Friday, October 07, 2016

大江健三郎を読み直す(66)「文豪」の意欲的対談

大江健三郎・古井由吉『文学の淵を渡る』(新潮社、2015年)
文豪という言葉は「死語」となったかもしれないが、いま、文豪と呼ばれるべきは大江と古井だろう。5つの対談が収められている。「明快にして難解な言葉」(1993年)「百年の短編小説を読む」(1996年)「詩を読む、時を眺める」(2010年)「言葉の宇宙に迷い、カオスを渡る」(2014年)「文学の伝承」(2015年)。

「魂という楽器を鳴らす」「小説を書くという罪」「文学的なものに対する嫌悪」「自分が自分でなくなる境目」「センチメンタリズムから洗い流す」。中上健次が亡くなって以後のセンチメンタリズムに反省を迫った二人だが、「読者の中で作者が生きる」「晩年の人間の危機感」「文体上の渋滞」「偶然には<わたくし>は発生しない」を語る。最後に古井が「こういう話をしておけば、この年寄りたちがどういう料簡でいるのか若い人たちも多少はわかってくれるでしょう」と述べている。もっとも、いま流行の若い作家たちは、大江や古井とはすっかり違った主題、テーマ、文体で生きているので、伝わるかどうか。