Wednesday, December 28, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(82)ヘイト・スピーチと法の下の平等

金尚均「人種差別表現と法の下の平等」内田博文先生古稀祝賀論文集『刑事法と歴史的価値とその交錯』(法律文化社、2016年)
ヘイト・スピーチについて精力的に議論を展開してきた金尚均の論文である。これまでも保護法益を論じ、ヘイト・スピーチと民主主義論や社会的参加論の関係を論じてきたが、本論文では法の下の平等について検討する。憲法13条の個人の尊重に続いて、憲法14条が法の下の平等を独立の規定としていることの意味を解き明かしたうえで、ヘイト・スピーチとの関係での法の下の平等を問う。
市民的平等は個人の権利の問題であるとし、民主主義における表現の自由の格別の重要性を確認するドーキンは、ヘイト・スピーチの法規制に消極的であるが、そこではヘイト・スピーカーを社会のマイノリティと位置付けているように見える。マジョリティはヘイト・スピーチに反対し、一部のマイノリティがヘイト・スピーチを行うという理解である。しかし、これはヘイト・スピーチにおけるマジョリティ-マイノリティ関係を誤解している。金によれば、ヘイト・スピーカーは自分がマジョリティであることを認識・自覚し、マジョリティであるがゆえに、マイノリティを自分たちマジョリティより劣ったものと蔑視して、攻撃する。ヘイト・スピーチはマイノリティに対する社会的排除である。
金はつぎのように結論付ける。

「法の下の平等の侵害と人間の尊厳の侵害の関連に着目すると、両者は連続の関係にある。また、人間の尊厳の否定は、法の下の平等の侵害の動機であり、そしてそれの帰結である。/最後に、ヘイト・スピーチ規制は、ボトムアップを目的とするアファーマティブアクションとは異なる。マイノリティが主として攻撃客体となる行為を規制することで、人間でありかつ対等な社会構成員として生きることを保障する。これにより、マイノリティであることだけを理由に不当に攻撃する行為を禁止することで、法の下の平等と人間の尊厳の保護を目的とする。」