Thursday, April 25, 2024

『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会の不手際について

『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会の不手際について

 

2024425

『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会実行委員会

 

 

 私たちは本年46日に、<歴史修正主義とたたかうために 『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会>(としま産業振興プラザ)を開催しました。

 当日は『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』(雄山閣)の著者・藤井正希さん(群馬大学准教授)に講演してもらうとともに、5人の呼びかけ人によるリレートークを行いました。

 出版記念会終了後、オンライン上で事実に基づかない「論争」が巻き起こり、藤井さんに対する誹謗中傷が飛び交いました。現在もなお書き込みがオンライン上に残されています。

 私たちは、出版記念会の準備、運営、事後対応を通じて、この間の経緯を検証してきました。その結果、次のような結論に達しました。

 

1.私たち実行委員会は、準備段階及び当日の運営において、出版記念会の位置づけを十分に明確化しませんでした。

2.群馬の森追悼碑撤去の不当性を明らかにし、全国の追悼碑・慰霊碑についての議論を活性化させるために、運動論的課題(原則論)を確認する作業を十分に行うことがありませんでした。

3.藤井正希さんの「裁判意見書」、著書及び講演について、その議論の土俵を十分に整理・明確化して、呼びかけ人・参加者に十分な理解を促すための情報提供を心掛ける必要があるのに、これを怠りました。

 

 以上の結果、出版記念会の呼びかけ人や参加者に無用の誤解を生じさせることになりました。それゆえ、「裁判意見書」や著書に対する数々の誤解を招くことになりました。現在も藤井さんに対する名誉毀損状態が継続しています。

 藤井さんは、群馬の森追悼碑撤去訴訟第一審において非常に優れた意見書を裁判所に提出し、原告勝訴に貢献しました。その後、控訴審及び群馬県による追悼碑撤去強行に抗議する運動においても重要な役割を果たしました。

その経験に基づいて『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』を執筆し、問題の所在を社会に広く知らせる努力を続けました。

また、藤井さんは、憲法学における表現の自由、とりわけマス・メディア規制の憲法論の研究を深めるとともに、ヘイト・スピーチ刑事規制のための憲法論を構築してきました。

 ところが、私たちの準備不足と運営の不手際のために、藤井さん及び出版社に対して名誉毀損と信用毀損を招来する結果となりました。

 こうした事態を惹起したことについて、実行委員会として、藤井さん及び雄山閣に謝罪いたします。

 なお、実行委員会内での検証作業を引き続き進めており、呼びかけ人には適宜報告させていただきます。

                          (以上)

Tuesday, April 23, 2024

苫小牧9条の会・憲法記念日講演会

苫小牧9条の会・憲法記念日講演会

 

5月3日(金)午後2時開演

アイビープラザ講習室

電話338131

 

講演:前田朗(東京造形大学名誉教授)

「世界に誇れる日本の平和憲法」

 

資料代:300

 

主催:苫小牧9条の会

共催:非核平和・都市条例を考える会

後援:苫小牧市、苫小牧市教育委員会、苫小牧民報社、ひらく

Sunday, April 21, 2024

アフガニスタン訪問・室蘭報告会

 アフガニスタン訪問・室蘭報告会

『ターリバーン支配下のアフガニスタン女性と子どもたちの今』

2024 227日~39日アフガンツアー報告

 

(日時) 52日(木) 14:00 ~16:00

             (13:30 開場)

(場所) 中小企業センター 2階研修室 (北海道室蘭市東町4-29-1)

(参加費) 500円   どなたでもご参加いただけます

 

<報告者> 

*清末愛砂(室蘭工業大大学院教授、憲法学、RAWAと連帯する会共同代表)

   著書:猫塚義夫・清末愛砂『平和に生きる権利は国境を超える』(あけび書房)、清末愛砂・前田朗・桐生佳子『平和とジェンダー正義を求めて――アフガニスタンに希望の灯火を』(耕文社)、他多数

 

*前田 朗 (朝鮮大学校教員、国際人権法、RAWAと連帯する会共同代表)

     著書:『ジェノサイド論』(青木書店)、『軍隊のない国家』(日本評論社)、他多数

 

*桐生佳子(RAWAと連帯する会事務局長)

*高橋国夫(社会活動家、RAWAと連帯する会事務局)  

 

<共催>RAWAと連帯する会 、憲法を守る室蘭地域ネット、

    室蘭工業大大学院工学研究科ひと文化系領域清末愛砂研究室  

 <連絡先> 増岡080-58304714

      akiyosue@muroran-it.ac.jp

Saturday, April 20, 2024

私たちはなぜ植民地主義者になったのか?in札幌

私たちはなぜ植民地主義者になったのか?

――コリアン・ジェノサイドからガザ・ジェノサイドへ

――ガザ連帯緊急上映『太陽の男たち』



51日(水)開場1300、開演1330

開場:札幌エルプラザ2F環境研修室

会費:500

主催:パレスチナ連帯・札幌(09095163750

 

戦争にも、人間として許されないルールはあるのか? 歯止めの利かない軍事作戦に国際法は手をこまねくしかないのか。国際法とはいったい何なのか。現代世界を植民地主義が覆っているのはなぜなのか。根本に立ち返って考えてみよう。

 

スケジュール

13301520

映画『太陽の男たち』(ガッサン・カナファーニー、1971年)

休憩

15301700

講演:前田朗「私たちはなぜ植民地主義者になったのか?」

17101800

質疑応答


前田朗講演会in札幌

430日(火)18:3021:30(開場18:10

会場  札幌エルプラザ4階中研修室

    (札幌市北区北8西3)

  ※JR札幌駅北口地下通路直結

参加費 800

  ※当日、会場にて受付ます(予約不要)

第一部 18:30-20:05

関東大震災ジェノサイド―摂政裕仁の責任を考える

第二部 20:15-21:15

差別されない権利の類型―人種差別禁止法のガイドブックを読む

 

前田朗(まえだ・あきら)

1955年札幌生まれ。東京造形大学名誉教授、朝鮮大学校法律学科講師、日本民主法律家協会理事。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。

【主催】

札幌市に人種差別撤廃条例をつくる市民会議

問合先:Tel.090-6446-3974(チョキム)

syu@sapporoyu.org(さっぽろ自由学校 遊)

Friday, April 12, 2024

群馬の森裁判/藤井正希さんのインタヴュー記事(一部公開)

 『月刊マスコミ市民』663号(20244月)に掲載された藤井正希さんのインタヴューの一部を、編集部及び本人の了解を得て、以下に公開します。

最新号のため、全部ではなく一部の公開にとどめます。

このインタヴューは本年3月に行われました。聞き手は同誌編集部の石塚さとし編集委員です。雑誌が刊行されたのは本年41日です。出版記念会が開催された46日よりも前に出版されたものです。

<藤井正希/群馬の森・朝鮮人追悼碑強制撤去問題を問う

政治的中立性を過度に強調すれば、公の場での政治的発言はできなくなる>

『月刊マスコミ市民』663号(2024年4月)より

全文は4656頁に掲載。

以下に公開するのは、そのうちの5053頁の部分です。

記事全体は以下の構成です(小見出しを列挙します)。

・些細なルール違反で追悼碑を撤去した

・右翼の攻撃に屈した群馬県知事

・追悼碑の前をスピーカーズコーナーに(*公開部分です)

・敵対者が混乱させると言う理由で表現を規制してはならない

・憲法の理念をさらに発展させること


■追悼碑の前をスピーカーズコーナーに

 

――次に、パブリックフォーラム論について伺います。パブリックフォーラム論は、公共の広場における表現の自由や集会の自由に可能な限り配慮すべきとするアメリカの理論ですが、とりわけ道路や公園など伝統的パブリックフォーラムにおいての表現活動は、原則として許されなければならないと思います。これについて、少し説明をしていただけますか。

 

藤井 日本では、これまではむしろその逆だったのではないでしょうか。駅前とか公園とか広場とか、人が集まる場所ではむしろ政治的発言をしてはいけなくて、その時の理由として政治的中立性が持ち出されてきたのではないかと思います。なぜ政治的中立でなければいけないのかといったら、政治的なことをすれば混乱が生じてしまい、都市公園が市民の憩いの場ではなくなってしまうというのです。駅前のように人が通っている所で演説をすれば交通の妨げにもなるし、政治的な激論をすれば混乱が生じて公共の利益に反するといって、むしろそういう場ではやってはいけないと言われます。

 けれども、アメリカのパブリックフォーラム論でいうとそれは逆なのです。むしろ、人が集まる公園とか広場とか駅前とか公道といった場所こそ、表現の自由、特に政治的な表現を認めなければいけないのです。広場や駅前や公道において、政治的表現の自由が認められた独裁国家はありえないことを銘記すべきでしょう。

 たとえば、イギリスの国立公園のハイドパークにはスピーカーズコーナーというのがあって、そこは誰でも政治的な発言ができるのです。たとえば、むしろ群馬の森の朝鮮人追悼碑のようなところこそスピーカーズコーナーにして、慰安婦が本当にいたのか、朝鮮人の強制連行があったのか、関東大震災の時の流言飛語によるデマで朝鮮人の虐殺があったのかを、追悼碑の撤去を求める人も含めて自由に議論できるようにすればいいのです。

 しかし、日本における行政では、政治的な表現をしないことが政治的中立性だと考えられています。だから政治的な表現をしてはいけないというのです。たとえば、テレビのニュースキャスターが政権に批判的なことを言うと中立性に反すると言われますし、国立大学の授業でも、学生に対してあまり政権批判的なことを言うと政治的中立性がないと言われます。政治的中立性というのは、自分の政治的意見を言わないことではなくて、自分の政治的な意見をはっきり言う一方で、相手の反対意見を無碍に否定しないことです。発言の機会を認めて尊重するのが政治的中立だと思うのです。そういう発想から、公的な広場こそ政治的発言を認めなければいけないと思います。

 2019年の参議院選挙の時に、街頭演説で野次の取り締まりがありました。「安倍やめろ」と言った人が警察官に排除された事件です。確かに、安倍首相の訴えを聞きたい人が集まっているので、安倍首相が演説している時に大きな声で妨害するのはよくないと思います。しかし、そういう時はただただ排除するのではなく、安倍首相に対して何か言いたい人にもその場で発言の機会を可能な限り認めるべきだと思います。

 私はヘイトスピーチをある程度規制した方がいいと思いますが、ヘイトスピーチをしている人にも言いたいことがあるわけです。だからヘイトスピーチを規制するのであれば、別に言う機会を認めることが必要です。政治的中立性というのは、人の発言を封じることではなくて、意見の異なる発言を認めることです。その場で発言の機会を認めることがどうしてもできないのであれば、別に表現する場を与える手段があっていいと思います。

 

――パブリックフォーラムは民主主義の根幹を成すものだと思います。討論がなければ世論は形成されないわけですから、民主主義を支える根底の部分を、日本の場合はわかっていないような気がします。

 

藤井 「言論には言論で対抗する」ということですね。安倍首相の演説に対する野次でも、演説の後に反対者に主張の機会を与えることができないのであれば、自民党が何らかの手段で反対者に発言の機会を与えるとか、自民党のホームページに反対者の主張を載せてあげるとか、言論には言論で対抗させることです。それはやろうと思えばできると思いますので、政治的中立性をもって封じないことです。

 

――群馬県知事は、そういうことがわかっていないようですね。

 

藤井 知事は県民が知らない間に碑を撤去してしまいました。それは、すべてが闇に葬られてしまったということです。本来、知事がやるべきことは、朝鮮人の追悼碑があったことや撤去に関して争いがあったことを県民に知らせた上で、十分議論の場を設定することです。追悼碑の撤去を求めている市民と、追悼碑を守ろうという市民とが冷静な議論をする場を、一般の市民にも開かれた形で設けて、すべての県民をまきこんだ議論をし、県民の民意を踏まえた上で知事が政治的判断をすべきでした。

 しかし、これまでの日本の行政はそういうことをまったくやってこなかったのです。慰安婦問題にしても、本当に国が解決したいのであれば、元慰安婦の人を呼んで国会で話してもらうとか、韓国の歴史家も含めて冷静な議論をする場を作ることです。それができるのは行政しかないのです。私は、追悼碑の撤去を求める市民団体の人たちともいろんな議論をしたいと思っています。このように市民の中で意見が対立している場合、行政には市民が自由で有益な議論のできる場をぜひ設定してほしいと思います。この点、東京の小池知事は、横網町公園で行われている関東大震災朝鮮人大虐殺の追悼集会に慰霊文を送らなくなりましたが、あの問題でも、朝鮮人犠牲者の追悼碑を守ろうとする人と碑を撤去しようとしている団体とにそのような議論の場を与えることが必要だと思います。

 2014年11月に、「守る会」は更新不許可処分の取り消しを求めて群馬県を提訴しましたが、あの裁判は2011年7月22日の状況を踏まえて、県の更新不許可処分は適法であると判断できると判決しただけのものです。だから、知事は撤去を求める市民団体の人たちと「守る会」の人たちが碑文の内容をどうしたらいいのかの議論をできるようにすればいいのです。このような〝行司役〟ができるのは行政しかないのです。場合によっては外務省の人を呼んだり、また、混乱しないように警察を呼んだりして、行政法で言うところの〝調整的な行政指導〟をやればいいのです。それは法律にも根拠のある手続きです。

 私は歴史学者ではないので、強制連行や慰安婦の問題について「これが歴史の真実だ」と、何かを言うつもりはありません。しかし、強制的に連行されて鉱山などで働かされた人や強制的に性の仕事をさせられた慰安婦がいたこと、あるいは関東大震災の時に流言飛語によってそれなりの人数の朝鮮人が虐殺されたことは、歴史的な真実として教科書にも載っていたことです。私もそのように習ったし、今でも強制連行も慰安婦も朝鮮人の虐殺も歴史的事実だというのが通説でしょう。もしそれを否定するのであれば、理由と証拠をきちんと示して国民的議論を求めなければなりません。何の根拠も示さずに「嘘だ」「デタラメだ」というやり方はよくないと思うのです。

<以上>

月刊マスコミ市民

http://masukomi-shimin.com/

Thursday, April 11, 2024

群馬の森追悼碑裁判における藤井正希さんの意見書

群馬の森追悼碑裁判における藤井正希さんの意見書を、本人の了解を得て、公開します。

201692日に執筆され、同月15日付で、一審の前橋地裁に提出されました。

下記でご覧ください。

https://drive.google.com/file/d/1tk67ssh0ypqqjiszz4Kf0_zaqymmjxg-/view?usp=sharing

この意見書は、201692日に執筆され、同月15日付で、一審の前橋地裁に提出されました。

意見書に目次はついていませんが、下記の構成です。

本件・群馬の森裁判における表現の自由の議論は秀逸です。ぜひお読みください。

1.        はじめにその憲法的意義

2.        事案の概要

3.        許可条件の法令違憲及び適用違憲の可能性

(1)法令違憲について

(2)適用違憲について

4.        憲法21条違反の可能性

(1)表現の自由の優越的地位―ー厳格な違憲審査基準の必要性

(2)パブリック・フォーラム論

(3)敵意ある聴衆の法理

(4)表現の自由の最大限の保障

5.憲法31条違反の可能性