Saturday, May 06, 2017

桧垣伸次『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察』を読む(7)

桧垣伸次『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察――表現の自由のジレンマ』(法律文化社、2017年)

終章日本の現状と課題

桧垣は、ヘイト・スピーチが人間の尊厳を損ない、「表現の自由は、民主主義社会において、非常に重要ではあるが、ヘイト・スピーチはその前提を崩すものである」という視点を再確認し、日本の現状と問題点を一瞥する。ヘイト・スピーチ解消法、京都朝鮮学校事件を検討したうえで、「政府言論としてのヘイト・スピーチ解消法」という問題を検討する。
「問題は線を引くか否かではなく、どのように線を引くか、である。すなわち、表現の自由の重要性を認識したうえで、規制範囲を画定する努力が求められる。その際に重要なのは、歴史的文脈に鑑み、ヘイト・スピーチの害悪を緻密に分析することである。なぜならば、ヘイト・スピーチは歴史的な支配・従属関係を強化するものであり、歴史的・社会的文脈は、言葉の害悪の程度に影響するからである。」

桧垣は最後に、「日本における差別およびヘイト・スピーチの実態を解明することが何よりも必要となる」として、本書を終える。

<コメント>
第1に、桧垣の主張は、私たち規制積極派が主張してきたこととほぼ同じである。そのことを、桧垣はアメリカ法の検討を通じて提起した。つまり、アメリカ法であれ、ヨーロッパ法であれ、その他の諸国の法であれ、ヘイト・スピーチの害悪を明確にすれば、人権保障のために刑事規制をすることが正当化できるという一般性を明らかにした。
第2に、桧垣はそのための次の課題として実態解明を強調する。この点はすでにヘイト・スピーチ被害の実態調査として始められている。NGOによる調査に続いて、日本政府も調査せざるを得なくなった。その積み重ねが重要である。
第3に、桧垣は「どのように線を引くか」を課題として唱えるが、具体的な議論をしていない。ここから先は、憲法学とともに、刑法学の課題である。金尚均、桜庭総、師岡康子による議論が重要である。私も同じ地点にたどり着きながら、まだ具体的な条文案を提示していないため、批判されたこともある。ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチを調査するために人種差別撤廃委員会に通い始めたのが1998年であり、20年にもなると言うのに、いまだに一般論しか提起していないので、弁解の余地がない。ただ、人種差別撤廃条約2条や4条の調査・研究が緒についたばかりだ。