Wednesday, November 02, 2016

罅割れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義(1)

靖国神社問題シンポジウム韓国国会議事堂で開催

 10月24日、韓国国会議事堂の会議室で「靖国問題を国連人権機関に提訴するための国際会議――国際人権の視点からヤスクニを見る」が開催された。主催はヤスクニ反対共同行動韓国委員会、民族問題研究所、太平洋戦争被害者補償推進協議会である。
開会の辞は姜昌一(韓国国会議員)、木村庸五(安倍首相靖国参拝違憲訴訟弁護団団長)、李海学(ヤスクニ反対共同行動韓国委員会共同代表)。
報告は次の7つであった。
徐勝(立命館大学)「国際人権の視点から靖国を見る」
前田朗「罅割れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義」
南相九(東北亜歴史財団)「靖国神社問題の国際化のための提言」
浅野史生(靖国訴訟弁護団)「国際人権の視点からみたヤスクニ訴訟」
辻子実(平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動・共同代表)「ヤスクニ反対運動の現況と課題」
矢野秀喜(植民地歴史博物館と日本をつなぐ会事務局長)「日本国憲法『改正』とヤスクニ」
金英丸(ヤスクニ反対運動韓国委員会事務局長)「韓国のヤスクニ反対運動、その成果と課題」
徐勝は、靖国問題を国際社会に訴える理由を4つにまとめた。第1に、日本国家が他民族を死に追いやった責任をとろうとしないため、国境を越え、国際社会が日本政府にその責任を問う必要がある。第2に、日本政府は普遍的な人権を掲げる国連憲章と世界人権宣言に違反している。第3に、靖国神社の思想が、人類の平和に対する重大な脅威となっている。第4に、韓国政府が対日過去清算を疎かにしたり、誤った方向へ導いてきた。1965年の日韓条約や2015年の「慰安婦」問題・日韓合意がその典型である。
続いて私の報告である。以下、3回に分けて私の報告原稿を紹介する。

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罅割れた美しい国
――移行期の正義から見た植民地主義

前田 朗(東京造形大学)

一 「真実後」の政治
二 倒錯のファンタジー
1 被害者に押し付ける寛容
2 被害者に押し付ける和解
3 防衛的ヘイト・クライム
三 移行期の正義を考える
1 移行期の正義とは
2 国連人権理事会特別報告書
3 東アジアにおける移行期の正義
四 移行期の正義と植民地支配犯罪
1 植民地支配犯罪とは
2 植民地主義に向き合うために
    ――日本軍「慰安婦」問題の場合
五 「真実前」の政治


一 「真実後」の政治
 
 細谷雄一(慶応大学教授)は、「政治の世界がおかしくなっている。いったい何が起きているのか」と問いかけ、アメリカの評論家ラルフ・キーズ(Ralph Keyes)の用語「真実後(ポスト・トルース)」に着目する(『読売新聞』2016年10月16日)。
「今や政治の世界では、虚偽を語っても検証されず、批判もされない。真実を語ることはもはや重要でなくなってきている。/たとえ虚偽を語っても、それが『誇張』だったと弁明し、『言い間違い』をしたとごまかせば、許容される。政治家は、自らの正義を実現するために堂々と虚偽を語るようになった。今ではそれが、『スピン(情報操作)』として正当化され、日常化している。」
細谷によると「真実後」という言葉は2004年のキーズの著作で用いられ、2010年頃から政治の世界で使われるようになったと言う。具体例として、2012年の米大統領選挙における共和党候補のロムニーが「真実後の政治」を駆使してオバマ批判を行った。2016年の米大統領選挙におけるトランプ候補の発言のモデルということになる。また、2016年のイギリスにおけるEU離脱を巡る論争においても、離脱派が「真実後の政治」に打って出て、一定の支持を得たと言う。
「真実後の世界」では、「虚偽が日常に浸透して真実は無力化し、人々は情緒的に重要な決定を行う。」
細谷は最後に、日本の例として、2015年の民主党(現・民進党)による安保法制批判を取り上げ、「国民の恐怖を煽る戦略を選び、建設的な政策論争の機会を放棄しようとする戦術だった」という。
細谷の指摘に学びながら、私たちは「真実後の政治(Post-truth Politics)」をもう少し広い視野で考えることができるだろう。
アメリカ政治における「真実後の世界」が2004年や2010年という時期に生じたと見るのはナイーヴに過ぎる。2001年の9.11以後のブッシュ政権によるアフガニスタン戦争やイラク戦争は文字通り「真実後の世界」の出来事であった。9.11を口実にしたアメリカの世界戦略の結果、百万単位の人々が家を失い、難民と化した事実を忘れるべきではないだろう。遡れば、ベトナム戦争のトンキン湾事件を誰もが思い出すことだろう。事例を枚挙するまでもなく、アメリカの政治は「真実後の世界」にあった。アメリカ政治が、一方では情報公開や透明性という言葉で特徴づけられる側面を持ちながらも、他方ではCIAや米軍による秘密活動に規定されていたことは改めて指摘するまでもない。アメリカ政治が「真実後の世界」になかったことを証明することが可能だなどと考える論者がどこにいるだろうか。
それでは日本はどうであろうか。原発にしても、歴史認識問題にしても、TPPにしても、沖縄の米軍基地にしても、日本政治は「真実後」の暗闇で動き続けているのではないだろうか。放射能の危険性を隠匿し、地域住民に情報提供することなくすすめられた原発建設。科学的知見に基づかずに、空中楼閣でしかなかった「原発安全神話」。福島原発事故時の政府対応における虚偽と隠蔽(SPEEDIの情報隠しはその一例に過ぎない)。3.11以後の原発再稼働政策も虚偽と隠蔽以外の何物を含んでいるのか検証されたことがない。
歴史認識問題における「真実後の政治」を推進してきたのは安倍晋三首相であることは言うまでもない。しかし、それは安倍政権に始まったわけではない。国民から情報を隠す政治は日本政治そのものである。藩閥政治や軍閥の時代にとどまらず、戦後の日本国憲法体制の下でも、貧しい情報公開、知る権利の否認、情報操作、市民的表現への抑圧は常態であって、異例の事態ではない。わたしたちは常に「真実後の世界」に生きてきたのだ。

二 倒錯のファンタジー

 「真実後の政治」の技法は多様である。合法非合法を含め、ありとあらゆる技法が駆使されると言っても良いだろうが、必ずしも秘密裏に行われるわけではない。むしろ、細谷が述べるように、「自らの正義を実現するために堂々と虚偽を語る」技法も開発されてきた。

1 被害者に押し付ける寛容

 近代国家の戦争は軍事的合理主義に基づいて遂行されるように見えるが、同時に、戦争と破壊を賛美する非合理主義的なファンタジーに根差している。自国の歴史と文化を誇り、自民族の優越性を高らかに歌い上げ、祖国愛と勇気に貫かれたナショナリズムが配備される。
 「敵/味方」思考は、まず何よりも「殲滅すべき敵」を仮設し、正義と慈愛にあふれる味方の物語を構築する。正義と慈愛にあふれる味方は、それゆえ、寛容の精神を発揮することもできる。「寛容なるわれわれ」意識を身につけることで優位に立ったと思いこめる精神は、「不寛容な敵」に寛容を説く権利を自らに付与する。
 靖国への合祀の論理は、「寛容なるわれわれ」の彼方に立ち現れる。こうして、靖国合祀に反対する迷妄に対して宗教的寛容を説く倒錯が可能となる。
美しい国では、加害者が被害者に寛容を説くことが倫理にかなった出来事となるだろう。

2 被害者に押し付ける和解

 被害者に寛容を押し付ける社会は、被害者に和解を強要する社会でもある。加害者の誠実な謝罪を前にした赦しと和解は記憶の彼方に遠ざけられる。
 被害者に和解を迫る喜劇的悲劇を、加害国の側ではなく、被害国の側で演じたのが『帝国の慰安婦』という文学である。
 『帝国の慰安婦』に癒しを見出したのが、加害国の側のニセ・リベラル派である。2015年11月に「知識人」声明は、勇気凛々と『帝国の慰安婦』を擁護しただけではなく、さらに一歩前に出て、被害事実を全面否定した。
 「慰安婦」問題の歴史の事実を否定・歪曲する歴史修正主義の延長上に、『帝国の慰安婦』による名誉棄損の被害事実を否定・歪曲するもう一つの歴史修正主義が登場し、倒錯のファンタジーが完結する。

3 防衛的ヘイト・クライム

 排外主義とヘイト・クライム/ヘイト・スピーチの社会心理学は、「防衛的ヘイト・クライム」という現象に焦点を当てる。
 カリフォルニア・ルーテル大学のヘレン・アン・リンは、その論文「直接被害を越えて――ヘイト・クライムをメッセージ犯罪として理解する」において、「ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチは、被害者及びそのコミュニティを脅迫するためのメッセージ犯罪である。」と述べたうえで、加害と被害の関係を「防衛的ヘイト・クライム」という特徴で理解する。「アメリカ公民権委員会によると、ハラスメントは『移動暴力』という共通の形態をとる。近所で、特に中産階級のアジア系アメリカ人が居住する郊外住宅地で発生することが多い。卵を投げる、石で窓を割る、銃で窓を割る、火炎瓶を投げるなどである。レヴィンとマクデヴィッドはこれを『防衛的ヘイト・クライム』と呼んでいる。白人が多く住む地域に引っ越してきた黒人家族、アジア系の友人とデートした白人女学生、最近職にありついたラテン系の人が狙われる。防衛的ヘイト・クライムは『出て行け。お前たちは歓迎されていない』というメッセージを送るためになされる」という。
 他者の存在と尊厳を否定し、社会から排除し、時に生命を奪う激烈な犯罪がヘイト・クライムであり、加害者は自分や社会を守るという「防衛的ヘイト・クライム」の意識を有する。あるいは、そうした口実で自分の行為を正当化しようとする。加害者が「被害者」になり、本当の被害者の罪を難詰する。

 日本におけるヘイト・クライム/ヘイト・スピーチも、「在日特権」「日本人が被害者である」という倒錯に一つの根拠を見出している。