューゲル、ドラクロワから、印象派を経て、シュルレアリズム、そして現代へという流れ。クレー、カンディンスキー、ピカソ、ブラック、レジェ、エルンスト、ダリ、シャガールウ。イッテン、マックス・ビルなども展示されていた。また、スイスの画家の作品がやや多い。ベックリンが増えていると思ったら、「生の島」「死の島」「ペスト」に加えて自画像も展示されていた。ホドラー、アンカー、バロットン、セガンティーニ、キルヒナーなども。

キツネのラベルのMaraudeur, Humagne Rouge, Valais, 2014.

ヘイト・スピーチ研究文献(64)フランスの法規制状況

光信一宏「フランスにおける人種差別的表現の法規制(一)~(三・未完)」愛媛法学会雑誌40巻1・2号、3・4号(2014年)、42巻1号(2015年)
目次
はじめに
 1972年7月1日のプレヴァン法
 人種的名誉毀損罪および同侮辱罪
Ⅲ 人種的憎悪煽動罪
Ⅳ ホロコースト否定罪
むすびに代えて
憲法学におけるヘイト・スピーチ法の比較法研究は圧倒的にアメリカ法研究である。しかも、日本国憲法とアメリカ憲法の歴史的差異、構造的差異を無視して、アメリカ法の結論をそのまま日本国憲法の解釈に持ち込むという、理論的に信じがたい傾向が支配的である。学問と呼べるかどうか、かなり怪しい。ヘイト・スピーチ法としては、刑法学におけるドイツ刑法研究があるが、フランス憲法研究は少ない。独協法学の成嶋隆論文があるが、情報が古い上に断片的である。
光信は、従来からこのテーマで論文を書いていて、フランスだけでなく、スペインにおけるホロコースト否定罪の判例紹介も行っているが、本論文はフランス法の初の本格的研究と言えよう。まず、フランスにおける関連法は反ユダヤ主義に対する法規制としてかなり古くから存在し、何度も法改正が繰り返されたために複雑であることを示したうえで、現在の法体系の基本は、1965年の人種差別撤廃条約を批准した後、1972年のプレヴァン法であるとし、その制定過程を詳細に紹介する。さらに、刑法における人種的名誉毀損罪および同侮辱罪の成立要件や適用状況を確認し、次に人種差別撤廃条約批准を直接の契機として制定された人種的憎悪煽動罪の概要を示す。法律の制定過程、その間の議論、法律要件の解釈、適用上の問題点など、ていねいに整理して紹介している。
オンラインで公表されているのは、ここまでだが、おそらくその後も雑誌に続きが掲載されているであろう。続きを読むのが楽しみである。

多くの憲法学者がヘイト・スピーチについて初歩的知識もないままアメリカ法の断片的な知識を振り回して、それを直ちに日本国憲法の解釈に持ち込み、あれこれと結論を断定的に述べる傾向を有するのに比して、光信はかなり謙抑的である。フランス法に則した研究を進めるが、性急に日本法における結論を引き出そうとはしていないようだ。「むすびに代えて」においてどのように記述するのかはわからないが、おそらく強引な結論を提示することはしないだろう。いずれにせよ、アメリカ法、ドイツ法――最近はイギリス法やカナダ法の研究も登場しているが、フランス法も含めて、総合的な比較法研究が俟たれる。

Friday, August 19, 2016

大江健三郎を読み直す(63)「記憶してください。私はこんなふうにして書いてきたのです。」

大江健三郎『言い難き嘆きもて』(講談社、2001年[講談社文庫、2004年])
『鎖国してはならない』とともに2001年に出版されたエッセイ集で、いくつかの文章は雑誌・新聞発表時に読んでいたが、著書としては今回初めて読んだ。『鎖国してはならない』がナショナリズムの逆流現象を前にした大江の危機意識を打ち出しているのに対して、本書は小説家としての生き方、書き方、文学観が中心である。
エッセイ「取り替え子」や「宙返り」は、その後に執筆することになった小説のタイトルを先取りしている。沖縄の基地問題の部分だけは、日本―沖縄関係史を踏まえた日本政治の現状批判になっている。ヒロシマとオキナワはエッセイと政治的発言も含めた大江文学の柱にもなっているからだ。
書名となった「言い難き嘆きもて」はなくなった「もうひとりの師匠」である武満徹や、安江良介、大岡昇平らへの追悼である。武満徹と大江の交友は何度も書かれていたから知ってはいるが、武満ファンならざる私には、あまりピンとこない話が多かったように思う。本書で、ああそうだったのか、と思うこともあった。『宙返り』にたどり着いて初めてわかるのかもしれない。大岡昇平がチェルノブイリ事故に触れて、「次の原発事故は、日本かフランスだろうと言われている。・・・七十九翁はふるえている」と書いていたことは知らなかった。

最後に「自作をめぐって」というタイトルでまとめられたエッセイ群のしんがりが「記憶してください。私はこんなふうにして書いてきたのです。」である。夏目漱石からの借用だが、同じことを大江は何度か書いている。自分の言葉でいかようにも表現できるだろうが、漱石から借用した方がしっくりすると考えているのだろう。大江ファンとしては納得できるが、たぶん、反大江陣営からは「日本文学最高峰の漱石の系譜に自分を位置づけようとしている」という非難も生まれるのではないだろうか。だが、「日本文学最高峰の漱石の系譜に大江を位置づけ」ることは正当な文学史理解と言ってよいだろう。この系譜にだれを入れるかは、なかなか難しく、論争になるだろうが。

Thursday, August 18, 2016

最新科学による日本酒分析に学ぶ

和田美代子『日本酒の科学』(ブルーバックス)
素人の著者が専門家に取材してまとめた「日本酒の科学」。素人と言っても、科学雑誌『Quark』などの編集をしていた科学ライターである。お酒について素人を代表する立場に身を置いて、専門研究の成果を分かりやすく伝える著書だ。

日本酒については、20年ほど前にまとめて20冊くらいの本を読んだことがある。酒蔵情報誌や名酒百選のたぐいも読んでいた。酵母、醪や、吟醸、純米や、杜氏の世界の話をよく読んで、知っているつもりになっていた。しかし、現場のことを知らないため記憶はどんどん遠ざかる。
本書は、現場の知識を整理しているのだが、特にバイオ科学の最新研究成果をもとに、まさに「日本酒の科学」を見せてくれる。杜氏たちが伝えてきた伝統の技が、科学的合理性に裏打ちされていることが分かる。
酸性プロテアーゼだの、酸性カルボキシペプチターゼだの、昔の本には出てこなかった。甘味、酸味、塩味、苦味につぐ第5の味とされるうま味は、グルタミン酸、グアニル酸、イノシン酸によるもので、ちゃんと根拠があり、今では欧州でも認められているという。日本酒造りの伝統の世界とバイオ科学の間を行ったり来たりしながら、日本酒の神髄に迫ることができる楽しい本だ。
日本酒は読むものではなく、味わうものだが、知識を得て味わえばもっとうまいことも確か。

レンブラント展散歩

「世界の中のスイス美術館」はレンブラント展だった。3月はマルセロ展だった。
ジュネーヴ外交国際関係大学からゆるやかな坂道を降りていくと、世界の中のスイス美術館だ。案内板にはシャトーとも書いてある。かつては邸宅だったのだろう。美術館としては小さいが、時々素敵な展示をする。マルセロ展はとびっきりだった。
レンブラント展はペン画の小品に絞り込んで、テーマも明確だ。油彩は一つもなし。『夜警』などの大作を見るならアムステルダムへ行けばよい。
3階の展示室にレンブラントのペン画、スケッチが150枚ほどだったか。1630~50年代のもの。主に人物画・肖像画(地元の名士たちなど)、風景画、そして宗教画(アダムとイブ、マリアとキリストなど)。のんびり、ゆっくり、眺めてきた。
1階には地元の画家たちの作品が並んでいた。壁には、古典派時代の肖像画で、大半はスイスの名望家とその家族。これは以前からあったので、常設展示だろう。それとは別に、モダンアート風の作品が10数展、おかれていた。油彩もあるが、ガラス工芸や陶器を使った絵画らしきもの(?)や、金ラメ貼り付けの抽象画など。

Pinot Noir de Saint-Leonard. AOC. Valais, 2013.

Wednesday, August 17, 2016

ヘイト・・スピーチ研究文献(63)津久井やまゆり園事件

ただいま発売中の『サンデー毎日』8月28日号
「相模原・大量殺戮事件の爪痕 ニッポンを蝕む 「差別」「ヘイト」を許すな」
  「道徳のメカニズム論」鄭雄一
  「共生・共存の正義」川本隆史

  「憎悪犯罪が日本を壊す」前田朗

ヘイト・クライム禁止法(122)パキスタン

パキスタン政府が人種差別撤廃委員会90会期に提出した報告書(CERD/C/PAK/21-23. 26 November 2015)。
パキスタンには人種主義団体は存在しない。宗教的又は民族的理由に基づく憎悪を促進する団体を禁止する法律についての情報を報告する。1997年の反テロリズム法によれば、宗派的憎悪の煽動は犯罪である。それは、暴力の煽動や、国民的、人種的、宗教的憎悪又は暴力による行為を含むテロリスト行為に関する犯罪である。個人による犯罪だけでなく、団体の関与によるテロリスト行為も犯罪である。
ヘイト・スピーチに対処する努力を行っている。パンジャブ州では新しい州法が採択され、違反者や拡声器の誤用に対処する。実際に多数の逮捕がなされている。
報告書の対象期間に、憎悪文書の出版に関連して全国で1777以上の事件が記録され、1799人が逮捕されている。パキスタン司法当局は、多数の憎悪文書を押収している。
2002年のプレス・新聞・報道機関・出版登録法第5条A(b)は、宗派主義、民族性、人種主義に基づいた声明、コメント、観察、意見の印刷表現物の出版を制限している。2007年の電子メディア規制庁命令によって規制範囲が強化された。同命令は、電子メディアプログラムに暴力、テロリズム、人種的民族的宗教的差別、宗派主義、好戦主義、憎悪を含まないように指示している。命令違反に対して、命令第33条が刑罰を定めている。
宗教団体間に敵意を促進すること、そうした目的で犯罪を行うこと、そうした活動に参加することも犯罪である。
人種差別行為に対して刑罰が科された事例は多数ある。先例としては、ザーラ対内務大臣事件がある。ハザラ共同体に属する女性とその娘にCNICを更新することを拒否した事案である。裁判所は、CNICの発行を命じただけでなく、補償として5000ルピーを払うよう命じた。裁判所は、地方行政官にハザラ共同体に対する偏見があるとし、憲法はこの種の差別を禁止しているとした。

ハザラ人は、アフガニスタン中央部に居住する民族で、外見が東アジア的であり、この地のパシュト人やタジク人とは明確に異なる。このためアフガンで差別されているが、パキスタンにも共同体があるようだ。人種差別撤廃委員会での審査に際しても、委員がハザラ人への差別について質問していた。

日本国家は国民を守らない

栗原俊雄『戦後補償裁判――民間人たちの終わらない「戦争」』(NHK出版新書)
国家は国民を守るという妄想に捕らわれている人間がいまだに多いが、歴史的にも、現在的にも、多くの国家は国民を守らないし、とりわけ日本国家は国民を守らない。と言うよりも、国家は国民を殺す、と言うのが歴史の真実だが、それはここではおいておこう(前田朗『国民を殺す国家』耕文社)。
著者は毎日新聞記者で、『戦艦大和』『シベリア抑留』『遺骨』『特攻』などの著書がある。1967年生まれと言うことだが、この分野では大ベテランと言ってよいだろう。
第一章 「一億総懺悔論」の誕生と拡大
第二章 大空襲被害者への戦後「未」補償
第三章 シベリア抑留と「受忍論」
第四章 「元日本人兵士」たちの闘い
第五章 置き去りにされた戦没者遺骨
第六章 立法府の「不作為」
第七章 終わらない戦後補償問題
いくつもの戦後補償裁判の経過を追いかけながら、戦後日本という国家の無責任を明るみに出し、批判する好著である。非常によく取材、調査しているし、まとまっていて読みやすい。
さまざまな戦後補償要求に対して、日本政府(行政も国会も)は被害民間人の要求をはねつけ、裁判所もこれを正当化してきた。軍人・軍属については政府と本人の間に特別の関係があったとして目が飛び出るような巨額の補償をしてきたが、民間人に対しては、ほとんどの要求を退けてきた。ごく一部、被爆者や沖縄などを除いては。
その理論が、戦争に際しては国民すべてが被害を受忍しなければならなかった、という受忍論である。日本政府も最高裁も受忍論を盾に、補償要求を否定してきた。原告及び弁護士たちは懸命になって受忍論を突き崩す努力をしてきたが、壁はとてつもなく厚く高い。
実のところ、受忍論は「法理」ではない。憲法にも法律にも書いていないし、諸外国ではこのような暴論は認められない。戦争を起こした国家の責任において、巻き込まれた被害者の苦痛に一定の補償を行うのが常識だ。著者は本書で、受忍論を「冗談のような法理」「破たんしている」と何度も何度も、いやというほど何度も強調している。その通りである。
それではなぜ、破たんした、冗談のような受忍論がまかり通るのか。著者は、そこにはあまり踏み込まない。
理由の第1は、法理ではないからだ。法理ならば、弁護団の懸命の努力によって乗り越えてきた。乗り越えても、批判しつくしても、崩れ去っても、なお高々と聳えているのは、受忍論が法理ではないからだ。これは明治憲法以来の棄民思想、愚民思想の表現であって、日本国憲法とは何の関係もない。政府にとっても裁判所にとっても、つまり日本の政策決定エリートにとっては、一般庶民が死のうと苦しもうとどうでもいいことである。ただそれだけのことだ。
第2は、補償を受け取れるのはお仲間だけと言うことだ。法理ではなく、彼らの掟なのだ。戦争を起こした天皇制国家の政治家、軍人、官僚の掟なのだ。軍人・軍属に巨額の補償がなされているのは、日本の国家犯罪の尖兵だったからだ。国と軍人・軍属が特別な関係にあったというのは、雇用関係のことではなく、「共犯関係」のことだ。侵略戦争の共犯者たちが国家財政をむさぼり、食い荒らしているのだ。軍人恩給・補償とは人類史上最大の犯罪ビジネスであって、ビジネスだからライバルを蹴落とすのは当たり前。空襲被害者には一円たりともわけてやらない。

著者はこうは書いていないが、こう判断ができるだけの材料を丁寧に紹介している。

Monday, August 15, 2016

ヘイト・クライム禁止法(121)スリランカ

スリランカ政府が人種差別撤廃委員会90会期に提出した報告書(CERD/C/LKA/10-17. 7 December 2015)を紹介する。
憲法第12条2項は、平等への基本権を保障し、人種、宗教、言語、カースト、性別、政治的意見、出生場所又はその他の理由に基づく差別を禁止している。憲法第15条2項、3項、4項に「人種的宗教的調和の利益」と明記されており、これに基づいて一定の基本権の行使に制限を課すことができる。
2007年の法律56号は国際自由権規約法であり、その第3条1項は、何人も戦争を宣伝してはならず、国民的人種的宗教的憎悪を唱道して、差別、敵意、暴力を煽動してはならないとする。
1979年の府立48号はテロ行為予防法であり、話されたり読まれる言葉、サイン、視覚表現その他の方法で、暴力行為又は宗教的人種的又はコミューンの調和を乱す原因を作ろうとした者、異なるコミュニティ、人種的宗教的集団の間に敵意をつくろうとした者は、犯罪につき責任があるとされる、とする。この犯罪で有罪とされた者は5年以上20年以下の刑事施設収容とする。

刑法第290条によると、宗教を侮辱する意思で、又は当該行為が一定の人々にとって侮辱されたとみなされるものであることを知りながら、教会又は一定の人々にとって神聖な場所を破壊し、損壊し、汚した者は刑事犯罪として処罰される。刑法第290~292条は、教会に関連して、一定の人々の宗教を侮辱する意思で、故意に合法的な宗教集会を妨げた場合も同様である。

南洋群島が問いかけるもの

井上亮『忘れられた島々――「南洋群島」の現代史』(平凡社新書)
『「東京裁判」を読む』の共著者でもある。よく調べているが、視点が日本の内向きなところに難点があった。本書はどうだろうか。
目次
第一章    日本帝国の南進
上から操作された「南進ブーム」/南進論の系譜/「無主無人の島」/スペインの植民地政策/南洋のシベリア/天から降ってきた「第三の植民地」/太平洋戦争への重大な伏線/委任統治の受任国というステータス/ジョーカーを引いた日本
第二章    冒険ダン吉と三等国民
南洋諸島を支配した海軍の体現者/守備隊による島民教育/「国策移民」により人口は増大/「私は天皇陛下の赤子です」/内地観光団と神社建立/衣の下の植民地支配/「北の満鉄、南の南興」/沖縄県人に対する差別/悲しきナショナリズム
第三章    海の生命線
南洋群島がアメリカ海兵隊を育てた/海軍による「海の生命線」というキャンペーン/国連脱退後に進んだ領土化/ルーズベルトが唱えた太平洋諸島の中立化案/「生命線」から「導火線」に
第四章    楽園と死の美学
投降すれば「非国民」/「お国のために美しく死ぬ」ことの賛美/優遇措置と徴兵忌避/大本営による「転進」という造語/「絶対国防圏」から外れたマーシャル群島/「上陸作戦は守備側有利」/引き揚げも残るも地獄/サイパンの放棄を決定/病院とは名ばかりの洞窟/アメリカ人が見た日本人の「奇妙な儀式」/サイパン戦死者の六割が沖縄県出身者/戦う前に戦力を消耗/「島もろともの特攻」/「防波堤」から「捨て石」へ/ものづくり思想の戦い/「ペリリューはまだ落ちぬのか」/飢餓との戦い
第五章    日本を焼き尽くす砲台
航空基地建設に借りだされた囚人たち/急増する朝鮮人人口/パラオ人たちの「特殊任務」/B29の発進基地に/日本の防空体制/極秘の原爆投下部隊/日本へ飛び立ったエノラ・ゲイ
第六章    水爆の海
徴用漁船の受難/焼津漁業の南洋進出/極秘水爆実験「ブラボー」/アメリカの「ズー・セオリー」/「原爆マグロ」のパニック/ビキニ水爆実験初の犠牲者/死の灰を浴びたマーシャル諸島の住民
第七章    「南洋帰り」の戦後
「南洋帰り」に対するやっかみ/民間抑留者に課せられた死体の処理/南洋での「勝ち・負け抗争」/敗戦後の殺伐とした空気/南洋再移民熱は下火に/親日感情の正体/不誠実な日米の損害賠償/軍事基地提供の見返りが援助金/消えゆく生き証人
10年程前、軍隊のない国家を調査するため、パラオ、ミクロネシア、マーシャル、キリバス、ナウルに行って来たので、懐かしく、楽しく読めた。
本書著者は宮内庁担当で、「富田メモ」報道に携わっただけあって、本書執筆の一つのきっかけは天皇夫妻のパラオ訪問である。「はじめに」冒頭の文章は、普通に事実を書いているようであって、「普通に」というのは「普通に天皇主義者」という意味である。天皇、日本、日本人の視点で太平洋に臨むことになる。
もちろん、著者は、「パラオなどを親日と言うが、植民地支配をした事実を忘れるべきではない」という程度の良識を持っている。日本が、日本人、沖縄人、朝鮮人に等級を付けて差別し、同様に南洋群島の住民をも差別していたこともきちんと書かれている。「お国のために美しく死んだ日本人」についても、「非国民にされないために」、強い圧力の中で自ら従うようになっていったことも示され、当時の日本政府と日本軍の問題性を浮かび上がらせることも忘れていない。戦後で言えば、ビキニ事件の第5福竜丸について論じる際にマーシャル諸島民の被曝にも言及している。その意味では、良書である。
とはいえ、本書の大半は、日本と日本人の歴史の記述に費やされている。このため「南洋群島」の現代史と言う場合の「現代史」は、日本本土の日本人がかかわった範囲での現代史である。戦後、アメリカの信託統治領となり、「動物園政策」に苦しみ、後に独立した経緯も簡単に触れられているが、ついでの感を免れない。パラオの非核憲法の限界には触れているが、ミクロネシアの非核憲法には触れていない。マーシャル諸島共和国が国際司法裁判所にアメリカの核政策の国際法違反性を問うために提訴していることにも触れていない。著者にとっては、やばいこと、なのだろう。そして、パラオ、ミクロネシア、マーシャルの人々の「現代史」は書かれない。

本書は「日本人が問いたいもの」を問うが、「南洋群島が問いかけるもの」には沈黙しているのではないか。

反原連・しばき隊・SEALDsの叛乱のゆくえ

笠井潔・野間易通『3.11後の叛乱――反原連・しばき隊・SEALDs』(集英社新書)
<左翼の終焉と21世紀型大衆運動のゆくえ>
<七〇年安保闘争以来、およそ半世紀近くの時を経て、路上が人の波に覆いつくされた。議会制民主主義やマスメディアへの絶望が、人々を駆り立てたのか。果たしてそれは、一過性の現象なのか―。
 新左翼運動の熱狂と悪夢を極限まで考察した『テロルの現象学』の作者・笠井潔と、3.11後の叛乱の“台風の眼”と目される野間易通が、反原連、しばき隊、SEALDsを始めとする現代の蜂起に託された、時代精神を問う!>
『バイバイ、エンジェル』『テロルの現象学』の笠井と、反原連・しばき隊で社会運動の在り方に変革をもたらした野間の、往復書簡である。
特徴的で魅力なのは、第1に、しばき隊の編成原理と行動様式が野間自身によって語られていることである。野間は、本来の「レイシストをしばき隊」と、世間で言われている「しばき隊」が、重なりつつも別の存在であり、行動原理も全く違うことを詳しく語っている。「レイシストをしばき隊」の発想、行動については、当時、こんなやり方があったのか、と痛感させられた。野間の語りはとても説得的だ。野間は、ヘイト・スピーチは他者の尊厳を傷つけるだけでなく、社会を壊すという的確な認識を有している。
第2に、世代の異なる笠井と野間が随所ですれ違いながらも、それぞれの立場から過去と現在を突き合わせ、ときほぐしながら対話を重ねていることである。立場や経験は異なるが、未来の運動に向けてのメッセージと言う意識を共有しているからだろう。
第3に、世界的視野で語っていることである。笠井はフランス革命、ブランキ、ルクセンブルク、ロシア革命、レーニンを語り、そこから日本の社会運動の位置を見定めようとする。かなり強引なあてはめだが、楽しく読める。野間は、「70年代のブラック・アフリカと80年代末の東欧、21世紀のアラブ世界と歴史的な連続性」を意識しながら、運動の展望を語る。
違和感を抱くところもないではない。
例えば、「左翼の終焉」という点で笠井と野間は一致するが、これって30年以上、何百回と聞かされたフレーズだと思うのは私だけだろうか。笠井は「マルクス葬送派」宣言以来、一つ覚えのように、終わった、終わった、と言い続けてきたのではないか。「それでもまだゾンビがうごめいている」ということなのだろうか。
もう一つ、笠井と野間の攻撃は安倍政権にではなく、ほとんどすべて運動内部に向けられる。安倍政権批判は当たり前のことで、本書で今更書くことではないからだろうが、それにしても運動内部の亀裂を探すことに精力を傾けているように見える。野間は、ネグリ=ハートが「左翼」を「教会」に喩えて、「左翼の教会を空っぽにし、その扉を閉ざし、それを焼き払うことなのだ!」を引用して、3.11以後の運動の課題について、「私はこれを、教義も教会も修道院も持たない新たなレフトの誕生ととらえたい」と締めくくる。思わず共感してしまうが、ちょっと待ってみよう。笠井と野間の特徴は、現存する社会運動の共同行動に向けられるのではなく、社会運動の内部での優位を論じる方向に向けられている。歴史にかなった正しい我々の運動と、時代遅れの彼らの運動を区分けし、反原連・しばき隊・SEALDsがひらいた新しい地平こそ運動の未来への手掛かりとなるという。
否定するつもりはないが、やはりちょっと待ってほしい。異なる意識や理論の運動体が、それぞれのイッシューを抱えた運動体が、古臭い運動体であっても、斬新な方法論の運動体であっても、別々にではあっても、ゆるやかにではあっても同じ方向を向いて、それぞれの課題にチャレンジし、ともに進むことが枢要なのではないか。焼き払うべきは、「左翼(教会)」ではなく、権力(永田町)ではないだろうか。

この点で本書の最大の特徴は、2016年に21世紀の社会運動を論じているにもかかわらず、「オール沖縄」の闘いを無視していることである。翁長知事を生み出し、辺野古でも永田町でもジュネーヴの国連欧州本部でも裁判闘争でも、あらゆる場所で、それぞれの場に応じて展開してきた「オール沖縄」の闘いを、野間はどのように位置付けているのだろうか。そこが一番知りたい。

Sunday, August 14, 2016

知られざるプロ野球の戦中史

山際康之『兵隊になった沢村栄治』(ちくま新書)
<ベーブ・ルースをきりきり舞いさせるなど活躍し、将来を嘱望されるも、三度も出征し落命した悲運の投手・沢村。彼は何を考え、戦地に赴いたのか。本書は人間・沢村を描くとともに、当時の野球関係者の興味深い動きを描き出していく。表向きは時局に迎合し戦争に協力するかのように「偽装」しつつ、職業野球連盟は沢村の悲劇を繰り返さぬよう、野球界や選手らを守ったのだ。その工夫とはいかなるものだったか。知られざる戦時下の野球界を、資料の綿密な分析から再構成する。>
職業野球連盟が結成され、高校野球や六大学と並んで人気を博した時期のこと、特にベーブ・ルースをきりきり舞いさせたという沢村栄治のこと、その沢村が徴兵され苦労を重ねた末に戦死したことはよくしられている。というか、その部分だけが語られてきたと言ってもいいくらいだ。足をピンと跳ね上げて豪速球を投げ込む沢村のイメージ。戦前戦中における野球は敵性スポーツとされ、「ストライク」が禁止されて「よし1本」になった話も知られている。そして戦火が激しくなり、ついに職業野球の灯が消える。その過程をつぶさに調べ、詳細を明らかにしつつ、一部の野球専門家だけでなく、一般向けに分かりやすく書いたのが本書だ。単に詳しく調べたのではない。軍に抑圧されながらも、野球を守るために、時に「軍を欺く」戦術を工夫した人々の闘いもえがかれる。このエピソードは、以前、著者から少し聞いたことがあったので、どんな風に書かれているのか、興味があった。他にもエピソード満載だ。特にプロ野球ファンでなくても面白く読める。

著者は同僚だ。かつてソニーでウークマン開発に携わり、後にエコデザイン、分解デザイン工学を研究し、サステナブル・デザインもすすめる。他方、ノンフィクションでは『広告を着た野球選手』(河出書房新社)もある。エコデザイン、広告、そこから野球の広告と言うのは、まだつながっているが、沢村を中心にした戦時下プロ野球の秘話の発掘は、かなり遠い話だ。著者の関心、調査、執筆の幅の広さには驚かされる。

ヘイト・クライム禁止法(120)ウクライナ

いくつかの論文で「世界の120か国以上にヘイト・スピーチ禁止法がある」と書いたところ、「前田のブログでは120ないじゃないか」という声が寄せられた。しかし、私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』では120以上紹介している。これに対しても、「「ヘイト・スピーチ法の制定状況」には120か国もないじゃないか」との声が寄せられた。本は丁寧に読んでもらいたいものである。ラバト行動計画の紹介のところにも数十カ国の状況を示している。一目見ればわかることだ。本を一切読まずにでたらめな難癖をつけてくる人間が多いので困る。大いに控えめに言っても120以上である。ともあれ、今回でブログでも120になった。
8月11~12日、人種差別撤廃員会はウクライナ政府報告書の審査を行った。ウクライナ政府は10名ほど、NGOは意外に少なくて15人ほど。うち半分は常連さんなので、ウクライナの審査を聞くために来たNGOはほんの数人のようだ。ウクライナの政権交代を見れば、異常な排外主義と民族主義に熱狂した政権であったので、その後の人権状況が心配だった。他方、ロシアよるクリミア強制併合があったので、事態は深刻かつ複雑だ。
ウクライナ政府が人種差別撤廃委員会90会期に提出した報告書(CERD/C/UKR/22-23. 5 October 2015)を紹介する。煽動及び人種差別行為の根絶に関する法律には前回報告書(paragraphs 49-55 of CERD/C/UKR/19-21)以来変化がない(これについては『ヘイト・スピーチ法研究序説』参照)。政府は条約第4条に従って、人種的優越性の思想や人種憎悪を非難している。条約第4条(a)(b)に従って、人種的優越性の思想の流布を犯罪としている。
2008年の検事総長命令及び2011年の検事総長代理命令に従って、検事局は民族的国民的不寛容や排外主義の表現に関連して、訴追状況を評価検討してきた。この補油化の基礎は中央政府、検事局、クリミア自治政府の検事局、地方及びキエフ並びにセヴァストポルのデータである。
人種的民族的背景に基づく平等権侵害事件は単発的に起きている。刑事訴訟法及び2012年の刑事総長命令により予審段階捜査規定に従って、犯罪報告制度が統一された。
2010年、検事局が扱った刑法第161条の事件は6件であり、うち2件が裁判所に送られた。内務省が扱った事件は2件であった。
2011年、刑法第161条の事件は2件であり、いずれも裁判所に送られ、犯行者は有罪となった。内務省が扱った人種的民族的不寛容事件は3件であり、いずれも裁判所に送られた。
2012年、刑法第161条の事件は3件であった。
2012年4月3日、オデッサ検事局は「まっすぐな道」組織による「一神論に対する侵犯」というパンフレットが宗教的敵意と憎悪を煽動する内容であるとして、刑法第161条1項及び第263条1項で訴追した。
2012年6月20日、2人が刑法第161条1項及び第263条1項で訴追され、有罪となった。
2012年、内務省は人種的民族的不寛容による生命に対する犯罪を2件捜査し、関係者を訴追した。
2013年、検事局は、異なる人種的民族的背景を有する人への平等権侵害について予審段階捜査を行う決定をした。
2013年12月9日、ルヴィヴ検察局は刑法第161条1項の事件を1件扱った。本件は現在進行中である。
2013年9月25日、チェルニフツィ行政長官及び内務省が、取り扱った事案で、1人の公務員が責任があると判断された。
移住者や難民に対する排外主義の調査に基づいて、検事局は、2013年に45件の事案を扱い、うち23人の公務員を懲戒にした。10人は移住局に勤務していた。
2013年、内務省捜査班による予審段階捜査に付されたのは62件であり、うち44件は犯罪事実なしとして終結した。

2013年、裁判所は6件15人について、人種的民族的不寛容の事件の訴追を受理した。

Saturday, August 13, 2016

日本会議の実態に迫る

俵義文『日本会議の全貌――知られざる巨大組織の実態』(花伝社)
教科書問題の第一人者で、長期にわたってこのテーマを追いかけてきた著者である。『徹底検証あぶない教科書』『安倍晋三の本性』『徹底批判「国民の歴史」』『東アジアの歴史認識と平和をつくる力』など、著書は数十冊。その蓄積を踏まえて、本書では日本会議の全貌に迫る。彼らはどこからきて、何を目指し、何をしてきたのか。次に彼らは何をしようとしているのか。
第1章 日本会議設立までの歴史
第2章 日本会議と日本会議国会議員懇談会の結成
第3章 教育の国家統制を推進する「教育改革」
第4章 草の根保守運動
第5章 日本会議が取り組む改憲以外の「重点課題」
第6章 安倍政権を支える右翼議員連盟と右翼組織
資料編(議員名簿、役員名簿、年表など)
事実をして語らせる。そのために徹底的に調査してデータを積み重ねる。俵には俵の仮説があるが、仮説を証明するためではなく、手堅く事実を一つひとつ積み上げ、点検して、仮説を検証する。それゆえ、本書では俵の思想は「前面」にはでていない。しかし、データをして語らしめるという意味では、俵の思想が「全面」的に配備されている。

菅野完の著書が、日本会議の思想と行動様式を追いつつも、中枢の個人の歴史と個性に焦点を当てているのに対して、俵は組織の構成、目標、基本性格、その運動としての広がりに焦点を当てる。キーパーソンの個性も重要だが、日本の政治社会の中でいかなる位置にあり、どのような人脈をつくり、何を行っているかを的確に把握することが目指される。

日本会議の系譜を探る 菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書)

http://maeda-akira.blogspot.ch/2016/08/blog-post_7.html